人とエルフの楽器の音

 耳の奥、ばちばちと生の樹が焼ける音が聴こえた。秋の風に起きる山火事とは違う。人間の、怒号のような歌が聴こえた。武器同士がぶつかる金属音、草木を踏み倒す大勢の足音、その軍勢を鼓舞する荒々しい楽器と、がなるような歌。
 さらさらと流れる清らかな小川は、ブーツで踏み込まれれば泥が舞い上がり濁っていく。踏まれた草木は蕾すら落ちて火に焼かれる。武器は、何人もの同胞を刺し貫いていった。涼やかで清らかな森は、人間によって炎を纏った。
 どうして、その人間を愛せよう。
 行軍しながら奏でられる音色は味方を鼓舞し、敵を威嚇するもの。楽器はまるで武器のよう。叩くように奏で、歌いながらやってくる。森の音をかき消すその景色は目の奥に焼き付き、耳にいつまでもこびりついた。



「……っ」
 はっと顔を上げると、リオンが演奏の手を止め目を丸くしていた。演奏の最中、うっかり船をこぎ始めていたらしい。
「すまない、穏やかな音色だったものだから、つい」
 表情が乏しいリオンは、見慣れれば唇の端を僅かに上げて見せているのが分かる。何度か顔を合わせるうちに気付いた事だが、笑っているつもりらしい。不器用な表情だ、とも思ったが、それがさも楽し気に見えるようになった自分にも驚く。
「気にするな、子守唄とでも思えばいい」
 続きを弾こうか別の楽器を弾こうか、迷う間森は木の葉を揺らして風の在処を報せた。ナサリオ達の頭上で、木の枝を揺らして鳥が飛び立つ。ちち、と囀るのは別の鳥。リオンの演奏を先程まで聴いていた鳥は、餌を探しにでも行ったのだろうか。
 静かな森の中は、耳を澄ませば生き物の音が多くある。流れる水の中では小魚や水棲の蜥蜴が遊び、樹では鳥が、草むらでは虫が跳ねる。この地の空気に色があるならば、ふんわりとした緑色をしている事だろう。もしくは澄んだ水の色か。どちらにしても、清らかな空気はやわらかくこの森を包んでいた。
「先程、私の音色以外何か聴こえていたのか?」
 まだ弦は弾かれない。楽器でなく言葉で問うリオンは、じっとナサリオの顔を見ていた。
 目を擦る。リオンが奏でる音につられてうつらうつらと体を傾けてしまったのだろうか。
「いや、君の演奏を聴いていたつもりだ。眠気がある訳ではないのだが……」
「そうじゃない、何か嫌なものが聴こえているように見えたんだが。気のせいか?」
 細められた目に見つめられる。
何か嫌なものが。言われ、頭の奥で金属がぶつかる音が鳴った。遠い昔に起こった事。エルフの清らかな森を燃やしながら響いた楽器の音、怒声のような歌。
「……聴こえていたんだな」
「っ! 君の音色のせいでは!」
「人間の楽器はそれほど嫌か」
 ぴちち、と鳥が羽音を立て居心地悪そうに飛び立つ。
 夢うつつに聴いたあの音は、音色と呼ぶには暴力的だった。きんきんと響く金属音と、殴られて悲鳴をあげる弦の音がまだ耳の奥で響いている。
「音楽は、様々な種類がある。楽器にも、人にも、エルフにもそれは言えるだろう」
 リオンはハンカチを取り出すと、持っていた楽器を丁寧に拭き始めた。それほど長い時間演奏していた訳ではなかったのだが。
「好き嫌いは誰にでもある。全てを受け入れるなど、たとえ高貴なハイエルフでもできやしないさ」
 森は静かにリオンの声を聞く。リオンの声と、楽器の体から鳴る、音色でない音を。
「……君の奏でる音が、人間達の野蛮な音と同じだとは到底思えない」
 着々と拭き上げられる楽器は丁寧に磨かれ、大切に扱われているのだろう事と、今日の演奏が終わるのだろう事を伝える。名残り惜しい、というには言葉が拙い足りない。
 弦を一本一本、摘まんで上から下へ。リオンに拭かれる弦はもう演奏を終えてしまう事に不満を垂れるよう、きゅうっと音を立ててナサリオの耳に届いた。
「君の楽器を否定した訳ではない」
「分かっているさ。しかし、合わない日は聴かないに限る」
 弦を拭いた後はボディを磨く。艶のあるリュートは愛用している物だろうか。拭いているハンカチに汚れは付かない。常日頃から丁寧に拭き上げられているのだろう。

 人間の音が大嫌いだ。それが変わる事はきっとこれから先もない。耳に残る音は間違いなく人間の楽器の音。
 しかし、リオンの音もまた人間が作り出した音。自らの半分、心を人間と例えたリオンが奏でる音も、きっと人間のものだろう。

 楽器の出生がどうであれ、リオンが奏でる音色はこの森と調和していた。囀る鳥はあわせるように囀り、川のせせらぎは添えるように滴を跳ねさせる。森が受け入れた音色を、まるで聞き分けのない子供のように否定したように見えたのだろうか。仕舞われていく楽器から、文句さえ聞こえてくる気がする。
「笛はどうだ?」
「……笛?」
 顔を上げる。なんでもない事のように、リオンは次の楽器を取り出していた。先程よりは小さいが同じく弦の張られた楽器、細長い楽器、木でできたような楽器など、次々に取り出しては並べていく。人間が持っていた楽器が多くあるが、見た事のない楽器も多く混じっている。
「それは……」
「人間の楽器に詳しくはないだろう。見た事も聴いた事もないものがあるはずだ。気になるものを選ぶといい、私はそれを演奏しよう」
 自信がある、とでも言いたげにふんと鼻を鳴らす。先程と同じよう、口端を僅かに上げて見せている。
 黙ると、楽器を並べる手を止めてナサリオを見た。
「どれも嫌だ、と?」
「まさか! もう帰ってしまうのかと……」
「聴き足りないという顔をして何を」
 悪戯に。リオンはいくつもの人間の楽器を持ち、いかにも楽し気に笑う。
 好き嫌いは誰にでもある。相性や波長の事を言ったのだろうが、嫌いなものでも奏でる者によって音色が変わるように思えるのは気のせいだろうか。
「君が楽器を持つと、森が耳を傾けるように思える」
「私の音色を否定するのは人間とエルフくらいだ」
「耳が痛い話だ」
 鳥が羽音を立てて戻ってきた。ちち、と鳴いて催促しているようにも感じる。選ぶように一つ、また一つと楽器を手に取るリオンを待つよう、森は静かに音色を待っている。
 気になる楽器を指すと、頷いて笛を手に取った。

 森の中にふくそよ風のような音色。この場のいくらのものがこれを聴いているのだろう。リオンの音色は、大きくはないが、空気に染みるよう涼やかに響く。
 人の作り出す物は、音色さえも乱暴だと思っていた。それも弾く者次第という事なのか、それとも聴く者次第という事なのか。先程片付けられた楽器は未だ恨めし気に静かにしている。まだ嫌われているのでなければ、彼の音も聴きたい。リオンの音も受け入れられたのなら、彼の音もきっと好ましく聴こえる筈だ。
 待っていましたとばかりに、鳥が歌った。

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