第7章 ~記憶の扉が開くとき~
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
雲一つない青空が広がる初冬の昼下がり——
工藤邸の廊下にパタパタと足音が響く。大学出勤用のスーツを着たりおは、玄関まで来ると手に持っていたコートに袖を通した。
「昴さん、行ってきます」
「久しぶりの出勤ですね。気を付けて」
「はーい!」
お気に入りのバッグを肩にかけてパンプスを履き、りおは笑顔で工藤邸を出た。
***
中国マフィアの幹部呉(ウー)の策略により、りおはプロカメラマンの前島から『私怨』の標的にされ、さらには《NOC疑惑》まで浮上した先般の事件。
一般人を巻き込む可能性もあった為に、大学には風見を通じて『休職願』が出されていた。
公安の《協力者》である森教授の計らいによってその届け出は受理され、その間にFBIの協力や昴(赤井)の作戦のおかげで事件は解決。
ようやく事件の報告も済み、体調も戻ったことから『復職する』と森に申し出たのがつい数日前——
昴が言うように、りおにとっては本当に久しぶりの出勤である。
初日の今日は、午前中教授は会議があって不在だったため、午後から研究室に出勤するようメールを貰っていた。
***
「ふ~。ホント久しぶりね。皆さんお変わりないかな。きっと教授のお世話でたいへんだっただろうなぁ……」
大学までの道すがら、さくらの脳裏に教授や研究生らの顔が浮かぶ。皆優しくて理系のオタク……いや、ちょっとこだわりの強い同僚たち。
『安室透』でいえばポアロの榎本梓やマスターのような存在。大学職員である『星川さくら』の良き理解者でもある。
休職中も何度か体調を気遣うメールを貰っていた。ただし、その中でさくらの正体を知っているのは教授だけ。
教授は事あるごとに適当な理由を考えて、研究生たちに説明してくれているのだろう。
「そろそろ『ネタ切れだよ…』ってぼやかれそうね」
さくらは困り顔の森教授を想像して「ふふっ」と肩をすくめる。ゼミのみんなと顔を合わせたら、きっと愚痴と報告の嵐だろう。
今日は賑やかになりそうだな、と思いながらさくらは大学の正門を通り抜けた。理学部の大きな建物に入り、自分のIDカードをドアロックシステムにかざす。
ピー…ガチャ…
ロックが解除された音が聞こえ、ドアを開けて中に入る。すると事務室の前で、見知った顔があった。
「島谷教授!」
そこに居たのは理学部生物学科の免疫学研究室、島谷伸幸(しまたに のぶゆき)教授だった。
島谷教授は森教授の同期でありライバル。そして旧友であり、切っても切れない腐れ縁の仲。
そう、つまり——森教授の論文にダメ出しをして、教授を《文章作成嫌い》にした張本人である。
「おお! 星川くんじゃないか。久しぶりだね。聞くところによると、ずっと休んでいたそうだね」
手には甘い缶ジュースを持っている。どうやら事務室前の自動販売機で購入していたようだ。
甘党の島谷教授はいつもお菓子やジュースを手にしている事が多い。しかも今日は頭もボサボサ。アゴには薄っすら髭も伸びているし、目は半分しか開いていない。顔色は悪く、くっきりとクマが浮いていた。夕べは徹夜で実験でもしていたのだろう。
「ええ。森教授の講演準備で地方に飛んだり、ちょっと体調を崩したりもしたので……今日が久々の出勤なんです。
それにしてもよくご存じでしたね。私がお休みしている事」
島谷教授の趣味は《細菌及びウィルス観察》。
シャーレや試験管に培養した菌やウィルスたちに名前を付けて可愛がっているという、東都大学きっての変わり者である。
細菌たちにご心酔であまり人に興味が無い。自分の助手が代わっていても気付かない。もしかすると奥さんが誰かと入れ替わっていても気付かないのでは…ともっぱら評判の教授なのだ。
