歯切れのいい十六分音符をスタッカートで
歯切れの良い十六分音符をスタッカートで。スナックのように口に放り込めば、きっとカリカリと音を立てて香りを広げる。スネアのような軽いリズムは、きっと舌に乗れば炭酸のように弾けて飛び散る。逃げないように唇でふたをして飲み込めば、胃に落ちるまでに音をしぼめていくだろう。その後には口当たりのいい弦楽器のバラードを。滑らかなスープのように口へ流れ、息を吸うと深い香りが、懐かしい母を思い出すような温かいメロディーが胃の腑に溶け込む。
食事がそういうものであれば良いと、何度思った事か。かさついたパンをひとかけら、千切りもせずにむしゃりと噛んだ。
「そんなに味気がないのか」
言いながら、手の中のパンをひょいとザンゲツに取られた。代わりとでも言うように、茶の入った湯呑を渡される。思いの他熱く、口を付けずにテーブルの端に置いた。
「理想が高いんだ」
「どんな味が好きだ、何か作ろう」
「いらん」
「そう言うな」
人懐っこい笑顔から大きな手が伸び、抑え込むようにぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜた。
自分でもどんなものか分かっていないのだ、どうやって作るというのか。元々食への興味は薄い。何が出ようと口に入れる事はできるが、思った味を、食感を、この舌に乗せられるとは到底思えはしなかった。
台所に立つ背を眺める。歌う気にならず、時折断片的にだけ鳴る鼻歌と、小気味良く鳴る包丁の音に耳を傾ける。ああ、あれが隠し味になっていればいいのに。
音楽を奏でる為に、生み出す為に、音楽以外の経験や知識がこの身を育て心を豊かにし、深みのある音を奏でる。この身を持って存分に理解はしているが、それでもこの身をどこまでも音楽に浸からせていたい。この地を満たす空気の全てに音色が溶け込んでいたら。どこかで奏でられる音楽が世界のどこまでも聴こえたら。きっと音楽に溺れて息も出来ず、幸せに手も足も出ないだろう。考えただけで幸せだ。
その音楽を食らって生きていけたらと、もう何度考えた事か。ありもしない食感を、ありもしない味を、香りを、想像して空気を噛んできた。
ああ、スネアで鳴らすスタッカートを噛み砕きたい。滑らかな舌触りの弦の音を、いや笛の音でも良い、温かく喉を潤したい。音楽をこの身の栄養とできたなら、どんなに良いか。
ジャン、とギターを鳴らした。弦一つ一つを押さえながら調律する。再度ジャンと鳴らす。整列した音が耳に心地良い。Fのコードを押さえ、右手の指先で爪弾いた。高い一弦の音は、まるで星が砕けるように美しかった。
演奏を遮るように、がたんと目の前に低い卓が置かれた。その上に、続けてカップを置かれる。
「できたぞ、簡単だが」
覗き込むと、湯気が立ち上る白いスープがなみなみとカップに注がれていた。そこまで食が進むのかどうか分からないというのに。ギターを置き、寄って匂いを嗅ぐ。ほんのりミルクのような、クリームのような、食欲を誘う香りが部屋に満ちていくのが分かる。続けて、皿に乗せたトーストも並べられた。先程齧っていたパンだが、薄くスライスされ纏う香りも温度も違う。
「先程不味そうに食うていたぱんも、とーすとにしてからばたーを塗れば抜群に美味い。一工夫でどうにでもなるのだ」
ふんと鼻を鳴らし、得意げに頬を上げる。その一工夫の手間を惜しまずする事がそもそも難しいのだと、彼はきっと生涯気付かないだろう。
「ほれ、まずは一口」
「腹は減っていない」
「そう言うな、手掴みだろうが行儀が悪かろうが気にはせん。匙も要らぬなら置いておけ」
割烹着を脱ぎながら卓の向かいに腰を下ろした。リオンにと置いたカップをひょいと取り、口を付ける。
「おい」
「うむ……うむ! 間違いない、美味い、ほれそなたも」
ずい、と再度カップを寄せられた。行儀が悪いのは一体どちらなのか。息を吐き、卓に向かった。さり気なくトーストを1枚くすねられるが、気にはしない。
匙をカップに入れ、ぐるぐると掻き混ぜる。沈んでいた細かな具材がちらりと顔を見せながら回り、薄くなっていく湯気はスープを少しずつ冷ましている事を知らせる。教育もなにもないルストブルグで生きて来た身には匙を正しく持つ方法が分からないが、こぼれぬよう指先で扱い、スープを一口啜った。
「……んん」
「どうだ、美味いだろう!」
急かすように身を乗り出す。まるで答え合わせを待つ子供のようだ。答えずに、もう一口啜った。
ふわりと広がる味は、ああ、確かに滑らかで舌触りが良い。思わず目を閉じた。それほど豪勢な食事とは言えない食生活を送る人生だったが、たかが一つのスープがこれほど。頬の下辺りからじわりと溶けていくようで、思わず口に手を当てた。じっと頬の痺れがなくなるのを待ち、ゆっくりと飲み下す。
