第6章 ~遠い日の約束~
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「あの日……ケンバリ最期の日。連日の戦いでみんな疲労困憊だった。
壊滅前から徐々に激しくなっていたNOC狩りのせいで、あの時点まで生き残っていたNOCは私を入れて6人。年長で経験豊富なユーチェンをリーダーとして戦っていた。
けれど戦闘が長引き、持っていた弾薬も切れ、使える銃器も底をついた。6人とも疲れ果て、これ以上の戦闘は厳しい状況——。
ユーチェンは何とか軍や地元警察と合流し、全員が助かる方法を探して……危険な賭けに出たの」
「賭け?」
安室がさくらに問いかけると、さくらは小さくうなずいた。
「ええ。とても危険な賭けよ。彼は仲間3人を引き連れて両手を上げ、ナイフや銃を捨てて抵抗する気は無いと説明しながら、軍の兵士に近づいたの……」
さくらは視線を落とす。その手はグッと強く握られていた。
「あの時、すでに内部は大混乱で……誰が敵で誰が味方か分からない状況だった。関わった全ての者たちはみんな疲れ果て、冷静な判断をする事は難しかったと思う。
それでも4人は一縷(いちる)の望みをかけて、何とか兵士たちに敵ではないと伝えようとした。一番年下だった私と、ケガをしていたもう一人は壁の陰に隠れていろと指示されて……私達は固唾を飲んで4人の様子を伺ってた」
さくらは終始うつむいたまま。時折呼吸を整えるように大きく息を吐く。昴と安室は黙ってその姿を見つめていた。
「だけど……彼らは、疲労と緊張で冷静さを失った兵士に撃たれてしまった。
当然と言えば当然よ。つい数日前まで、私たちはケンバリの構成員の皮をかぶっていたのだから。NOCの存在を知らない軍や警察が、そう簡単に私たちを信じるはずが無い。
連日の戦闘で疲れも緊張もピークだったし……冷静に投降者の話を聞こうだなんて、誰も思わないわ」
終始視線を落とし、りおは静かに語る。顔にかかる髪のせいで表情は伺い知れない。
「でももう方法はこれしかなかった。成功率の低い《投降》という手段しか……。4人もそれを分かってて……それでも兵士の前で銃を捨て、手を上げたのよ」
さくらの脳裏に4人の最期の笑顔が浮かぶ。
『任せておけ。お前たちはここを動くなよ』
そう言って敵地へと向かった後姿。さくらは唇を震わせ、涙をこらえる。固く握られた両手は、当時の悲しみと悔しさを伝えていた。
「一人は頭を撃たれて即死。残りの3人も胸や腹を撃たれて……その場に倒れ込んだわ。そのうち、騒ぎを聞きつけた軍の兵士が集まってきた。
待機を命じられていた私たちも慌てて壁から飛び出し、ユーチェン達を守ろうと応戦したけど——。一緒に飛び出した仲間も、目の前で頭を打ち抜かれた」
「ッ!」
想像以上に過酷な状況に、安室は思わず息を飲む。
「私はその場にいた少数の兵士を倒したものの、別の兵士がさらに応援を呼んで、気付けば周りは敵だらけ。最初に撃たれた仲間と私は全方向、敵に囲まれてしまった。
武器もない。戦うどころか、すでに立ち上がる力も残っていない。振り返れば息のあった3人のうち2人が次々と——。『逃げろ!』『私たちに構わずに!』そう言いながら……」
握り閉めていたさくらの拳に、ポタポタと涙が落ちた。
「残ったユーチェンも、腹を至近距離で撃たれていて致命傷だった。その時、覚悟を決めたの。これでケンバリは消滅する。私たちの使命は果たせた。ここで皆と一緒に死のうって。
兵士たちに銃口を向けられ、これで終わりって思った時、ライフルの銃声が聞こえた」
昴がハッと顔を上げ、さくらを見た。
「兵士たちが次々倒れ、ジンが私に近づき声をかけてきた。『俺たちの仲間にならないか? そうすればお前を助けてやる』
でも、私は最初からユーチェンたちと生死を共にするつもりだったから、当然YESとは言わなかった。何度かの押し問答の後、ジンが舌打ちをして……みぞおちに激痛が走ったと思ったら目の前が真っ暗になって……気付いた時はボートの上だった」
さくらは目を閉じた。あの時と同じように、涙がつぅっと頬を伝う。
「結局私は、仲間と運命を共にできなかった。みんな…みんな…死んでしまったの…。私以外のNOCはみんな……。
私だけが生き残って…日本に帰って来て……宇航(ユーハン)に、『兄を見殺しにした』と言われても仕方がないわ。彼が私を殺したいというのなら…私は喜んで彼の前で死……」
「さくらッ!」
話を聞いていた昴が、さくらの言葉を遮るように叫んだ。だが昴の制止もきかず、さくらは続ける。
「ユーチェンだけじゃないわ! 彼と共に兵士の前で手を上げた仲間の中に……応急処置のイロハを教えてくれた…母のように慕った人もいたの。
仲間の死を共に悲しみ、互いの信じる道を語り、先の見えない作戦に苦しんだ。私は…そんな家族のように慕った仲間を守れなかった。彼らは私を守ろうとして…死んでいったのに!
