2018.8.26 ”SOUND STER 2” 『煙コミュニケーション』
プロローグ
目は、とても良い方だ。鷹の目というと大層だが、遠くの的を射抜けるこの目には自信がある。
陽も傾きかけた夕方、学校の帰り道、ふと見上げた廃ビルにあの人はいた。きらりと光る何か、バスッ、と音を立ててそれは少しだけ振動した。耳に馴染みのない音だったが、映画で聴いた事がある。まるで現実味のない、街の騒音と混じるあの異音。長い銃身をひっこめたあの人は、双眼鏡でどこか遠くをじっと見ている。何かを確認し終えると、双眼鏡を仕舞ってフードを被った。確かかは分からないが、その瞬間目が合ったような気がする。
少し待って出てきたミスターKKは、困ったような顔をしていた。
それから学校帰りのこの時間。寄れば、いつでもミスターKKがいた。特に何をするでもない。窓すらなくなった寂れたビルの中、高い階まで登ってどこかにいるあの人を探す。簡単だ、煙が立ち上っていないか探せば良いのだ。大抵は屋外階段にいる。ふわりと立ち上る煙は目立たないが、この目ならば見付けられる。気配を隠されるのが嫌なようだから、わざと足音を立てて、床に転がるゴミを蹴ったりしながら。KKさん、と呼びながら角を曲がれば、いつも困ったように笑って煙草を持つのと反対の手を上げる。それが日常だった。いつでも煙草の匂いを身に纏っていた。
仕事、恐らく初めてこの場所で会った時と同じ仕事が終わるのがこの時間なのだろうか。深く知ってはいけない事なのだろうと分かってはいるが、この時間のミスターKKは、不思議と目が優しい気がして好きだった。やがてその優しい目が自分に向けられているものだからだと理解できたが、それでも夕焼けの時間に見られるその目は、仕事を終え和らいでいるように見えた。
しかし、廃ビルに吸殻も残さずいなくなってしまったあの人のあの目は、記憶を強く刺してきた。
一 口付ける
廃ビルの外から煙を探そうと、立ち上る狼煙は上がらない。気配を殺して探し回ろうと、足音さえ響きはしない。外階段を吹き抜ける風は、自分一人にだけ工事現場と車のクラクションの音を運んだ。誰の声もしない。なんの匂いもしない。ただ、目に鮮やかな夕焼けだけを残した。
ざらりと階段の手すりを撫でる。あの人がよく座っていた場所。よく、自分から顔を背けてこの手すりに煙を吹いていた。座り込んで、すんすんと鼻を鳴らす。ここにも、何も残されてはいなかった。
何日も経つが、姿を見せる気配がない。きっともう自分の前に現れる事はないのだろう。そう思ったが、学校帰りの足は自然とこの廃ビルに向かった。記憶を刺す優しい目は、まだ消えない。それでもその姿を求め、夕陽が沈むまで座って過ごしていた。
毎日、廃ビルへと通う。ミスターKKとよく会っていたのはビルの半分程登った階だったが、下の方の階はいつも浮浪者や身なりの整っていない学生が占拠している。できる限り誰とも目を合わさないように上の階へ上っていたが、ある日声をかけられた。
「いつも来るねえ」
低く濁った声。汚れたダウンを着た浮浪者が、足音も鳴らない程すり切れた靴を擦りながら歩き寄ってきた。近くに寄ると異臭がする。一瞬顔をしかめたが、その異臭と共に嗅いだ事のある匂いが混じっていた事に気付いた。
「誰かと待ち合わせなのかい?」
「……いいえ」
目を逸らし、首を振った。知らない男から見知った香りがする。
浮浪者はまだ何か言いたげな目をしていたが、今日の廃ビルはいつもとは違う場所のような気がした。一瞬だけでもあの人の空気を感じた。踵を返す。早足にビルを出る背を、夕陽はいつも通り照らしていた。
翌日相も変わらず廃ビルへ来た。昨日嗅いだあの香りが、まだ首元をひやりと撫でている。
まるで、ミスターKKが隣にいるかのように感じた。あの香りは、ミスターKKが身に纏っていたものとまるで同じものだった。
