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2018.8.26 ”SOUND STER 2” 『二番目に愛してる』




一  墓参り




 リビングで絵本を読んでいたら、うっかり眠ってしまった事がある。そよ風は心地よく、窓際の風鈴は夢を誘う。薄目で、母が洗濯物を畳んでいるのが見えた。もうすぐベッドで寝る時間なのは分かっていたが、体はどうしても、大きな座布団を掴んで離さなかった。
「……育江、ここで寝ているぞ」
「あらあら」
 男の人が私の側に寄ると、屈んで顔を覗き込んできた。起きてベッドに行け、と言われるのが嫌で、ぎゅっと目を閉じる。怒られるかと思ったが、薄い布団をかけられた。
「ベッドに連れていこうか?」
「うーん……いいえ、どうせなら、今日は皆で雑魚寝しましょうか」
「それは……私もか」
「ええ」
 楽しそうな母の声と、男の人の低い声が相談している。聞き取れない所もあったが、自分が寝転がる側に布団が敷かれるのを見ると、まるで突然の遠足が始まったかのような幸せが胸にあふれた。目の前に母が寝転がり、被せられた布団の上から私の肩や頭を撫でる。嬉しくて嬉しくて、目をぎゅっと閉じたまま母にすり寄って胸に顔を寄せた。一緒に入ったお風呂の匂いがする。
「起きていたの?」
 返事をせず、母の首に鼻を寄せ頬ずりした。母の長い髪が顔にかかるが、構わなかった。
「さてと、私も失礼して」
 後ろから男の人の声がする。私が寝転がる座布団が少し揺れた後、肩に手を置かれた。鼓動の半分の遅さでゆっくりとリズムを取られる。嬉しくて跳ね上がっていた心臓がその手でなだめられていくようで、また眠さに体が落ちていく。
 それだけの事が、ただ幸せだった。



 十を少し過ぎた年齢。少女は、ドアを開けるとすぐに開ける海の景色が好きだった。潮風を正面から受け止められる小高い丘、天気が良ければ遠くの大きな島が見える。いつも強い風が吹き抜けていた。玄関を開け放ち、そろりと周囲を見渡してから裸足で階段を踏む。
「行儀が悪いな」
 低い声にぎくりと肩を震わせた。頬をむくれさせて庭を見ると、喉の奥を振るわせて笑う男がいた。
「おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
 バツの悪そうな少女の顔が愉快に映ったのか。白いスーツに身を包みこうもり傘を携える男、こうもりおとこは、寄って少女の頭を撫でた。
「前に持ってきた履物があるだろう。また家の中が砂まみれになる」
「ちゃんと掃除しているもの。たまに帰ってきてそう言うの、おせっかいって言うんでしょ」
「なんだ、勉強は真面目にしているじゃないか」
 少女の黒髪は櫛で梳かれてはいないが、真っ直ぐな髪質の為か多少掻き混ぜようと絡まりもしない。手を離されてふるふると頭を振ると、元のおかっぱ頭に戻った。少し前に訪れた時よりも伸び、毛先は肩に触れる程になっている。じっと見つめる少女の目にも、揃えた前髪がかかり始めていた。
「そろそろ、切るか」
「短い方が好き?」
「いいや、邪魔ではないかと思ったからだが」
「……ふうん」
 味気ない返事をする。ととと、と軽い足音を鳴らして家の奥へ走って行くと、鋏と共に、つるりと滑らかな布を持って戻ってきた。
「あっ、椅子も」
「いい、椅子は私が持とう」
 言うとこうもりおとこは靴を履いたまま家に上がり込む。
「お靴!」
「おっと、つい」
 高い声の注意にひょいと片足を上げて見せ、玄関に靴を揃えて脱ぎながらまた家へ上がり込んだ。勝手知ったる家。手頃な椅子を取り、少女の後をついて庭へ出る。少女が庭でやっている畑の隅まで行き、足首程もない雑草が生える土の上に椅子を置いた。家の陰になっているここならば、潮風が強く当たる事もない。少女の髪を切る時はいつもここへ来た。平らではない土の上、がたがた揺れる椅子の背もたれを押さえて少女を促す。手慣れた様子でこうもりおとこに布を渡して椅子に座ると、こうもりおとこも慣れたように少女の首から下をすっぽりと包み、首元で布の端を結ぶ。
「今回はどう切る」
「お母さんみたいに」
「育江はもっと長かったといつも言っているだろう。お転婆娘には似合わない」
「むう……いつもと一緒でいい」
「ああ」
 頷いた。胸元から櫛を取り出し髪全体を梳くと、髪表面がつるりと光を滑らせた。首の後ろから一房取り、鋏を横にして揃えて切る。しゃくしゃく、と音を立てて短い毛が草むらに落ちる。いくつかは少女に巻き付けた布の上を滑って草むらに落ち、いくつかはこうもりおとこの服に付いた。
話題の一つもなく、真剣な顔で毛先を揃えていった。


