第8章 ~新たな決意を胸に~
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1時間半後——
特別病棟の一室でりおは眠っている。昴がすぐ隣でイスに腰かけ、様子を見ていた。
コンコン
「はい」
ドアのノックの音で昴は立ち上がり、病室のドアを開ける。そこには冴島が立っていた。
「沖矢くん……」
やや青ざめた顔で冴島は病室に入る。りおの方へ視線を向け、唇を噛んだ。
「わざわざありがとうございます」
昴が冴島に声をかける。
「いや、こちらこそ連絡をもらってすまない。で、りおの様子は?」
昴が用意したイスに座ると、間を置かずに冴島は問いかけた。
「治療の方は少しずつですが進んでいます。が、それも一進一退といったところです。最近はだいぶ体調も整ってきていたのですが……」
残念そうに視線を落とす昴に、冴島は「そうか」とだけ答えた。
「それで、先程送った写真についてですけど……」
今度は昴が冴島に問いかけた。
「ああ、小児科にあった本棚の写真だね」
「ええ。たくさんあった絵本のうちのどれかを見て、りおは頭痛を起こしたようです。どの本を見てそうなったのかは分かりません。もしお気づきのことがあれば…と思い、メールしたのですが」
二十年も前のことだ。しかもりおは祖父母に育てられており、冴島と会った回数はそう多くはない。冴島も、そこまで詳しくは覚えていないだろう。
それでも、例えどんな小さなことでも分かればと思い、メールを送っていたのだ。
「沖矢くん。これを見てくれないか」
冴島は持っていたバッグから一冊の本を取り出した。
「これは…」
手渡されたのは『三匹の子ブタ』の絵本。年季も入りかなり使い込まれてはいるが、大きな痛みもなく大事にされていたのが分かる。
「送られた写真を見た時、見覚えのある本があったんだ」
冴島の表情がフッと緩んだ。
「警察学校に入って間もなく、りおの祖母が病気で亡くなった。春になったら納骨すると、当時担当教官だった俺に、りおは報告に来たんだ。
そして春、卒業間近に納骨を済ませ、その数日後に突然『家を売りたい』と俺に相談して来たんだよ」
「家を?」
昴が不思議そうに訊ねた。
「ああ。警察官になれば基本的に交代勤務だから、家の管理などは行き届かないだろうと。
特に広瀬の実家は郊外にある庭付きの一戸建て。しかもけっこうデカい家だったから、自分一人では管理しきれないと考えたんだろうな。
何より……誰もいない家に帰るのがイヤだから、とも言っていた…」
天涯孤独となったりおにとって、『おかえり』と言ってくれる人が居ない大きな家は《寂しさ》をより強く感じる場所。本人もその事を分かっていたのだろう。
「祖父母との思い出の品と、自分の記憶には残っていない両親の物を数点手元に残して、その他のものは家を売る時にほとんど処分してしまったよ。
その後は公安で用意したアパートに移り住んだようだが、私物は本当にわずかしか残っていなかったようだ。
当時彼女の教育係だった奴が知り合いでね。ソイツが公安を離れた時に、そんな話を聞かせてもらったよ」
冴島はわずかに微笑むと、眠っているりおの顔を見た。
「家を処分する直前、俺は一真の書斎にあった本やノートなど数点をコッソリ持ち出した。何か残しているかもしれないと思ってね。その時に絵本も何冊か持って来たんだ。
その中でも、この本は群を抜いて読み込まれていた。りおにとって大切な本だったんだろうな、と思ったんだよ。
彼女はまったく覚えていないが、いつか思い出した時に手渡せれば良いな……そんな軽い気持ちで持ち出したんだ」
冴島の話をジッと聞いていた昴は、何度か小さくうなずいた。
「あれから何年も経ってすっかり忘れていたんだが、貰った写真にこれと同じ背表紙が映っていてね。突然、その時のことが思い出されて……もしかしてと思ったんだ」
「なるほど……それで急いでこちらに持って来てくださったのですね」
昴は受け取った絵本を広げた。
『三匹の子ブタ』は元々イギリスのおとぎ話。お話自体は300年以上前からあるが、1933年にW.D社がアニメーション化して有名になった経緯がある。
長い年月の中で多少物語が変わったところもあるが、大筋では〈わらの家〉〈木の家〉〈レンガの家〉が出てきて、最終的にオオカミは懲らしめられてしまう——というものだ。
「では、りおの父親はこの絵本をりおに読み聞かせていた。最後に懲らしめられてしまうオオカミを可哀想だという娘のために、彼は創作話をするようになった。
やがてその創作話の中に、自分たちが調べた資料の隠し場所を、暗号として入れることを思いついた、ということですね?」
「ああ、それで間違いないと思う。この絵本を見れば、りおは何かを思い出すかもしれん。だが、今はまだその時ではないと思うんだ。
これは君に預けておく。りおの一番近くに居る君が『大丈夫だ』と思った時に、渡してやってくれないか」
冴島の申し出に昴はうなずいた。
「分かりました。その時が来たら……私からりおに渡します」
「頼んだよ」
昴の真剣な顔を見て、冴島は嬉しそうに微笑んだ。
冴島が帰ったあとしばらくして、りおが目を覚ました。倒れた時のことは記憶が曖昧で、自分が本棚に目を向けたことも覚えていない。
「治療で疲れていたのでしょう」と、昴は多くを語らず、冴島が来たこともりおには伝えなかった。
(いずれ全てを思い出す日が来る。今は急ぐ必要はない……)
