第6章 ~遠い日の約束~
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二人は連れ立って警察署のエントランスを進む。所定の手続きを経て、面会室へと案内された。
長い廊下を歩いた後、「こちらです」と案内の女性警察官がドアを示した。
「あら、女性の方……顔が赤いですけど大丈夫ですか?」
お風邪ですか? と心配そうに声を掛けられ、さくらはドキリとした。
(か、顔が赤いのは昴さんのせいだよ~ッ! あんな耳元で、しかもいきなり秀一さんの声で『お前を抱き潰したい』だなんて……ッ! 心臓に悪いわ!)
心の中でツッコみつつ、大丈夫ですと返事をした。ニヤニヤしている昴がドアを開け、「お先にどうぞ」と声を掛ける。
さくらは軽く咳ばらいをすると小さくうなずき、面会室へと足を踏み入れた。
アクリルの仕切りを隔てた向こう側で、前島が立って待っている。昴とさくらの姿を見て、深々と頭を下げた。
ゆっくりとこちらを見た前島の顔は、港で会った時よりもずっと穏やかだ。
お互い向かい合って座ると、最初に拘置場での生活の様子を話してくれた。思っていたよりもずっと元気な前島の様子を見て、二人は胸を撫で下ろした。
一通り他愛もない話をした後、さくらは改めて、前島の顔を真剣な面持ちで見つめる。
「あの…出来れば……写真は続けて欲しいの。
ユーチェンが望んでいた。『アイツには才能がある』って。私もそう思う。写真展や個展で見たあなたの写真に、とても癒されたわ」
さくらの言葉に前島は視線を落とす。その手は固く握られていた。
「俺が……写真を続けても良いのかな……。沖矢さん……俺、あなたに言われたよね? 『たった一度の絶望で、関係のない人の命まで奪おうとするお前に何が分かる』って。今になって、その言葉の重みをものすごく感じているんだ。こんな俺が、人を感動させられるような写真、この先撮れるかなって……」
うつむく前島を見て昴は微笑んだ。
「あなたの写真を初めて見た時、写真もさることながら、あなたの『人柄』を見た気がしました。あなたの写真は優しさが溢れている。
街の中にある一瞬の安らぎ。
大自然の中で紡がれる命の輝き。
そのどれもが、優しい眼差しの先に捉えたもののように感じた。それが家族の死によって、一時的に曇るのも仕方のない事です。
それほどまでに、あなたはお兄さんを慕っていたのでしょうから……。だからこそ、あなたは写真を続けるべきだ。それがお兄さんへの恩返しになると思います」
「私もそう思う。あなたは優しい人よ。優しいからこそ——
あの場でたくさんの人が死んだこと。その中に自分の兄さんがいたこと。そして、逃げた女がいたことを許せなかったのよ。
あなたの優しさに呉や趙が付け込んだだけ……。だから、あなたは今のままで良いの。これから先も、たくさんの人があなたの写真を見て心を癒し、勇気づけられる。きっとユーチェンもそれを望んでいるわ」
前島は顔を上げ二人を見た。優しく微笑む二人の眼差しはどこか、兄に似ていると思った。
「兄さんがあなたを好きになった理由が分かった気がするよ……」
「え?」
小さくつぶやいた前島の言葉はさくらの耳には届かず、さくらは不思議そうに小首をかしげる。
「俺、写真を続ける。罪を償って今よりもっといい写真を撮るよ。そしたら……いつかまた、お二人で見に来てくれますか?」
「ええ! もちろん!!」
アクリルの仕切り越しに揃う3人の顔。それは5年前、ユーチェンが心から望んでいた【仲間】と【家族】の笑顔だった。
面会室を出る間際——前島は晴れやかな顔でさくらを見た。
「会いに来てくれてありがとう。真実を知れて……本当に良かった。呉や趙のでたらめな情報を信じたままだったら、俺は兄さんに顔向けできなかった」
「ッ!」
「? さくら?」
一瞬動きを止めたさくらに昴は声を掛ける。
「ううん。何でもない。私もあなたに会えて……こうして話せて良かった」
いつか再会する日を約束して、二人は面会室を後にした。