ミスターKKはいつでも煙草をふかしていた。自分の反対側に顔を背けて煙を吐いていたが、その肺に残った香りは、話をするたびにその口から漏れ出していた。まるで毒ガスだ、とも思ったが、学校の授業の一環で煙草の害については知っている。あれはまさしく毒ガスだ。成程、あの人が身に纏っているのにふさわしい空気だ。
「君、昨日の」
後ろから声がして、はっと振り返った。昨日と同じ浮浪者が、昨日と同じ服のまま。纏う香りは、やはりミスターKKと同じ。
「大丈夫だよ、怖がらせちゃったね」
言いながら、少し離れた場所に座り込んだ。あーやれやれなどと言いながらポケットを探る。
「君みたいな真面目な子がこんな場所に毎日来るのがね。いや、珍しいなって。家出かい?」
「そんな事は、ないです。ただ何となく」
用事という用事はない。ここにあの人は来ないだろう事も分かっている。また会いたいという気持ちとは別だが、理解はしているつもりだった。浮浪者が流れるような手つきで煙草とライターを取り出しかちりと火を付けた。そわり、と首元が冷える。浮浪者が深く煙を吸い、吐き出すと、息が止まった。毒ガスに備えてではない。あの香りは、この場所を以前と同じ空気に変えてしまう。
吐き出された煙が視界いっぱいに広がる。喉が引き攣る。息を止めて、じっと宙を見た。
「…あ、ごめんねえ、もしかして煙草は嫌いだったかい」
困ったような顔で、煙草を持つ手を上げている。首を振ると、気付かれないよう静かに息を吐いた。音を立てないよう、胸いっぱいに息を吸い込む。薄い煙草の匂いが、胸いっぱいに染み渡った。
「前、ここによくいたあの男の人はもういないのかい?」
浮浪者は、困ったような顔のまま言った。
弓弦一人になる前から、この男はいたのだろう。この廃ビルの中にいたのは自分だけじゃなかった。この浮浪者と面識はないが、ミスターKKがいた事を確かに覚えている。自分以外にそういう者がいると思うと、安心した。
「嫌いじゃないなら、一本、火付けてみるかい」
煙草の箱をひっくり返して底をとんとんと数度叩き、頭を出した一本を向けてきた。
いらないと言い切れなかったのは、きっと火がついていないそれからも、ミスターKKの匂いがしたからだろう。受け取った時の浮浪者の顔はよく見ていなかったが、自分の震える手はきっと見られていた。
「吸いながら火を付けるんだ」
初心者だと分かっている。それでも未成年に煙草を渡す浮浪者が何を考えているのか理解はできない。一緒に渡されたライターを受け取るが、まだ自分が幼いだけだろうか。浮浪者の困った顔のその意味が分からなかった。
ああ、そういえば。KKさんは火元を隠しながら火を付けていたな。なんて事を思い出した。
あの困った顔で見られたままでは落ち着かず、ライターはくれるというのでポケットにしまい、上の階へ上がった。階を増す毎に人の気配は遠のき、いつもの景色が広がる。人の声はないながらも、いつまでも終わらない工事の音、どこかで誰かが鳴らす車のクラクション、たまに鳴るパトカーや救急車のサイレン。薄っぺらい人工の音に溢れる町には夕焼けが溶けていた。貰った煙草を両手で包み、その匂いを胸いっぱいに吸い込む。満たされていくのを感じた。煙とはまた違った匂い。吐き出して、また吸い込む。
良くない事だとは分かっている。それでも、会いたいという気持ちが何にも勝って求めてしまう。
包み込んでいた手を開き、指先で煙草を持った。恐る恐る、フィルターを唇で挟む。既に煙草の匂いが鼻に触れている。震える手で、かちん、かちん、と音を鳴らし、火を煙草の先に触れさせた。始めは口の中でだけ息を吸い込む。口の中が熱くなったように感じたが、火種から熱を吸い込んでいるので当然か、等と考えながら。口から煙草を離してほうっと息を吐くと、煙が吐き出された。なんとなく、冬の寒さの中に吐き出す白い息とは違う、重さを感じない煙だった。しばらくは目の前でやんわりと風に流され、やがて溶けるように空へ混ざる。世の中は喫煙者への風当たりが強くなっているというが、まさに環境や自分の身体を汚している、そんな罪悪感の湧く景色だ。舌で頬の内側を舐めると、苦みがあった。