 少女の顔を真正面から覗き込む。すとんと左右対称に揃った髪は少しのミスもなく、綺麗なおかっぱが出来上がった。ふるふると頭を振ると、細かい髪が落ちながら、流れるように揺れた。
「似合っているな」
 笑っているのかそうじゃないのか。どうにも読みづらいこうもりおとこの表情は、目を合わせ続けるのは難しい。ふいっとそらして椅子から降りると、首に巻いていた布を解いてはたき、丁寧に折り畳んだ。
「……ご飯作ってくる」
「何か言う事は?」
「ありがとうっ」
「ああ。食事に髪が入るぞ、一旦風呂に入った方が良い」
「分かってる!」
 語気を強めて、家に走る。背後で笑われた気がしたが、構わず庭の角を曲がって視線から逃げた。


 玄関で揃えて靴を脱いだこうもりおとこが、座って少女を眺める。愛用のこうもり傘は丁寧に椅子に掛けていた。
 こうもりおとこが家に来る日はいつも作るものは決まっている。冷蔵庫からいくつか取り出したニワトリの卵を両手で割って皿に落とし、マヨネーズを足して掻き混ぜる。白くふんわりと溶いた卵を、バターを乗せた熱いフライパンに流し込む。
 オムライスは、少女が好きな料理だった。小さい頃は育江に頼んで作ってもらっていた。
「前より手際が良くなったんじゃないか?」
「何歳になったと思ってるの」
「さあな。私にとってはまだ子供だ」
 背中を向けているが、むっと口を尖らせたのが分かったのだろうか。こうもりおとこは鼻を鳴らして笑った。それにまた腹が立って、絶対に振り向くまいと意地になる。いつまでも子供だと言って笑うこうもりおとこは、物心ついた頃から同じ姿をしている。彼には、少女の姿は幼く愉快なものなのだろうか。
 バターの香りが卵に混じり、箸で掻き混ぜれば厚く柔らかい卵焼きが出来上がる。皿に盛ってあったチキンライスの上に被せ、スプーンを添えてテーブルに置いた。遅れてケチャップもかけられる。すぐに二皿目も作られ、こうもりおとこの向かいに少女が座って手を合わせた。
「ドレスドはまだ難しいか」
「何、それ?」
「今度料理の本を持ってこよう」
 言いながら、手を合わせた。少女の前に置かれると自然だが、彩り鮮やかなオムライスはこうもりおとこの手前に置かれると違和感がある。それでも器用に指先でスプーンを持ち口に運ぶ所作は丁寧。食器が当たる音や咀嚼音が聞こえないのは気のせいか。
「……やっぱり、お母さんみたいには作れないね」
「しかし、前よりも美味くなっている」
「こうもりおとこさん、お母さんの味覚えてるの?」
「お前が同じものを作れば思い出せるかも知れないな」
「……私は、もうお母さんが作った味忘れちゃったかも知れない」
「……また、食べたいな」
「そうだね」
 かつん、とスプーンで皿をつついた。しんと食卓が静まる。
 先にこうもりおとこが食事を終え、手を合わせた。
「そうだ、読み書きの練習。せっかく手紙を書いているんだ、ちゃんと返事を書いてくれないか。平仮名はもう覚えただろう」
「漢字も書けるよ。もう子供じゃないもの」
 もぐ、と食みながら、ふにゃりと顔を和らげた。