***
車に乗り込み、昴は安堵のため息をついた。
「今日来て良かったですね。きっとユーチェンも喜んでいますよ」
「……」
しかし、さくらからの返事はない。
「どうしました?」
「『でたらめ』? 『真実』? 一体何なの!?」
わずかに声を荒げ、さくらは頭を押さえた。
「はぁ、はぁ、はっ…は…はぁ…は…」
呼吸が浅く速い。冷や汗をかき、過呼吸発作の前兆が見られた。
「おい、さくら!? 大丈夫か? おい!」
昴が何度も声をかけるが、さくらは体を丸め苦しい呼吸を繰り返す。頭がツキンツキンと断続的に痛み、グラグラとめまいがした。
昴は「ゆっくり、ゆっくり」と声を掛け、さくらの体を抱きしめた。
『でたらめな……』
『パパと一緒……』
『いつもの……』
『真実……』
頭の中に繰り返し言葉が浮かぶ。しかしそれが何なのか全く分からない。ただ、不安と焦りだけが募る。
「りお! まずしっかり息を吐け! ゆっくり吐き出すんだ!」
しびれる指先。徐々に視界が狭まり、意識が遠のいた。
「りお! …りお、………ッ! ……! ……」
名を呼ぶ昴の声も次第に遠く、小さくなっていく。
『ペンダント……』
「ッ!」
ペンダントという言葉が聞こえた気がして、さくらはハッとした。ゼーゼーと荒い呼吸を繰り返しながら、昴から体を離し彼の顔を見上げる。
「や、やっぱり…ペンダント……どこかに…あるの……? でも……いったいどこ!? はぁ…はぁ…はぁ……家は売り、祖父母も…もういない……。そもそもペンダントなんて……はぁはぁ…ペン…ダントなんて…知らな……」
「りおッ! それ以上はよせッ!」
発作が引き金となり、両親の死の瞬間を思い出してしまうのでは——
昴は焦った。今はまだその時ではない。もっと心の準備ができてからでなければ。
昴はさくらの体を引き寄せ、強く抱きしめる。
——もうこの腕の中から抜け出てくれるな……
そう強く思いながら。
過剰な呼吸はさくらの意識を刈り取ろうとしていた。
昴の腕の中で意識を失いかけたその時、さくらの脳裏にユーチェンの声が響く。それはまるで真っ暗闇の世界に、一筋の光が差し込むようだった。
『さくら、悲観的になるな。証拠が無いと決めつけるな。もっと柔軟に考えるんだ。もしかしたら、我々はもうすでに重要な証拠をこの手に持っているのかもしれない。それに気付いていないだけかもしれないんだ。
だから……闇雲に動くのではなく、まず今あるものを精査しろ。冷静になれ。静と動を使い分けるんだよ。そうすれば必ず道は開ける』
(……ユー…チェ……)
「りお! 息を吐けッ!!」
「ッ!!」
昴の叫びにハッとする。言われた通り大きく息を吐いた。
「そうだ。ゆっくり吸え。………良いぞ。その調子だ」
抱きしめられたまま昴の大きな手で背中をさすられ、ようやく呼吸のコントロールが出来るようになる。
徐々に息が整い始めると、ボンヤリと霞みのかかった意識が少しずつハッキリしてきた。
昴の鼓動を聴きながら目を閉じると、今までの焦りがウソのように消えていく。
「……落ち着いたか?」
さくらの変化に気付き、昴が声を掛ける。「ん……」と小さく返事をして、さくらはもう一度ユーチェンに言われた言葉を繰り返した。
「今…あるものを…精査……すでに自分の手に……」
「りお?」
ブツブツとつぶやく声が聞こえ、昴は不思議そうにさくらの顔を覗き込む。
「すでに…自分の……はッ! ま、まさか!?」
さくらは何かに気付き昴の顔を見た。
「す、昴さん! すぐ! すぐ家に帰ろう!」
切羽詰まったさくらの様子に、昴はさくらがまた何かを思い出したのだと察した。
長い廊下を歩いた後、「こちらです」と案内の女性警察官がドアを示した。
「あら、女性の方……顔が赤いですけど大丈夫ですか?」
お風邪ですか? と心配そうに声を掛けられ、さくらはドキリとした。
(か、顔が赤いのは昴さんのせいだよ~ッ! あんな耳元で、しかもいきなり秀一さんの声で『お前を抱き潰したい』だなんて……ッ! 心臓に悪いわ!)