前島の言う通り。見殺しにしたのも同然よ。やっぱりあの時、みんなと一緒に死んでいれば……」
(だから……K国で応急処置の手際の良さを褒めた時、寂しそうな顔をしていたのか)
さくらの悲痛な叫びを聞いて、安室の表情も歪んだ。
しばらく3人は言葉を発することが出来なかった。さくらの目からは涙がとめどなく流れ落ちる。
沈黙を破ったのは昴だった。
「みんな…命がけであなたを守ったのでしょう? それなのに、自分の弟があなたを殺したとしたら……ウーチェンは喜びますか?」
「ッ!」
さくらがハッとしたように顔を上げた。悲し気にさくらを見つめる昴と目が合う。
「もう一度、あなたの首に掛かっているシーグラスのペンダントをよく見てください。声を失った時、海で何を聴きましたか? 何を感じましたか?
あなたが守ろうとした人たちは、何を願っていると…スコッチは言っていましたか?」
安室も立ち上がり、さくらを見る。さくらに向けられた二人の眼差しは、当時の仲間と同じ、優しい色があふれていた。
「私の幸せを…願って…」
そこまで言いかけた時、昴がさくらに近づき抱きしめた。
「そうだ。みんなお前の幸せを願っているんだ。簡単に『死ぬ』だなんて……言うな」
「ふっ…ぅう……ユーチェン…シンユエ…」
昴の言葉を聞いてさくらは泣き崩れた。
かつての仲間の名を呼ぶ。家族が居なかったさくらが、異国で唯一家族と慕った者たち。彼らの想いを感じ、失ったものの大きさを再び噛みしめる。
昴の胸元が涙で濡れた。そうして長いこと、昴はさくらの肩を抱いていた。
さくらの涙が落ち着くのを待って、安室がポアロへと出勤して行った。
工藤邸を出る直前——
「ようやく涙が止まりましたね。あのままでは心配で仕事どころではありませんでしたよ」
そう言って微笑んだ安室に、さくらは照れくさそうに謝罪した。
安室の出勤後、着替えをしたりおは昴と朝食の準備を進める。
カチャカチャ……
「……」
「……」
皿に載せるサラダも、昴がお気に入りのスパニッシュオムレツも、美味しそうに仕上がった。しかし、りおは終始無言のまま。
わずかに赤い目元と沈んだ表情。黙ったまま手を動かすりおを見て、昴が声をかけた。
「りお? もう少しおしゃべりしてください。あなたが黙ったままだと、なんだかつまらない」
「え? あ、ごめんなさい。……そうね。せっかく二人で食べる朝食だものね……」
昴に指摘され、りおは目を閉じ深呼吸をした。
今あるこの幸せはみんながくれたもの。それに目を背けて悲しんでばかりいては、命を賭して自分を守ってくれた人たちに申し訳ない気がした。
(同じようなこと……前にもユーチェンに言われたわね)
『悲しんでいても、死んだ仲間は戻ってはこない。笑え。そして前を向け。それが仲間への弔いなんだ』
ユーチェンの力強い言葉が聞こえた気がした。
りおはフッと口角を上げる。
「さあ、昴さん。出来ましたよ! 食べましょうか」
昴に向け微笑んだ顔はウソでも偽りでもない、心からの笑顔だった。
「ええ。今日も美味しそうですね。いただきましょう」
昴は出来上がった食事に、そしてりおと食事を共に出来ることに、心から感謝した。
朝食後、りおは出勤の準備を済ませ工藤邸を出る。タバコを買うからと、昴も一緒に玄関を出た。
(まあ、タバコは口実。少々心配だから大学まで送っていくか……)
二人は肩を並べ、大学までの道のりを歩いた。
「ふふふ。相変わらず昴さんは心配性ね」
「ん? 何のことですか?」
「ごまかしても無駄よ。書斎にまだタバコのストックあったでしょ」
「おや……。バレていましたか。さくらには嘘が付けませんね」
鋭いさくらの事だ。どうせバレているとは思ったが。
「ふふふ、バレバレよ。でも嬉しいわ。いつもならこの時間は一人だけど、今日はまだ昴さんと一緒に居れるんだもん」