 少女は頭の良い子だ。小さい頃から育江が絵本を読んで聞かせていた時に身につけたのか、気付けば平仮名程度は難なく読めるようになっていた。漢字はむらがあるが、読み仮名が付いていれば多少厚い児童書も読める。ただ書く事はできるのか。気になって手紙のやり取りを提案したのだが、少女から返事が届いた事は一度もなかった。
「こうもりおとこさんに書いていい言葉が見つからないの」
「なんでも良いさ、ここで見た事、聴いた事、思った事。あるだろう」
「ラブレターでも良い?」
「お子様のラブレターとは興味深い。是非読ませてくれ」
 冗談めかせていう少女に同じく冗談を返すよう笑って見せると、途端にむっと顔を硬くした。ごちそうさま、と食事に手を合わせ、こうもりおとこの食べ終わった食器も一緒にシンクに置く。
「こうもりおとこさんが好きなのはお母さんでしょ」
 鋭い言葉が、まるで刃のように向かってくる。まだうまく言葉も操れないような子供が、それでも選ぶ言葉に容赦はない。ざっと手を洗い、奥の部屋へ駆けていく。
「お前も、育江の事が好きだろう」
「大好きだよ。こうもりおとこさんよりも、ずっとずっと。お母さんが大好き」
「……そうだな」
 部屋の奥から物音がする。その間に、こうもりおとこが台所に立ち皿を洗った。
 幼い頃からこの島の村はずれで育った少女は、あまり人との関わりを持たず生きてきた。育江と共に暮らしていた家とこうもりおとこが贈った本、それとこの家周辺の自然、たまに行く村での交流。それが少女の持つ全てだった。庭の畑で育てる作物で食料は補える。それを村に持って行けば別の物が手に入る。少ない物と人のやり取りの中、静かに生きてきた。
 その中で幼い頃から訪れる見知った顔、狭い世界の中、こうもりおとこを頼りにするのは仕方がない事だろうか。
 少女に、もっと広い世界を見せてやりたい。それは、幼くも好いてくれている少女にとっては失礼な事なのだろうか。
「準備、できたよ。行こう」
 少女が奥の部屋から顔を出す。膝丈の白いワンピースに、懐かしい麦わら帽子がてっぺんに乗っている。
 日差しを避けた顔にうっすらと照り返す光。少女が、まだ赤ん坊だった頃を思い出す。抱いてあやす育江は、赤ん坊の顔を見て幸せそうに笑っていた。それほど遠い昔ではなかったはずだが、懐かしい。
「育江のか」
「似合う?」
「ああ」
 頷くと、笑った。まだ子供だが、面影が色濃くある。嬉し気に笑う目元は特に。
 玄関に出ると、ボトルに水を汲んで少女が付いてきた。
「途中でお花摘もうね」
「ああ、育江の墓の近くに咲いているだろう」
 歩き出すと、走り寄って手を握られた。見下ろすと少女もじっと見つめてくる。振り解かれないと確認したのか、嬉し気に前を見て歩き出した。
 小さな手が、きゅっと手をつなぐ。何の意図があってか。今となっては分からなくもないが、やはり人間の、特に少女の考えは汲み取り切れない。握り返してみると、弾かれたように少女が顔を上げた。何か不味かったかと思ったが、異論が飛び出す事はない。
 少女の住む家からは少し離れた海岸の墓まで、手を繋いで歩いていた。



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