フィルターをくわえ直した。肺まで吸い込んでみようとすると、途端に息が詰まって咳き込んだ。ちかちかする目眩と共に痛みが頭の奥を突く。手に持つ煙草を顔から離す。学校の教育では副流煙の方がより害が多いと聞いた。その副流煙での匂いにも慣れ親しんだと思っていたが、いざ自分の中に取り込んでみると、その一切を受け付けない。
火の付いた煙草の先を見つめた。薄暗い中でぼんやり光る火は、いつも見つめていたミスターKKがくわえる煙草そのものだった。
もう一度、今度はゆっくりと、吸い込んだ。ぐっと息が詰まりそうになるが、意識して吸おうと思えばできない事もない。苦しかったが、その苦しさと共に色々なものを体の中へ受け入れた。煙草の独特の匂いとは別の、ものが焼け焦げる匂い。焚火の煙の匂い。思っていたよりも、様々なものが詰まっていた。
ミスターKKが言っていた通り、美味くもなんともない。しかし、この匂いはまさしくあのミスターKKの。立ち上る煙からする匂いは、ミスターKKと過ごしていたあの廃ビルでの時間を、夕焼けに染まっていたあの時間を、たまに鳴る車のクラクションを、遠くに聞こえる工事の音全部を作り出していた。たちまちにこの場所をあの時へと引き戻した。こうしてまた一口、また一口と吸えば、あの時間の色や匂い、音の全てがこの体に取り込まれて巡るのではないかと。
気付けば、煙草の先は灰となって反っていた。ミスターKKがしていたように、煙草を指に挟んだままフィルター部分を親指で弾いて灰を落とす。先はまた火の塊になる。まさに、あの日の夕焼けの色だった。そうとしか見えなかった。
その日は、具合が悪くすぐに眠った。
(サンプルはここまで、以降は本文掲載となります)
目は、とても良い方だ。鷹の目というと大層だが、遠くの的を射抜けるこの目には自信がある。
陽も傾きかけた夕方、学校の帰り道、ふと見上げた廃ビルにあの人はいた。きらりと光る何か、バスッ、と音を立ててそれは少しだけ振動した。耳に馴染みのない音だったが、映画で聴いた事がある。まるで現実味のない、街の騒音と混じるあの異音。長い銃身をひっこめたあの人は、双眼鏡でどこか遠くをじっと見ている。何かを確認し終えると、双眼鏡を仕舞ってフードを被った。確かかは分からないが、その瞬間目が合ったような気がする。
少し待って出てきたミスターKKは、困ったような顔をしていた。
それから学校帰りのこの時間。寄れば、いつでもミスターKKがいた。特に何をするでもない。窓すらなくなった寂れたビルの中、高い階まで登ってどこかにいるあの人を探す。簡単だ、煙が立ち上っていないか探せば良いのだ。大抵は屋外階段にいる。ふわりと立ち上る煙は目立たないが、この目ならば見付けられる。気配を隠されるのが嫌なようだから、わざと足音を立てて、床に転がるゴミを蹴ったりしながら。KKさん、と呼びながら角を曲がれば、いつも困ったように笑って煙草を持つのと反対の手を上げる。それが日常だった。いつでも煙草の匂いを身に纏っていた。
仕事、恐らく初めてこの場所で会った時と同じ仕事が終わるのがこの時間なのだろうか。深く知ってはいけない事なのだろうと分かってはいるが、この時間のミスターKKは、不思議と目が優しい気がして好きだった。やがてその優しい目が自分に向けられているものだからだと理解できたが、それでも夕焼けの時間に見られるその目は、仕事を終え和らいでいるように見えた。
しかし、廃ビルに吸殻も残さずいなくなってしまったあの人のあの目は、記憶を強く刺してきた。
一 口付ける
