第7章 ~記憶の扉が開くとき~
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「素直なあなたは好きですが、こうまで素直だと調子が狂います。こんな事ならドライブじゃなくて……家であなたを抱きつぶせばよかった」
ほんのり顔を赤くして、少し悔しそうに昴がささやいた。
「えっ!?」
サラリと際どいことを言われ、さくらが驚いたように顔を上げた。
「嘘ですよ。疲れているあなたにそんな事しません」
ニコリと爽やかな沖矢スマイル(作り笑い)を見せる。
しかし重なっている手は『逃さない』とでも言うかのように、ギュッと強く握られた。
それは先ほどの言葉が嘘なんかではなく——むしろ本心なのだと言わんばかりに。
さくらとて、それが決して嫌なわけではないけれど、できれば次の日まで後を引いてガッツリ体力を奪われる事態は避けたい。
お休みは一日しかないのよ、と心の中で叫びながら、さくらは引きつった顔で昴の顔を見た。
「お待たせしました~!」
やがて二人の前に美味しそうなランチが運ばれた。慌てて二人は手を離す。昴は平然としていたが、さくらは照れくさそうに下を向いた。
「ナニモミテイマセンヨ」という雰囲気を前面に押し出して、接客業としてパーフェクトな対応をする店員さんが、二人分のトレーを目の前に置く。
色鮮やかな野菜サラダと厚切りベーコン。軽くトーストされたベーグルパンにはフリルレタスとトマト、卵のマヨ和えがサンドされていた。
さすがキャメルが推すだけの事はあって、見応えもボリュームも十分である。二人は顔を見合わせ「いただきます」と挨拶をした。
「ふ~~…もうムリ。何も入らないわ……」
カフェを紹介してくれたキャメルがアメリカ人だということを失念していた。彼の体が大きい事も。
「私でもかなりのボリュームでした。あなた、よく食べましたね」
「まあ……最後の方は昴さんに助けてもらったけどね」
ボリューム満点のランチは、結局最後の何口かを昴に食べてもらった。
「祖父母に育てられたせいか、『お残し』には罪悪感があってね。『食べ物を粗末にしちゃダメ』って、ず~っと言われて育ったから……。でもさすがに全部は食べられなかったなぁ」
昴さんありがと……と言ったまま、さくらは腹をさすり助手席で動けない。
「昴さん、早く砂浜行こうよ。少し歩かないと消化しない」
「同感です……」
キャメルはこれにバーガーをもう一つ追加していた事は黙っていよう。
部下の食欲に若干の胸焼けを感じつつ、昴は車を走らせた。
カフェを出てたどり着いたのは、いつかの砂浜——二人は手を繋いで波打ち際を歩く。
季節は初冬。風は冷たい。
ザザ~ン…ザザ~ン…
波はあの日と同じように寄せては返す。時々迫る大きな波が、二人のすぐ近くまで砂の色を変えた。
シュワシュワ…
シャラシャラ…
足元に広がる海水は軽やかな音を立てて砂の中へと吸い込まれていく。
「寒くないですか?」
「うん。大丈夫」
ヒュ~ヒュ~、と海風が耳元を通り過ぎた。頬は冷たい風でピリッとする。昴と繋ぐ手のひらだけが温かい。
「この辺りだったかな」
シーグラスを拾ったのは。
今でもさくらの首にかかる、シーグラスのペンダント。日の光が当たって淡く輝いていた。
6月の再会から、梅雨、夏、秋——そしてまた一つ季節が移り変わり、冬になった。
季節が変わっても、あの時と変わらず一緒に居られる。同じ景色を見て共に「美しい」と感じる事が出来る——当たり前のことが当たり前に出来る——。
二人にはとても尊いことだ。この先の未来も、そうであって欲しい。その保証はどこにも無いけれど……。
ただ二人で波打ち際を歩く。シーグラスを探して波の音を聞きながら、時々青い空を見上げた。
かつての恋人の、同志の、初恋の相手の笑顔が、空に、二人の脳裏に、浮かんでは消えていく。
多くの人たちの想いを胸に、今二人が一緒にいる。
奇跡かもしれない。でもそれは必然だった。りおには赤井が、赤井にはりおが——必要だったのだから。
『愛する人が隣にいる』
それだけで互いの心が癒されていく。今は言葉すら必要なかった。
ザザ~ン…ザザ~ン…
波の音と、時折カモメの鳴き声だけが周囲に響いていた。
「良い顔になりましたね」
砂浜に座り込んで時間を忘れるほど海を見ていると、やがて昴がつぶやいた。
「え? そう…かな」
「ええ。夕べは真っ青で憔悴しきっていて……。見ているこっちが切なくなりました。思い切って話をして良かった」
昴はニッコリと微笑んだ。風に揺れるさくらの長い髪を見て、そっとその髪に触れる。
「私も……ちょっと気負い過ぎてたかな。昴さんありがとう。お陰でリフレッシュできた」
さくらも笑顔で昴の顔を見る。自分を見つめる昴の目はいつもよりも開いていて、わずかにペリドットの瞳が見えた。
「じゃあ…ちょっとだけ……ご褒美をもらっても良いですか?」
「ご褒美?」
何も持ってないよ? とポカンとしているさくらのアゴに、先程まで髪に触れていた昴の手が伸びる。
クイッと上を向かされて、そのまま二人の唇が重なった。
ちゅっ
小さなリップ音が聞こえて、さくらは何をされたのか理解した。
「ホントは……今すぐにでもあなたを抱きたい。でもかなり体力を消耗していますし、今回はこれでご褒美としておきます。体調が戻ったら覚悟しておいてください」
「す、昴さん…」
ちょっと照れくさそうにそっぽを向いて話す昴を見て、さくらも恥ずかしそうに下を向いた。
「さてと、あなたの唇…だいぶ冷たいですよ。冷えましたね。車に戻りましょうか」
昴は立ち上がり、さくらに手を伸ばす。差し出された手を取るとグッと引き上げた。
「今日の記念に、もう一つシーグラスを持ち帰りましょう」
立ち上がったさくらに、昴は小さなシーグラスを手渡す。
「わぁ! ありがとう。また宝物が増えたわ。今度はどうしようか……キーホルダーかな?」
手のひらに置かれたシーグラスを見つめ、さくらは嬉しそうに笑った。