溶けた線香花火
夕焼けに茜色、染まる山も街も、大きな空を後ろに全てがシルエットとなっていた。やや青みがかり始めた一部分の空も、やがて溶ける陽を引き立てる。
ザンゲツが、夕陽に手をかざした。
「見事なものよ」
指の隙間をすり抜けた陽が縞となってちらちらとザンゲツの顔を照らす。褐色の肌も、例外なく赤に染まっていた。
「……ああ」
頷きもせず、リオンが小さく答えた。緑色の瞳も、今は陽をまじまじと映し込んでいる。一つの光を集めんばかりに、食い入るように見つめている。レンズのようだ。きっと、脳か網膜か。陽は日中よりもだいぶ和らいではいるが、まるで焼き付けるようにじっと見つめている。眺めながら楽器でも弾くものと思っていたが、残念ながらハープやギターは取り出されず、リオンのまとめた荷物の中に仕舞われていた。ならば歌でも歌うのかとも思ったが、その口は横一文字に引き結ばれている。リオンの全ての感覚は、やがて街に触れようとする夕陽に注がれていた。
鍛錬でもしようか、または夕食の支度でもしようかと思っていたが、そう時間もかからないと踏んで立ち上がるか迷っていた足をそのまま休めた。リオンほどではないが、景色を見つめていたいという気持ちもあった。
夕陽が街に触れる。リオンの目は瞬きさえも忘れていた。淡い陽に、街と夕陽の境界は曖昧になる。物理的に、柔らかくなっているのではないかと思うほど。持ち手から重さで伸び始めた線香花火は、まさにこういう柔らかさを持っている。半分ほど沈んだ夕陽は街に流れ込み、一層人々を赤く染めていく。シルエットのみとなり緑をなくした木々も、きっとここからは見えない向こうの面は赤く染まっているのだろう。夕陽から見える世界は、まさに全てが柔らかな色のはず。
沈む直前、流石に目が痛んだのかリオンが数秒閉じた。その数瞬でさえももったいないと思えるほど、貴重な一瞬は過ぎていく。目を開け、最後を瞬間を映した。
世界は沈む。暖かかった光は徐々に冷え始め、夕陽は消えていく。最後、とろりと街の後ろへ溶けていった。リオンの表情は変わらない。その瞳には、とろりと夕陽が溶け込んでいた。
「沈んだな」
小さく呟くと、今度は頷いた。
「聴いていろ」
言って、まとめていた荷物からギターを迷わず取り出した。じゃんと鳴らし、手早く調律する。
陽が落ちた後の紫がかり始めた空模様も見事なものだったが、夕陽に背を向けザンゲツに向けた。
雑音を振り払うように、一瞬完全な無音を作る。陽の落ちた世界で、弦を爪弾いた。Gm7のコードが世界に響いた。
夕陽の溶けた世界へ引き込まれて、音が、色が、混ざり合って茜色。目を閉じると同時に、リオンの歌も乗る。閉じた瞳の中、先ほどの夕陽がまた顔を出した。毎日同じように繰り返される景色のはずが、こうも心を揺さぶる。あの溶けた世界に行けたなら、朝も夜もない、上も下もわからない黄昏の狭間にこの身も溶けてしまうのだろう。穏やかな歌声が耳に優しい。始めと同じGm7が世界に響くと、やがて涼しい顔をした月が顔を出した。
「音楽とは良いものだな」
芋の皮を包丁で剥きながら、ザンゲツが呟いた。ギターの弦を拭いていたリオンが振り返り、興味深げに目を細める
「ほう?」
「いや、なに。先ほどの歌だ。過ぎた景色を、終わったものを、またこの身に感じられる。あの美しい世界を知らぬ者にも、目に見えるほどなのだろう」
「それは……そう感じたならそうだろう」
ふんと笑って背を向ける。含みのある言葉に、眉を寄せた。
「ふむ、どういうことだ」
「私の音楽を聴いてあの景色が丸々と浮かんだのは、同じ景色を見たからだろう。私はあの景色を見て、色々な事を感じた。色々な事を考えた。その集大成があの歌だ」
布越しに弦をつまんで、一フレットからホールまでつるりと滑らせる。また一フレットまで戻し、次は隣の弦を布越しにつまむ。
「感動、と一括りの言葉にするには感情は多様だ。いくつもの言葉を重ねなければ伝わる事はない。まさしく、同じ景色を見なければわからない、というほどな」
弦を拭き終わると、今度は弦の隙間を縫ってフレットを拭きあげる。一つ一つの楽器に触れる動作は、普段人と相対する時とは打って変わって丁寧なもの。細い指は、複雑な形の楽器の体に沿って器用に磨いていく。
「それでも、同じように何かに感動したその感情はどこかで眠っているはず。同じ経験をしていなくとも、どこかで同じ感情を持った瞬間があるはず。音楽とは、感情に呼びかけるものではないかと私は考えている」
拭き終わって開いた布は全く汚れておらず、頻繁に磨かれているのだろう事を知る。
止めていた手を再度動かし始め、剥き終わった芋の皮を原っぱに捨てた。
「成る程。…ならば、今度ワダツミの線香花火を見せよう。あれも今日の夕陽に負けず、大層綺麗なものだ。我に歌は歌えぬが、是非、見せたい」
言って笑うと、磨かれたギターを持ってリオンが目を細めた。