そんな『人には全く興味の無い』島谷が、森教授(他人)の助手(さくら)が休んでいる事を知っているとは驚きだった。
「あははは~。そう言われちゃうと面目ない。ここ最近、尾沼くんや研究室の学生が君の不在を話していたから知ってただけなんだ」
頭を掻きながらネタばらしをしてくれた。
「なるほど」
理由が分かってさくらも微笑んだ。
「ところで…ケンチ(森教授)は元気かな? 最近お互い学会続きで全然会ってないんだ。ケンカ友達がいないのは寂しいねぇ」
持っていたジュースをずずず……とすすりながら教授は訊ねた。
「あ、あの…私も今日久々にお会いするので…。お元気だとは思いますが……」
「あ! そっか! ごめんね~」
細菌にしか興味のない教授は、やっぱりどこか抜けてる。
そうやってあまり深く考えずに思いついた事をポンポン言うクセが、かつて親友のプライドを傷付けた原因だと分かっているのか、いないのか。ちょっとズレた質問にさくらも苦笑いをした。
「ふふふ。相変わらずですね、教授。ところで、昨日は徹夜ですか?」
さくらは教授のボサボサ頭を見上げて訊ねた。
「ああ、そうなんだよ。なかなか良い結果が出なくてね。あとちょっとのところで失敗続きさ。今日も帰れるか分からないんだよ……」
教授はあくびをしながら、しょぼしょぼした目を擦った。
「では実験の方も大詰めなんですね。大変な時ですけど、くれぐれもお体に気を付けて下さい」
「うん、ありがとう。ケンチによろしくね」
そう言って島谷教授はジュースを手にしたまま、いそいそと研究室へと帰っていった。
(森教授の名前…《森健一郎》だからケンチ? そのニックネームで呼ぶのは島谷教授だけね)
《ケンチ》《ノブ》と呼び合い、会えばケンカばかりしている二人。仲が良いのか悪いのか——。
さくらは大学に戻って来たことを実感しながら、森教授の元へと急いだ。
工藤邸の廊下にパタパタと足音が響く。大学出勤用のスーツを着たりおは、玄関まで来ると手に持っていたコートに袖を通した。
「昴さん、行ってきます」
「久しぶりの出勤ですね。気を付けて」
「はーい!」
お気に入りのバッグを肩にかけてパンプスを履き、りおは笑顔で工藤邸を出た。
***
中国マフィアの幹部呉(ウー)の策略により、りおはプロカメラマンの前島から『私怨』の標的にされ、さらには《NOC疑惑》まで浮上した先般の事件。
一般人を巻き込む可能性もあった為に、大学には風見を通じて『休職願』が出されていた。
公安の《協力者》である森教授の計らいによってその届け出は受理され、その間にFBIの協力や昴(赤井)の作戦のおかげで事件は解決。
ようやく事件の報告も済み、体調も戻ったことから『復職する』と森に申し出たのがつい数日前——
昴が言うように、りおにとっては本当に久しぶりの出勤である。
初日の今日は、午前中教授は会議があって不在だったため、午後から研究室に出勤するようメールを貰っていた。
***
「ふ~。ホント久しぶりね。皆さんお変わりないかな。きっと教授のお世話でたいへんだっただろうなぁ……」
大学までの道すがら、さくらの脳裏に教授や研究生らの顔が浮かぶ。皆優しくて理系のオタク……いや、ちょっとこだわりの強い同僚たち。
『安室透』でいえばポアロの榎本梓やマスターのような存在。大学職員である『星川さくら』の良き理解者でもある。
休職中も何度か体調を気遣うメールを貰っていた。ただし、その中でさくらの正体を知っているのは教授だけ。
教授は事あるごとに適当な理由を考えて、研究生たちに説明してくれているのだろう。
「そろそろ『ネタ切れだよ…』ってぼやかれそうね」