工藤邸へと帰る道すがら、助手席でぼんやり景色を眺めるりおを、ペリドットの優しい瞳が見つめていた。
特別病棟の一室でりおは眠っている。昴がすぐ隣でイスに腰かけ、様子を見ていた。
コンコン
「はい」
ドアのノックの音で昴は立ち上がり、病室のドアを開ける。そこには冴島が立っていた。
「沖矢くん……」
やや青ざめた顔で冴島は病室に入る。りおの方へ視線を向け、唇を噛んだ。
「わざわざありがとうございます」
昴が冴島に声をかける。
「いや、こちらこそ連絡をもらってすまない。で、りおの様子は?」
昴が用意したイスに座ると、間を置かずに冴島は問いかけた。
「治療の方は少しずつですが進んでいます。が、それも一進一退といったところです。最近はだいぶ体調も整ってきていたのですが……」
残念そうに視線を落とす昴に、冴島は「そうか」とだけ答えた。
「それで、先程送った写真についてですけど……」
今度は昴が冴島に問いかけた。
「ああ、小児科にあった本棚の写真だね」
「ええ。たくさんあった絵本のうちのどれかを見て、りおは頭痛を起こしたようです。どの本を見てそうなったのかは分かりません。もしお気づきのことがあれば…と思い、メールしたのですが」
二十年も前のことだ。しかもりおは祖父母に育てられており、冴島と会った回数はそう多くはない。冴島も、そこまで詳しくは覚えていないだろう。
それでも、例えどんな小さなことでも分かればと思い、メールを送っていたのだ。
「沖矢くん。これを見てくれないか」
冴島は持っていたバッグから一冊の本を取り出した。
「これは…」
手渡されたのは『三匹の子ブタ』の絵本。年季も入りかなり使い込まれてはいるが、大きな痛みもなく大事にされていたのが分かる。
「送られた写真を見た時、見覚えのある本があったんだ」
冴島の表情がフッと緩んだ。
「警察学校に入って間もなく、りおの祖母が病気で亡くなった。春になったら納骨すると、当時担当教官だった俺に、りおは報告に来たんだ。
そして春、卒業間近に納骨を済ませ、その数日後に突然『家を売りたい』と俺に相談して来たんだよ」
「家を?」
昴が不思議そうに訊ねた。
「ああ。警察官になれば基本的に交代勤務だから、家の管理などは行き届かないだろうと。
特に広瀬の実家は郊外にある庭付きの一戸建て。しかもけっこうデカい家だったから、自分一人では管理しきれないと考えたんだろうな。
何より……誰もいない家に帰るのがイヤだから、とも言っていた…」
天涯孤独となったりおにとって、『おかえり』と言ってくれる人が居ない大きな家は《寂しさ》をより強く感じる場所。本人もその事を分かっていたのだろう。
「祖父母との思い出の品と、自分の記憶には残っていない両親の物を数点手元に残して、その他のものは家を売る時にほとんど処分してしまったよ。
その後は公安で用意したアパートに移り住んだようだが、私物は本当にわずかしか残っていなかったようだ。
当時彼女の教育係だった奴が知り合いでね。ソイツが公安を離れた時に、そんな話を聞かせてもらったよ」
冴島はわずかに微笑むと、眠っているりおの顔を見た。
「家を処分する直前、俺は一真の書斎にあった本やノートなど数点をコッソリ持ち出した。何か残しているかもしれないと思ってね。その時に絵本も何冊か持って来たんだ。
その中でも、この本は群を抜いて読み込まれていた。りおにとって大切な本だったんだろうな、と思ったんだよ。
彼女はまったく覚えていないが、いつか思い出した時に手渡せれば良いな……そんな軽い気持ちで持ち出したんだ」
冴島の話をジッと聞いていた昴は、何度か小さくうなずいた。
「あれから何年も経ってすっかり忘れていたんだが、貰った写真にこれと同じ背表紙が映っていてね。突然、その時のことが思い出されて……もしかしてと思ったんだ」
「なるほど……それで急いでこちらに持って来てくださったのですね」
昴は受け取った絵本を広げた。
『三匹の子ブタ』は元々イギリスのおとぎ話。お話自体は300年以上前からあるが、1933年にW.D社がアニメーション化して有名になった経緯がある。
長い年月の中で多少物語が変わったところもあるが、大筋では〈わらの家〉〈木の家〉〈レンガの家〉が出てきて、最終的にオオカミは懲らしめられてしまう——というものだ。
「では、りおの父親はこの絵本をりおに読み聞かせていた。最後に懲らしめられてしまうオオカミを可哀想だという娘のために、彼は創作話をするようになった。
やがてその創作話の中に、自分たちが調べた資料の隠し場所を、暗号として入れることを思いついた、ということですね?」
「ああ、それで間違いないと思う。この絵本を見れば、りおは何かを思い出すかもしれん。だが、今はまだその時ではないと思うんだ。
これは君に預けておく。りおの一番近くに居る君が『大丈夫だ』と思った時に、渡してやってくれないか」
冴島の申し出に昴はうなずいた。
「分かりました。その時が来たら……私からりおに渡します」
「頼んだよ」
昴の真剣な顔を見て、冴島は嬉しそうに微笑んだ。
冴島が帰ったあとしばらくして、りおが目を覚ました。倒れた時のことは記憶が曖昧で、自分が本棚に目を向けたことも覚えていない。
「治療で疲れていたのでしょう」と、昴は多くを語らず、冴島が来たこともりおには伝えなかった。
(いずれ全てを思い出す日が来る。今は急ぐ必要はない……)
工藤邸へと帰る道すがら、助手席でぼんやり景色を眺めるりおを、ペリドットの優しい瞳が見つめていた。