匙を置き、持ち上げたカップに口を付けた。傾けて口に含むと、とろみのある中に小さな粒が混じる。舌で潰せるほど柔らかく、スープとは別の、野菜の風味も口に広がる。二口、三口と飲み下し、ほうっと息を吐いた。
「……ああ、確かに美味いな」
少し飲んだだけだが、頬から喉、胸まで、既にふわりと温かみを持ったような。きっと、そうあるように作られたのだろう。スープは、まだ温かい。
「そうだろう。もう何も言うまい」
相変わらず得意げに、スープを飲むリオンを眺めていた。一口飲んでは息を吐き、また一口飲んではカップを置いて口を拭く。早くはない動作を、自分が作ったスープをさも美味そうに飲む姿を、嬉しそうにただ眺めていた。
やがてスープも半分になるかという頃、置いていた薄いトーストを摘まみ、リオンの持つスープに半分程沈めて渡してきた。
「ぱんもな、こうすれば尚美味い」
その身を半分スープで白くしたトーストを受け取り、まじまじとザンゲツを見た。
「ワダツミの人間もこうする文化があるのか」
「はっは、握り飯を汁に浸けるとでも思うたか! ワダツミにはすーぷもぱんもない、だが望むなら今度作ろう」
「好きにすればいい」
言いながら、思わず口端が緩んだ。相変わらず横文字の苦手な男だ。
渡されたトーストを再度スープに浸け、小さく一口、さく、と音を立てて齧った。
「……っ!」
背中がぞわりと粟立つ。カリカリに焼かれた表面が、スープに浸かっても尚、軽やかな音を立てた。さくさくと音が鳴るまま噛み続けて飲み込み、今度はスープに浸けずに一口齧った。先程以上に、爽やかな軽い音が鳴る。
「どうした、まさか口に合わないか」
いつの間にかきつく眉をしかめていたらしい、心配そうにザンゲツが水を用意していたが、首を振って断った。代わりにまたトーストを先程よりも大きく齧り、むしゃむしゃと咀嚼する。口端に付いたパンくずを指先で払い、今度はスープに口を付ける。なるほど、このスープも確かに。思っていたバラードを形にしたなら、きっとこのような舌触りになる。
軽快に鳴る音を、滑らかに胃に落ちる温度を、味わって食べていった。途中から気に入ったのだと理解したザンゲツは何も言わず、黙って頬杖を突き眺め続けている。
最後のトーストを取ると、ザンゲツが笑った。
「気に入ったか」
頷き、またさくりとトーストを齧った。
「理想の味だ」
歯切れの良い十六分音符をスタッカートで。スナックのようではなかったが、胃に落ちていくのはまさしく、理想としていた音楽の味だった。
食事がそういうものであれば良いと、何度思った事か。かさついたパンをひとかけら、千切りもせずにむしゃりと噛んだ。
「そんなに味気がないのか」
言いながら、手の中のパンをひょいとザンゲツに取られた。代わりとでも言うように、茶の入った湯呑を渡される。思いの他熱く、口を付けずにテーブルの端に置いた。
「理想が高いんだ」
「どんな味が好きだ、何か作ろう」
「いらん」
「そう言うな」
人懐っこい笑顔から大きな手が伸び、抑え込むようにぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜた。
自分でもどんなものか分かっていないのだ、どうやって作るというのか。元々食への興味は薄い。何が出ようと口に入れる事はできるが、思った味を、食感を、この舌に乗せられるとは到底思えはしなかった。
台所に立つ背を眺める。歌う気にならず、時折断片的にだけ鳴る鼻歌と、小気味良く鳴る包丁の音に耳を傾ける。ああ、あれが隠し味になっていればいいのに。
音楽を奏でる為に、生み出す為に、音楽以外の経験や知識がこの身を育て心を豊かにし、深みのある音を奏でる。この身を持って存分に理解はしているが、それでもこの身をどこまでも音楽に浸からせていたい。この地を満たす空気の全てに音色が溶け込んでいたら。どこかで奏でられる音楽が世界のどこまでも聴こえたら。きっと音楽に溺れて息も出来ず、幸せに手も足も出ないだろう。考えただけで幸せだ。
その音楽を食らって生きていけたらと、もう何度考えた事か。ありもしない食感を、ありもしない味を、香りを、想像して空気を噛んできた。
ああ、スネアで鳴らすスタッカートを噛み砕きたい。滑らかな舌触りの弦の音を、いや笛の音でも良い、温かく喉を潤したい。音楽をこの身の栄養とできたなら、どんなに良いか。
ジャン、とギターを鳴らした。弦一つ一つを押さえながら調律する。再度ジャンと鳴らす。整列した音が耳に心地良い。Fのコードを押さえ、右手の指先で爪弾いた。高い一弦の音は、まるで星が砕けるように美しかった。
演奏を遮るように、がたんと目の前に低い卓が置かれた。その上に、続けてカップを置かれる。