さっきまで泣いていたはずなのに、さくらは太陽の下でキラキラした笑顔を見せる。
「……強くなりましたね…」
昴は微笑んだ。
この姿(沖矢昴)で再会した時から今日まで。
様々な事件や出来事が起き、その度に涙を流す姿を間近で見てきた。危うかった事も少なくない。
彼女は優しすぎるのだ、と思う事もある。
しかしその優しさが彼女の強さの源であることも昴は知っていた。
『強くて脆い』
それが昴(赤井)が抱く、りおの印象だ。それは5年前から変わらない。
『危なっかしい』と最初は思った。いつか壊れてしまうのではないか、と。
そして今、『危なっかしい』が『守りたい』に変わった。そうやって彼女の傍らにいるようになって数か月が過ぎ———
過去の悲しみを彼女なりに昇華していく姿は頼もしく、そして誇らしい。過去の出来事も、そして未来に起こるであろう悲しいことも。
それらを昇華する時には常にそばに居てやりたい。片目だけ開けたペリドットの瞳は、穏やかに笑うさくらの姿を映していた。
「え? なあに? 何か言った?」
さくらが昴を見上げた。
「いえ、何でも無いですよ。夕飯は何が良いかなと思いまして」
「もう夕飯の話!?」
さくらは目を丸くすると「ふふっ」と声を上げて笑う。穏やかな時間が二人の間を流れていった。
そんな二人の背後にある、大通りに面した立体駐車場——
3階フロアに車が一台停まっている。その車の脇には一人の男が立っていた。
二人が歩く姿を双眼鏡を使って見ている。
さくらと昴が楽しそうにおしゃべりをしている様子が、レンズ越しにも見て取れた。
「チッ!」
男が舌打ちをした。直後に双眼鏡から目を離す。それをギリッと握りしめた。
「お前が兄さんを殺したんだ。お前があの時…見捨てさえしなければ……!
それなのにお前は、たった5年で何もかも忘れ、のうのうと生きている。その上恋人まで作って……。許さない! 俺が必ず兄さんの無念を晴らしてやる!」
前島の憎しみの矛先は仇の相手であるりおと、そして隣で微笑む昴にも向けられていた。
壊滅前から徐々に激しくなっていたNOC狩りのせいで、あの時点まで生き残っていたNOCは私を入れて6人。年長で経験豊富なユーチェンをリーダーとして戦っていた。
けれど戦闘が長引き、持っていた弾薬も切れ、使える銃器も底をついた。6人とも疲れ果て、これ以上の戦闘は厳しい状況——。
ユーチェンは何とか軍や地元警察と合流し、全員が助かる方法を探して……危険な賭けに出たの」
「賭け?」
安室がさくらに問いかけると、さくらは小さくうなずいた。
「ええ。とても危険な賭けよ。彼は仲間3人を引き連れて両手を上げ、ナイフや銃を捨てて抵抗する気は無いと説明しながら、軍の兵士に近づいたの……」
さくらは視線を落とす。その手はグッと強く握られていた。
「あの時、すでに内部は大混乱で……誰が敵で誰が味方か分からない状況だった。関わった全ての者たちはみんな疲れ果て、冷静な判断をする事は難しかったと思う。
それでも4人は一縷(いちる)の望みをかけて、何とか兵士たちに敵ではないと伝えようとした。一番年下だった私と、ケガをしていたもう一人は壁の陰に隠れていろと指示されて……私達は固唾を飲んで4人の様子を伺ってた」
さくらは終始うつむいたまま。時折呼吸を整えるように大きく息を吐く。昴と安室は黙ってその姿を見つめていた。
「だけど……彼らは、疲労と緊張で冷静さを失った兵士に撃たれてしまった。
当然と言えば当然よ。つい数日前まで、私たちはケンバリの構成員の皮をかぶっていたのだから。NOCの存在を知らない軍や警察が、そう簡単に私たちを信じるはずが無い。
連日の戦闘で疲れも緊張もピークだったし……冷静に投降者の話を聞こうだなんて、誰も思わないわ」
