第2章 ~オドゥム編~
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
彼女を日本に連れて帰るのは無理だとすぐに分かった。
『エミリー、聞こえますか?私は藤枝の使いでやってきました』
エミリーの耳元に口を近づけ、英語で話しかけてみる。しかし彼女の体は何の反応も示さない。
さくらはエミリーのベッド周りを調べた。
1冊のノートが目に留まる。どうやら日記のようだ。開いてみると最後の日付は約1ヶ月前だった。
病気への恐怖、死への恐怖、愛する恋人への感謝の言葉が並ぶ。
恋人の名は…やはり藤枝だった。日記を元に戻し、さくらは部屋を出る。そしてカルテをナースステーションに返し、安室を探した。
2階の外来廊下で安室の姿を見つけ、「パクさん」と声をかけた。安室もこちらに気付き、ふたりは歩み寄る。
「パクさん体調はどうですか? 散歩もほどほどにね」
優しい笑顔を見せ、医師らしい言葉をかけた。
そのまま安室の耳元で「作戦変更」と囁く。
安室はわずかに目を見開くが、すぐに元の笑顔に戻った。そのまま二人で病院の中庭へと移動した。
周りに誰もいないことを確認して、二人は中庭のベンチに座った。
「作戦変更とはどういうことですか?」
安室はさくらに訊ねた。
「エミリー・ハワードは末期ガンで、すでに人工呼吸器を付けています。カルテによれば脳にも転移していて、すでに意識は無い。先ほど本人の姿も確認してきましたけど…正直あと1ヶ月もたない…。彼女を飛行機に乗せるどころか、病院から動かすことももう無理です」
思った以上に深刻な病状に、安室も言葉を失う。
「ジンに指示を仰ぐしかないですね」
「僕が連絡を入れてみます」
「お願いします。私は担当医にも直接話を聞いてみます」
ふたりはすぐに席を立ち、お互い別方向へと動き出した。
人気のない中庭の一角で、安室はジンに電話をかけた。エミリー・ハワードの病状を伝える。
「チッ!」
電話の向こうでジンの舌打ちが聞こえた。しばらく沈黙がある。
「作戦変更だ。お前たちは日本に戻り、成田で待機していろ。また連絡する」
それだけ言ってジンは電話を切った。
さくらは主治医からも話を聞いたが、自分の見立てとほぼ同じ、エミリー・ハワードの余命は1ヶ月を切っていると言われた。いつ何が起きてもおかしくないという。
さくらは厳しい現実に歯噛みする。
愛するものを失う悲しみ。藤枝という男に会ったことはないが、あの思いをその男もするのかと思うと心が痛んだ。
「は…は…はっ…」
動悸がして少し呼吸が苦しくなる。息を吐く方に意識を集中するが、上手くいかない。さくらは白衣のポケットに手を入れると安定剤を取り出す。
一粒シートから出し、院内の水飲み場で飲み込んだ。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
目を閉じ、大丈夫…大丈夫…と暗示をかける。
いつも自分を抱きしめてくれる赤井の手のひらを思い出す。壁に手をついて気持ちが落ち着くのを待った。
するとふいに肩を抱かれ、そのまま非常用の階段室に連れ込まれた。
バタン!
扉が閉まると同時に抱きしめられた。
「大丈夫ですか?」
安室の声が上から聞こえてきた。一瞬襲われた時のことが脳裏に蘇り、体が強張る。
トクトクトクトクトクトク…
耳を押し付ける形になった安室の胸から、心臓の音が聞こえる。彼もまた緊張しているようだ。鼓動が驚くほど速い。
それを聞いているうちに、さくらは自分の肩の力が抜けるのを感じた。
やがてさくらの呼吸も徐々に整う。
「ありがとうございます。もう大丈夫…」
礼を言って安室から体を離した。
「それでジンはなんて?」
額に滲んだ汗をぬぐいながら安室に問いかけた。
「日本に戻り、成田で待機だそうです。おそらく藤枝を半ば強制的に連れてくるのでしょう。成田で合流し、藤枝を説得しろと言われますよ、きっと」
安室の推理はたぶんアタリだ。切り札としてエミリーがこちらの手の内にあれば説得はラクだったのだが…。
さくらはふ~っと大きく息を吐いた。
実はさくらには一つ引っかかることがあった。元々武器商人だった藤枝がオドゥムの情報屋となった理由だ。エミリーの命を盾に取られていたのは分かる。
だが、先ほどカルテを見て気付いた。エミリーがガンの発症に気付いたのは今から3年前。藤枝が情報屋として動き出したのがここ1~2年ほど。
死の病を患う彼女の命を盾に取るなら、もっとやりようが……
そこまで考えたとき、一つの仮説が浮かんだ。
オドゥムは藤枝を操るために、『エンジェルダストを利用すれば彼女の病気が治るかもしれない』とそそのかしていたら?
藤枝は愛する恋人を助けるために、死に物狂いでエンジェルダストにつながるデータを探すだろう。死期の近づいたエミリーのそばにいない事の説明もつく…。
背筋がゾクリとした。
一瞬めまいを起こして足元がフラつく。
「おっと!」安室に両肩を掴まれた。
「本当に大丈夫ですか? 顔色が真っ青だ」
血の気を失った顔は今にも意識を失ってしまいそうだった。
とにかくいつまでも医師と患者が一緒にいるわけにもいかない。さくらは階段室でしばらく休んでから、更衣室で着替えをして病院を出ることにした。
一方の安室は階段室を出てトイレで点滴と包帯を外し、更衣室で普段着に着替えると一足先に病院を後にした。
***
先に病院を出た安室は、近くのコンビニでさくらを待っていた。そこで20分ほど待っただろうか。病院からさくらが出てきた。
先程よりは幾分良いものの、顔色が悪くうつむき加減だ。
安室はコンビニを出て声をかける。
彼の顔を見たさくらは少しホッとした表情をするものの、「もしかしたら藤枝を説得するのは難しいかもしれない」と安室に訴えた。
その顔は色を無くし、まるで病人のようだった。