さくらは困り顔の森教授を想像して「ふふっ」と肩をすくめる。ゼミのみんなと顔を合わせたら、きっと愚痴と報告の嵐だろう。
今日は賑やかになりそうだな、と思いながらさくらは大学の正門を通り抜けた。理学部の大きな建物に入り、自分のIDカードをドアロックシステムにかざす。
ピー…ガチャ…
ロックが解除された音が聞こえ、ドアを開けて中に入る。すると事務室の前で、見知った顔があった。
「島谷教授!」
そこに居たのは理学部生物学科の免疫学研究室、島谷伸幸(しまたに のぶゆき)教授だった。
島谷教授は森教授の同期でありライバル。そして旧友であり、切っても切れない腐れ縁の仲。
そう、つまり——森教授の論文にダメ出しをして、教授を《文章作成嫌い》にした張本人である。
「おお! 星川くんじゃないか。久しぶりだね。聞くところによると、ずっと休んでいたそうだね」
手には甘い缶ジュースを持っている。どうやら事務室前の自動販売機で購入していたようだ。
甘党の島谷教授はいつもお菓子やジュースを手にしている事が多い。しかも今日は頭もボサボサ。アゴには薄っすら髭も伸びているし、目は半分しか開いていない。顔色は悪く、くっきりとクマが浮いていた。夕べは徹夜で実験でもしていたのだろう。
「ええ。森教授の講演準備で地方に飛んだり、ちょっと体調を崩したりもしたので……今日が久々の出勤なんです。
それにしてもよくご存じでしたね。私がお休みしている事」
島谷教授の趣味は《細菌及びウィルス観察》。
シャーレや試験管に培養した菌やウィルスたちに名前を付けて可愛がっているという、東都大学きっての変わり者である。
細菌たちにご心酔であまり人に興味が無い。自分の助手が代わっていても気付かない。もしかすると奥さんが誰かと入れ替わっていても気付かないのでは…ともっぱら評判の教授なのだ。
そんな『人には全く興味の無い』島谷が、森教授(他人)の助手(さくら)が休んでいる事を知っているとは驚きだった。
「あははは~。そう言われちゃうと面目ない。ここ最近、尾沼くんや研究室の学生が君の不在を話していたから知ってただけなんだ」
頭を掻きながらネタばらしをしてくれた。
「なるほど」
理由が分かってさくらも微笑んだ。
「ところで…ケンチ(森教授)は元気かな? 最近お互い学会続きで全然会ってないんだ。ケンカ友達がいないのは寂しいねぇ」
持っていたジュースをずずず……とすすりながら教授は訊ねた。
「あ、あの…私も今日久々にお会いするので…。お元気だとは思いますが……」
「あ! そっか! ごめんね~」
細菌にしか興味のない教授は、やっぱりどこか抜けてる。
そうやってあまり深く考えずに思いついた事をポンポン言うクセが、かつて親友のプライドを傷付けた原因だと分かっているのか、いないのか。ちょっとズレた質問にさくらも苦笑いをした。
「ふふふ。相変わらずですね、教授。ところで、昨日は徹夜ですか?」
さくらは教授のボサボサ頭を見上げて訊ねた。
「ああ、そうなんだよ。なかなか良い結果が出なくてね。あとちょっとのところで失敗続きさ。今日も帰れるか分からないんだよ……」
教授はあくびをしながら、しょぼしょぼした目を擦った。
「では実験の方も大詰めなんですね。大変な時ですけど、くれぐれもお体に気を付けて下さい」
「うん、ありがとう。ケンチによろしくね」
そう言って島谷教授はジュースを手にしたまま、いそいそと研究室へと帰っていった。
(森教授の名前…《森健一郎》だからケンチ? そのニックネームで呼ぶのは島谷教授だけね)
《ケンチ》《ノブ》と呼び合い、会えばケンカばかりしている二人。仲が良いのか悪いのか——。
さくらは大学に戻って来たことを実感しながら、森教授の元へと急いだ。