終始視線を落とし、りおは静かに語る。顔にかかる髪のせいで表情は伺い知れない。
「でももう方法はこれしかなかった。成功率の低い《投降》という手段しか……。4人もそれを分かってて……それでも兵士の前で銃を捨て、手を上げたのよ」
さくらの脳裏に4人の最期の笑顔が浮かぶ。
『任せておけ。お前たちはここを動くなよ』
そう言って敵地へと向かった後姿。さくらは唇を震わせ、涙をこらえる。固く握られた両手は、当時の悲しみと悔しさを伝えていた。
「一人は頭を撃たれて即死。残りの3人も胸や腹を撃たれて……その場に倒れ込んだわ。そのうち、騒ぎを聞きつけた軍の兵士が集まってきた。
待機を命じられていた私たちも慌てて壁から飛び出し、ユーチェン達を守ろうと応戦したけど——。一緒に飛び出した仲間も、目の前で頭を打ち抜かれた」
「ッ!」
想像以上に過酷な状況に、安室は思わず息を飲む。
「私はその場にいた少数の兵士を倒したものの、別の兵士がさらに応援を呼んで、気付けば周りは敵だらけ。最初に撃たれた仲間と私は全方向、敵に囲まれてしまった。
武器もない。戦うどころか、すでに立ち上がる力も残っていない。振り返れば息のあった3人のうち2人が次々と——。『逃げろ!』『私たちに構わずに!』そう言いながら……」
握り閉めていたさくらの拳に、ポタポタと涙が落ちた。
「残ったユーチェンも、腹を至近距離で撃たれていて致命傷だった。その時、覚悟を決めたの。これでケンバリは消滅する。私たちの使命は果たせた。ここで皆と一緒に死のうって。
兵士たちに銃口を向けられ、これで終わりって思った時、ライフルの銃声が聞こえた」
昴がハッと顔を上げ、さくらを見た。
「兵士たちが次々倒れ、ジンが私に近づき声をかけてきた。『俺たちの仲間にならないか? そうすればお前を助けてやる』
でも、私は最初からユーチェンたちと生死を共にするつもりだったから、当然YESとは言わなかった。何度かの押し問答の後、ジンが舌打ちをして……みぞおちに激痛が走ったと思ったら目の前が真っ暗になって……気付いた時はボートの上だった」
さくらは目を閉じた。あの時と同じように、涙がつぅっと頬を伝う。
「結局私は、仲間と運命を共にできなかった。みんな…みんな…死んでしまったの…。私以外のNOCはみんな……。
私だけが生き残って…日本に帰って来て……宇航(ユーハン)に、『兄を見殺しにした』と言われても仕方がないわ。彼が私を殺したいというのなら…私は喜んで彼の前で死……」
「さくらッ!」
話を聞いていた昴が、さくらの言葉を遮るように叫んだ。だが昴の制止もきかず、さくらは続ける。
「ユーチェンだけじゃないわ! 彼と共に兵士の前で手を上げた仲間の中に……応急処置のイロハを教えてくれた…母のように慕った人もいたの。
仲間の死を共に悲しみ、互いの信じる道を語り、先の見えない作戦に苦しんだ。私は…そんな家族のように慕った仲間を守れなかった。彼らは私を守ろうとして…死んでいったのに!
前島の言う通り。見殺しにしたのも同然よ。やっぱりあの時、みんなと一緒に死んでいれば……」
(だから……K国で応急処置の手際の良さを褒めた時、寂しそうな顔をしていたのか)
さくらの悲痛な叫びを聞いて、安室の表情も歪んだ。
しばらく3人は言葉を発することが出来なかった。さくらの目からは涙がとめどなく流れ落ちる。
沈黙を破ったのは昴だった。
「みんな…命がけであなたを守ったのでしょう? それなのに、自分の弟があなたを殺したとしたら……ウーチェンは喜びますか?」
「ッ!」
さくらがハッとしたように顔を上げた。悲し気にさくらを見つめる昴と目が合う。
「もう一度、あなたの首に掛かっているシーグラスのペンダントをよく見てください。声を失った時、海で何を聴きましたか? 何を感じましたか?