ザンゲツが、夕陽に手をかざした。
「見事なものよ」
指の隙間をすり抜けた陽が縞となってちらちらとザンゲツの顔を照らす。褐色の肌も、例外なく赤に染まっていた。
「……ああ」
頷きもせず、リオンが小さく答えた。緑色の瞳も、今は陽をまじまじと映し込んでいる。一つの光を集めんばかりに、食い入るように見つめている。レンズのようだ。きっと、脳か網膜か。陽は日中よりもだいぶ和らいではいるが、まるで焼き付けるようにじっと見つめている。眺めながら楽器でも弾くものと思っていたが、残念ながらハープやギターは取り出されず、リオンのまとめた荷物の中に仕舞われていた。ならば歌でも歌うのかとも思ったが、その口は横一文字に引き結ばれている。リオンの全ての感覚は、やがて街に触れようとする夕陽に注がれていた。
鍛錬でもしようか、または夕食の支度でもしようかと思っていたが、そう時間もかからないと踏んで立ち上がるか迷っていた足をそのまま休めた。リオンほどではないが、景色を見つめていたいという気持ちもあった。
夕陽が街に触れる。リオンの目は瞬きさえも忘れていた。淡い陽に、街と夕陽の境界は曖昧になる。物理的に、柔らかくなっているのではないかと思うほど。持ち手から重さで伸び始めた線香花火は、まさにこういう柔らかさを持っている。半分ほど沈んだ夕陽は街に流れ込み、一層人々を赤く染めていく。シルエットのみとなり緑をなくした木々も、きっとここからは見えない向こうの面は赤く染まっているのだろう。夕陽から見える世界は、まさに全てが柔らかな色のはず。
沈む直前、流石に目が痛んだのかリオンが数秒閉じた。その数瞬でさえももったいないと思えるほど、貴重な一瞬は過ぎていく。目を開け、最後を瞬間を映した。
世界は沈む。暖かかった光は徐々に冷え始め、夕陽は消えていく。最後、とろりと街の後ろへ溶けていった。リオンの表情は変わらない。その瞳には、とろりと夕陽が溶け込んでいた。
「沈んだな」
小さく呟くと、今度は頷いた。
「聴いていろ」
言って、まとめていた荷物からギターを迷わず取り出した。じゃんと鳴らし、手早く調律する。
陽が落ちた後の紫がかり始めた空模様も見事なものだったが、夕陽に背を向けザンゲツに向けた。
雑音を振り払うように、一瞬完全な無音を作る。陽の落ちた世界で、弦を爪弾いた。Gm7のコードが世界に響いた。
夕陽の溶けた世界へ引き込まれて、音が、色が、混ざり合って茜色。目を閉じると同時に、リオンの歌も乗る。閉じた瞳の中、先ほどの夕陽がまた顔を出した。毎日同じように繰り返される景色のはずが、こうも心を揺さぶる。あの溶けた世界に行けたなら、朝も夜もない、上も下もわからない黄昏の狭間にこの身も溶けてしまうのだろう。穏やかな歌声が耳に優しい。始めと同じGm7が世界に響くと、やがて涼しい顔をした月が顔を出した。
「音楽とは良いものだな」
芋の皮を包丁で剥きながら、ザンゲツが呟いた。ギターの弦を拭いていたリオンが振り返り、興味深げに目を細める
「ほう?」
「いや、なに。先ほどの歌だ。過ぎた景色を、終わったものを、またこの身に感じられる。あの美しい世界を知らぬ者にも、目に見えるほどなのだろう」
「それは……そう感じたならそうだろう」
ふんと笑って背を向ける。含みのある言葉に、眉を寄せた。
「ふむ、どういうことだ」
「私の音楽を聴いてあの景色が丸々と浮かんだのは、同じ景色を見たからだろう。私はあの景色を見て、色々な事を感じた。色々な事を考えた。その集大成があの歌だ」
布越しに弦をつまんで、一フレットからホールまでつるりと滑らせる。また一フレットまで戻し、次は隣の弦を布越しにつまむ。
「感動、と一括りの言葉にするには感情は多様だ。いくつもの言葉を重ねなければ伝わる事はない。まさしく、同じ景色を見なければわからない、というほどな」
弦を拭き終わると、今度は弦の隙間を縫ってフレットを拭きあげる。一つ一つの楽器に触れる動作は、普段人と相対する時とは打って変わって丁寧なもの。細い指は、複雑な形の楽器の体に沿って器用に磨いていく。
「それでも、同じように何かに感動したその感情はどこかで眠っているはず。同じ経験をしていなくとも、どこかで同じ感情を持った瞬間があるはず。音楽とは、感情に呼びかけるものではないかと私は考えている」
拭き終わって開いた布は全く汚れておらず、頻繁に磨かれているのだろう事を知る。
止めていた手を再度動かし始め、剥き終わった芋の皮を原っぱに捨てた。
「成る程。…ならば、今度ワダツミの線香花火を見せよう。あれも今日の夕陽に負けず、大層綺麗なものだ。我に歌は歌えぬが、是非、見せたい」
言って笑うと、磨かれたギターを持ってリオンが目を細めた。
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