廃ビルの外から煙を探そうと、立ち上る狼煙は上がらない。気配を殺して探し回ろうと、足音さえ響きはしない。外階段を吹き抜ける風は、自分一人にだけ工事現場と車のクラクションの音を運んだ。誰の声もしない。なんの匂いもしない。ただ、目に鮮やかな夕焼けだけを残した。
ざらりと階段の手すりを撫でる。あの人がよく座っていた場所。よく、自分から顔を背けてこの手すりに煙を吹いていた。座り込んで、すんすんと鼻を鳴らす。ここにも、何も残されてはいなかった。
何日も経つが、姿を見せる気配がない。きっともう自分の前に現れる事はないのだろう。そう思ったが、学校帰りの足は自然とこの廃ビルに向かった。記憶を刺す優しい目は、まだ消えない。それでもその姿を求め、夕陽が沈むまで座って過ごしていた。
毎日、廃ビルへと通う。ミスターKKとよく会っていたのはビルの半分程登った階だったが、下の方の階はいつも浮浪者や身なりの整っていない学生が占拠している。できる限り誰とも目を合わさないように上の階へ上っていたが、ある日声をかけられた。
「いつも来るねえ」
低く濁った声。汚れたダウンを着た浮浪者が、足音も鳴らない程すり切れた靴を擦りながら歩き寄ってきた。近くに寄ると異臭がする。一瞬顔をしかめたが、その異臭と共に嗅いだ事のある匂いが混じっていた事に気付いた。
「誰かと待ち合わせなのかい?」
「……いいえ」
目を逸らし、首を振った。知らない男から見知った香りがする。
浮浪者はまだ何か言いたげな目をしていたが、今日の廃ビルはいつもとは違う場所のような気がした。一瞬だけでもあの人の空気を感じた。踵を返す。早足にビルを出る背を、夕陽はいつも通り照らしていた。
翌日相も変わらず廃ビルへ来た。昨日嗅いだあの香りが、まだ首元をひやりと撫でている。
まるで、ミスターKKが隣にいるかのように感じた。あの香りは、ミスターKKが身に纏っていたものとまるで同じものだった。
ミスターKKはいつでも煙草をふかしていた。自分の反対側に顔を背けて煙を吐いていたが、その肺に残った香りは、話をするたびにその口から漏れ出していた。まるで毒ガスだ、とも思ったが、学校の授業の一環で煙草の害については知っている。あれはまさしく毒ガスだ。成程、あの人が身に纏っているのにふさわしい空気だ。
「君、昨日の」
後ろから声がして、はっと振り返った。昨日と同じ浮浪者が、昨日と同じ服のまま。纏う香りは、やはりミスターKKと同じ。
「大丈夫だよ、怖がらせちゃったね」
言いながら、少し離れた場所に座り込んだ。あーやれやれなどと言いながらポケットを探る。
「君みたいな真面目な子がこんな場所に毎日来るのがね。いや、珍しいなって。家出かい?」
「そんな事は、ないです。ただ何となく」
用事という用事はない。ここにあの人は来ないだろう事も分かっている。また会いたいという気持ちとは別だが、理解はしているつもりだった。浮浪者が流れるような手つきで煙草とライターを取り出しかちりと火を付けた。そわり、と首元が冷える。浮浪者が深く煙を吸い、吐き出すと、息が止まった。毒ガスに備えてではない。あの香りは、この場所を以前と同じ空気に変えてしまう。
吐き出された煙が視界いっぱいに広がる。喉が引き攣る。息を止めて、じっと宙を見た。
「…あ、ごめんねえ、もしかして煙草は嫌いだったかい」
困ったような顔で、煙草を持つ手を上げている。首を振ると、気付かれないよう静かに息を吐いた。音を立てないよう、胸いっぱいに息を吸い込む。薄い煙草の匂いが、胸いっぱいに染み渡った。
「前、ここによくいたあの男の人はもういないのかい?」
浮浪者は、困ったような顔のまま言った。
弓弦一人になる前から、この男はいたのだろう。この廃ビルの中にいたのは自分だけじゃなかった。この浮浪者と面識はないが、ミスターKKがいた事を確かに覚えている。自分以外にそういう者がいると思うと、安心した。
「嫌いじゃないなら、一本、火付けてみるかい」
煙草の箱をひっくり返して底をとんとんと数度叩き、頭を出した一本を向けてきた。