あなたが守ろうとした人たちは、何を願っていると…スコッチは言っていましたか?」
安室も立ち上がり、さくらを見る。さくらに向けられた二人の眼差しは、当時の仲間と同じ、優しい色があふれていた。
「私の幸せを…願って…」
そこまで言いかけた時、昴がさくらに近づき抱きしめた。
「そうだ。みんなお前の幸せを願っているんだ。簡単に『死ぬ』だなんて……言うな」
「ふっ…ぅう……ユーチェン…シンユエ…」
昴の言葉を聞いてさくらは泣き崩れた。
かつての仲間の名を呼ぶ。家族が居なかったさくらが、異国で唯一家族と慕った者たち。彼らの想いを感じ、失ったものの大きさを再び噛みしめる。
昴の胸元が涙で濡れた。そうして長いこと、昴はさくらの肩を抱いていた。
さくらの涙が落ち着くのを待って、安室がポアロへと出勤して行った。
工藤邸を出る直前——
「ようやく涙が止まりましたね。あのままでは心配で仕事どころではありませんでしたよ」
そう言って微笑んだ安室に、さくらは照れくさそうに謝罪した。
安室の出勤後、着替えをしたりおは昴と朝食の準備を進める。
カチャカチャ……
「……」
「……」
皿に載せるサラダも、昴がお気に入りのスパニッシュオムレツも、美味しそうに仕上がった。しかし、りおは終始無言のまま。
わずかに赤い目元と沈んだ表情。黙ったまま手を動かすりおを見て、昴が声をかけた。
「りお? もう少しおしゃべりしてください。あなたが黙ったままだと、なんだかつまらない」
「え? あ、ごめんなさい。……そうね。せっかく二人で食べる朝食だものね……」
昴に指摘され、りおは目を閉じ深呼吸をした。
今あるこの幸せはみんながくれたもの。それに目を背けて悲しんでばかりいては、命を賭して自分を守ってくれた人たちに申し訳ない気がした。
(同じようなこと……前にもユーチェンに言われたわね)
『悲しんでいても、死んだ仲間は戻ってはこない。笑え。そして前を向け。それが仲間への弔いなんだ』
ユーチェンの力強い言葉が聞こえた気がした。
りおはフッと口角を上げる。
「さあ、昴さん。出来ましたよ! 食べましょうか」
昴に向け微笑んだ顔はウソでも偽りでもない、心からの笑顔だった。
「ええ。今日も美味しそうですね。いただきましょう」
昴は出来上がった食事に、そしてりおと食事を共に出来ることに、心から感謝した。
朝食後、りおは出勤の準備を済ませ工藤邸を出る。タバコを買うからと、昴も一緒に玄関を出た。
(まあ、タバコは口実。少々心配だから大学まで送っていくか……)
二人は肩を並べ、大学までの道のりを歩いた。
「ふふふ。相変わらず昴さんは心配性ね」
「ん? 何のことですか?」
「ごまかしても無駄よ。書斎にまだタバコのストックあったでしょ」
「おや……。バレていましたか。さくらには嘘が付けませんね」
鋭いさくらの事だ。どうせバレているとは思ったが。
「ふふふ、バレバレよ。でも嬉しいわ。いつもならこの時間は一人だけど、今日はまだ昴さんと一緒に居れるんだもん」
さっきまで泣いていたはずなのに、さくらは太陽の下でキラキラした笑顔を見せる。
「……強くなりましたね…」
昴は微笑んだ。
この姿(沖矢昴)で再会した時から今日まで。
様々な事件や出来事が起き、その度に涙を流す姿を間近で見てきた。危うかった事も少なくない。
彼女は優しすぎるのだ、と思う事もある。
しかしその優しさが彼女の強さの源であることも昴は知っていた。
『強くて脆い』
それが昴(赤井)が抱く、りおの印象だ。それは5年前から変わらない。
『危なっかしい』と最初は思った。いつか壊れてしまうのではないか、と。
そして今、『危なっかしい』が『守りたい』に変わった。そうやって彼女の傍らにいるようになって数か月が過ぎ———
過去の悲しみを彼女なりに昇華していく姿は頼もしく、そして誇らしい。過去の出来事も、そして未来に起こるであろう悲しいことも。
それらを昇華する時には常にそばに居てやりたい。片目だけ開けたペリドットの瞳は、穏やかに笑うさくらの姿を映していた。
「え? なあに? 何か言った?」
さくらが昴を見上げた。
「いえ、何でも無いですよ。夕飯は何が良いかなと思いまして」
「もう夕飯の話!?」
さくらは目を丸くすると「ふふっ」と声を上げて笑う。穏やかな時間が二人の間を流れていった。
そんな二人の背後にある、大通りに面した立体駐車場——
3階フロアに車が一台停まっている。その車の脇には一人の男が立っていた。
二人が歩く姿を双眼鏡を使って見ている。
さくらと昴が楽しそうにおしゃべりをしている様子が、レンズ越しにも見て取れた。
「チッ!」
男が舌打ちをした。直後に双眼鏡から目を離す。それをギリッと握りしめた。
「お前が兄さんを殺したんだ。お前があの時…見捨てさえしなければ……!
それなのにお前は、たった5年で何もかも忘れ、のうのうと生きている。その上恋人まで作って……。許さない! 俺が必ず兄さんの無念を晴らしてやる!」
前島の憎しみの矛先は仇の相手であるりおと、そして隣で微笑む昴にも向けられていた。