「できたぞ、簡単だが」
覗き込むと、湯気が立ち上る白いスープがなみなみとカップに注がれていた。そこまで食が進むのかどうか分からないというのに。ギターを置き、寄って匂いを嗅ぐ。ほんのりミルクのような、クリームのような、食欲を誘う香りが部屋に満ちていくのが分かる。続けて、皿に乗せたトーストも並べられた。先程齧っていたパンだが、薄くスライスされ纏う香りも温度も違う。
「先程不味そうに食うていたぱんも、とーすとにしてからばたーを塗れば抜群に美味い。一工夫でどうにでもなるのだ」
ふんと鼻を鳴らし、得意げに頬を上げる。その一工夫の手間を惜しまずする事がそもそも難しいのだと、彼はきっと生涯気付かないだろう。
「ほれ、まずは一口」
「腹は減っていない」
「そう言うな、手掴みだろうが行儀が悪かろうが気にはせん。匙も要らぬなら置いておけ」
割烹着を脱ぎながら卓の向かいに腰を下ろした。リオンにと置いたカップをひょいと取り、口を付ける。
「おい」
「うむ……うむ! 間違いない、美味い、ほれそなたも」
ずい、と再度カップを寄せられた。行儀が悪いのは一体どちらなのか。息を吐き、卓に向かった。さり気なくトーストを1枚くすねられるが、気にはしない。
匙をカップに入れ、ぐるぐると掻き混ぜる。沈んでいた細かな具材がちらりと顔を見せながら回り、薄くなっていく湯気はスープを少しずつ冷ましている事を知らせる。教育もなにもないルストブルグで生きて来た身には匙を正しく持つ方法が分からないが、こぼれぬよう指先で扱い、スープを一口啜った。
「……んん」
「どうだ、美味いだろう!」
急かすように身を乗り出す。まるで答え合わせを待つ子供のようだ。答えずに、もう一口啜った。
ふわりと広がる味は、ああ、確かに滑らかで舌触りが良い。思わず目を閉じた。それほど豪勢な食事とは言えない食生活を送る人生だったが、たかが一つのスープがこれほど。頬の下辺りからじわりと溶けていくようで、思わず口に手を当てた。じっと頬の痺れがなくなるのを待ち、ゆっくりと飲み下す。
匙を置き、持ち上げたカップに口を付けた。傾けて口に含むと、とろみのある中に小さな粒が混じる。舌で潰せるほど柔らかく、スープとは別の、野菜の風味も口に広がる。二口、三口と飲み下し、ほうっと息を吐いた。
「……ああ、確かに美味いな」
少し飲んだだけだが、頬から喉、胸まで、既にふわりと温かみを持ったような。きっと、そうあるように作られたのだろう。スープは、まだ温かい。
「そうだろう。もう何も言うまい」
相変わらず得意げに、スープを飲むリオンを眺めていた。一口飲んでは息を吐き、また一口飲んではカップを置いて口を拭く。早くはない動作を、自分が作ったスープをさも美味そうに飲む姿を、嬉しそうにただ眺めていた。
やがてスープも半分になるかという頃、置いていた薄いトーストを摘まみ、リオンの持つスープに半分程沈めて渡してきた。
「ぱんもな、こうすれば尚美味い」
その身を半分スープで白くしたトーストを受け取り、まじまじとザンゲツを見た。
「ワダツミの人間もこうする文化があるのか」
「はっは、握り飯を汁に浸けるとでも思うたか! ワダツミにはすーぷもぱんもない、だが望むなら今度作ろう」
「好きにすればいい」
言いながら、思わず口端が緩んだ。相変わらず横文字の苦手な男だ。
渡されたトーストを再度スープに浸け、小さく一口、さく、と音を立てて齧った。
「……っ!」
背中がぞわりと粟立つ。カリカリに焼かれた表面が、スープに浸かっても尚、軽やかな音を立てた。さくさくと音が鳴るまま噛み続けて飲み込み、今度はスープに浸けずに一口齧った。先程以上に、爽やかな軽い音が鳴る。
「どうした、まさか口に合わないか」
いつの間にかきつく眉をしかめていたらしい、心配そうにザンゲツが水を用意していたが、首を振って断った。代わりにまたトーストを先程よりも大きく齧り、むしゃむしゃと咀嚼する。口端に付いたパンくずを指先で払い、今度はスープに口を付ける。なるほど、このスープも確かに。思っていたバラードを形にしたなら、きっとこのような舌触りになる。
軽快に鳴る音を、滑らかに胃に落ちる温度を、味わって食べていった。途中から気に入ったのだと理解したザンゲツは何も言わず、黙って頬杖を突き眺め続けている。
最後のトーストを取ると、ザンゲツが笑った。
「気に入ったか」
頷き、またさくりとトーストを齧った。
「理想の味だ」
歯切れの良い十六分音符をスタッカートで。スナックのようではなかったが、胃に落ちていくのはまさしく、理想としていた音楽の味だった。
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