心の中でツッコみつつ、大丈夫ですと返事をした。ニヤニヤしている昴がドアを開け、「お先にどうぞ」と声を掛ける。
さくらは軽く咳ばらいをすると小さくうなずき、面会室へと足を踏み入れた。
アクリルの仕切りを隔てた向こう側で、前島が立って待っている。昴とさくらの姿を見て、深々と頭を下げた。
ゆっくりとこちらを見た前島の顔は、港で会った時よりもずっと穏やかだ。
お互い向かい合って座ると、最初に拘置場での生活の様子を話してくれた。思っていたよりもずっと元気な前島の様子を見て、二人は胸を撫で下ろした。
一通り他愛もない話をした後、さくらは改めて、前島の顔を真剣な面持ちで見つめる。
「あの…出来れば……写真は続けて欲しいの。
ユーチェンが望んでいた。『アイツには才能がある』って。私もそう思う。写真展や個展で見たあなたの写真に、とても癒されたわ」
さくらの言葉に前島は視線を落とす。その手は固く握られていた。
「俺が……写真を続けても良いのかな……。沖矢さん……俺、あなたに言われたよね? 『たった一度の絶望で、関係のない人の命まで奪おうとするお前に何が分かる』って。今になって、その言葉の重みをものすごく感じているんだ。こんな俺が、人を感動させられるような写真、この先撮れるかなって……」
うつむく前島を見て昴は微笑んだ。
「あなたの写真を初めて見た時、写真もさることながら、あなたの『人柄』を見た気がしました。あなたの写真は優しさが溢れている。
街の中にある一瞬の安らぎ。
大自然の中で紡がれる命の輝き。
そのどれもが、優しい眼差しの先に捉えたもののように感じた。それが家族の死によって、一時的に曇るのも仕方のない事です。
それほどまでに、あなたはお兄さんを慕っていたのでしょうから……。だからこそ、あなたは写真を続けるべきだ。それがお兄さんへの恩返しになると思います」
「私もそう思う。あなたは優しい人よ。優しいからこそ——
あの場でたくさんの人が死んだこと。その中に自分の兄さんがいたこと。そして、逃げた女がいたことを許せなかったのよ。
あなたの優しさに呉や趙が付け込んだだけ……。だから、あなたは今のままで良いの。これから先も、たくさんの人があなたの写真を見て心を癒し、勇気づけられる。きっとユーチェンもそれを望んでいるわ」
前島は顔を上げ二人を見た。優しく微笑む二人の眼差しはどこか、兄に似ていると思った。
「兄さんがあなたを好きになった理由が分かった気がするよ……」
「え?」
小さくつぶやいた前島の言葉はさくらの耳には届かず、さくらは不思議そうに小首をかしげる。
「俺、写真を続ける。罪を償って今よりもっといい写真を撮るよ。そしたら……いつかまた、お二人で見に来てくれますか?」
「ええ! もちろん!!」
アクリルの仕切り越しに揃う3人の顔。それは5年前、ユーチェンが心から望んでいた【仲間】と【家族】の笑顔だった。
面会室を出る間際——前島は晴れやかな顔でさくらを見た。
「会いに来てくれてありがとう。真実を知れて……本当に良かった。呉や趙のでたらめな情報を信じたままだったら、俺は兄さんに顔向けできなかった」
「ッ!」
「? さくら?」
一瞬動きを止めたさくらに昴は声を掛ける。
「ううん。何でもない。私もあなたに会えて……こうして話せて良かった」
いつか再会する日を約束して、二人は面会室を後にした。
***
車に乗り込み、昴は安堵のため息をついた。
「今日来て良かったですね。きっとユーチェンも喜んでいますよ」