いらないと言い切れなかったのは、きっと火がついていないそれからも、ミスターKKの匂いがしたからだろう。受け取った時の浮浪者の顔はよく見ていなかったが、自分の震える手はきっと見られていた。
「吸いながら火を付けるんだ」
初心者だと分かっている。それでも未成年に煙草を渡す浮浪者が何を考えているのか理解はできない。一緒に渡されたライターを受け取るが、まだ自分が幼いだけだろうか。浮浪者の困った顔のその意味が分からなかった。
ああ、そういえば。KKさんは火元を隠しながら火を付けていたな。なんて事を思い出した。
あの困った顔で見られたままでは落ち着かず、ライターはくれるというのでポケットにしまい、上の階へ上がった。階を増す毎に人の気配は遠のき、いつもの景色が広がる。人の声はないながらも、いつまでも終わらない工事の音、どこかで誰かが鳴らす車のクラクション、たまに鳴るパトカーや救急車のサイレン。薄っぺらい人工の音に溢れる町には夕焼けが溶けていた。貰った煙草を両手で包み、その匂いを胸いっぱいに吸い込む。満たされていくのを感じた。煙とはまた違った匂い。吐き出して、また吸い込む。
良くない事だとは分かっている。それでも、会いたいという気持ちが何にも勝って求めてしまう。
包み込んでいた手を開き、指先で煙草を持った。恐る恐る、フィルターを唇で挟む。既に煙草の匂いが鼻に触れている。震える手で、かちん、かちん、と音を鳴らし、火を煙草の先に触れさせた。始めは口の中でだけ息を吸い込む。口の中が熱くなったように感じたが、火種から熱を吸い込んでいるので当然か、等と考えながら。口から煙草を離してほうっと息を吐くと、煙が吐き出された。なんとなく、冬の寒さの中に吐き出す白い息とは違う、重さを感じない煙だった。しばらくは目の前でやんわりと風に流され、やがて溶けるように空へ混ざる。世の中は喫煙者への風当たりが強くなっているというが、まさに環境や自分の身体を汚している、そんな罪悪感の湧く景色だ。舌で頬の内側を舐めると、苦みがあった。
フィルターをくわえ直した。肺まで吸い込んでみようとすると、途端に息が詰まって咳き込んだ。ちかちかする目眩と共に痛みが頭の奥を突く。手に持つ煙草を顔から離す。学校の教育では副流煙の方がより害が多いと聞いた。その副流煙での匂いにも慣れ親しんだと思っていたが、いざ自分の中に取り込んでみると、その一切を受け付けない。
火の付いた煙草の先を見つめた。薄暗い中でぼんやり光る火は、いつも見つめていたミスターKKがくわえる煙草そのものだった。
もう一度、今度はゆっくりと、吸い込んだ。ぐっと息が詰まりそうになるが、意識して吸おうと思えばできない事もない。苦しかったが、その苦しさと共に色々なものを体の中へ受け入れた。煙草の独特の匂いとは別の、ものが焼け焦げる匂い。焚火の煙の匂い。思っていたよりも、様々なものが詰まっていた。
ミスターKKが言っていた通り、美味くもなんともない。しかし、この匂いはまさしくあのミスターKKの。立ち上る煙からする匂いは、ミスターKKと過ごしていたあの廃ビルでの時間を、夕焼けに染まっていたあの時間を、たまに鳴る車のクラクションを、遠くに聞こえる工事の音全部を作り出していた。たちまちにこの場所をあの時へと引き戻した。こうしてまた一口、また一口と吸えば、あの時間の色や匂い、音の全てがこの体に取り込まれて巡るのではないかと。
気付けば、煙草の先は灰となって反っていた。ミスターKKがしていたように、煙草を指に挟んだままフィルター部分を親指で弾いて灰を落とす。先はまた火の塊になる。まさに、あの日の夕焼けの色だった。そうとしか見えなかった。
その日は、具合が悪くすぐに眠った。
(サンプルはここまで、以降は本文掲載となります)
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