「……」
しかし、さくらからの返事はない。
「どうしました?」
「『でたらめ』? 『真実』? 一体何なの!?」
わずかに声を荒げ、さくらは頭を押さえた。
「はぁ、はぁ、はっ…は…はぁ…は…」
呼吸が浅く速い。冷や汗をかき、過呼吸発作の前兆が見られた。
「おい、さくら!? 大丈夫か? おい!」
昴が何度も声をかけるが、さくらは体を丸め苦しい呼吸を繰り返す。頭がツキンツキンと断続的に痛み、グラグラとめまいがした。
昴は「ゆっくり、ゆっくり」と声を掛け、さくらの体を抱きしめた。
『でたらめな……』
『パパと一緒……』
『いつもの……』
『真実……』
頭の中に繰り返し言葉が浮かぶ。しかしそれが何なのか全く分からない。ただ、不安と焦りだけが募る。
「りお! まずしっかり息を吐け! ゆっくり吐き出すんだ!」
しびれる指先。徐々に視界が狭まり、意識が遠のいた。
「りお! …りお、………ッ! ……! ……」
名を呼ぶ昴の声も次第に遠く、小さくなっていく。
『ペンダント……』
「ッ!」
ペンダントという言葉が聞こえた気がして、さくらはハッとした。ゼーゼーと荒い呼吸を繰り返しながら、昴から体を離し彼の顔を見上げる。
「や、やっぱり…ペンダント……どこかに…あるの……? でも……いったいどこ!? はぁ…はぁ…はぁ……家は売り、祖父母も…もういない……。そもそもペンダントなんて……はぁはぁ…ペン…ダントなんて…知らな……」
「りおッ! それ以上はよせッ!」
発作が引き金となり、両親の死の瞬間を思い出してしまうのでは——
昴は焦った。今はまだその時ではない。もっと心の準備ができてからでなければ。
昴はさくらの体を引き寄せ、強く抱きしめる。
——もうこの腕の中から抜け出てくれるな……
そう強く思いながら。
過剰な呼吸はさくらの意識を刈り取ろうとしていた。
昴の腕の中で意識を失いかけたその時、さくらの脳裏にユーチェンの声が響く。それはまるで真っ暗闇の世界に、一筋の光が差し込むようだった。
『さくら、悲観的になるな。証拠が無いと決めつけるな。もっと柔軟に考えるんだ。もしかしたら、我々はもうすでに重要な証拠をこの手に持っているのかもしれない。それに気付いていないだけかもしれないんだ。
だから……闇雲に動くのではなく、まず今あるものを精査しろ。冷静になれ。静と動を使い分けるんだよ。そうすれば必ず道は開ける』
(……ユー…チェ……)
「りお! 息を吐けッ!!」
「ッ!!」
昴の叫びにハッとする。言われた通り大きく息を吐いた。
「そうだ。ゆっくり吸え。………良いぞ。その調子だ」
抱きしめられたまま昴の大きな手で背中をさすられ、ようやく呼吸のコントロールが出来るようになる。
徐々に息が整い始めると、ボンヤリと霞みのかかった意識が少しずつハッキリしてきた。
昴の鼓動を聴きながら目を閉じると、今までの焦りがウソのように消えていく。
「……落ち着いたか?」
さくらの変化に気付き、昴が声を掛ける。「ん……」と小さく返事をして、さくらはもう一度ユーチェンに言われた言葉を繰り返した。
「今…あるものを…精査……すでに自分の手に……」
「りお?」
ブツブツとつぶやく声が聞こえ、昴は不思議そうにさくらの顔を覗き込む。
「すでに…自分の……はッ! ま、まさか!?」
さくらは何かに気付き昴の顔を見た。
「す、昴さん! すぐ! すぐ家に帰ろう!」
切羽詰まったさくらの様子に、昴はさくらがまた何かを思い出したのだと察した。