第5章 ~カルト集団~
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公園で襲われた日から数日後——
昼休み直前。さくらは講義の準備のため、講堂へと来ていた。
研究室のPCをプロジェクターにつなぎ、教授が使いやすいように資料やマウスなどをセットしておく。
「あとは教授が自分でやれるから大丈夫かな」
全てのセットを終えると、さくらは研究室に戻るべく講堂を後にした。
研究室に戻る途中、何やらそわそわと落ち着かない様子の女性を見つける。
「どうされました?」
女性が困っているようだったので、さくらは声をかけた。
「あ、あのう……私、文学部の《堀 久瑠美/ほり くるみ》といいます。工学部の友達のところへ行こうと思ったのですが、迷子になってしまって……」
東都大は多くの学部があるためキャンパスも広い。
特に理系の学部は複数の建物があるので、自分が所属する学部でなければ、だいたいみんな迷子になる。
「あ~。そうだったんですね。え~っと……そうだなぁ……。ココからだと工学部って説明しにくいんですよね。良かったら、このまま私がご案内しますよ」
「ほ、ホントですか?! 助かります~!」
さっきまで困り顔だった久瑠美の表情が、パッと明るくなった。
**
「へ~~。久瑠美さん、児童文学を学ばれているのですか?」
さくらはキャンパス内で迷子になった女性と肩を並べ、工学部に向かって歩いていた。
「ええ。子どもの頃から本が好きで。何度も同じ本を図書館から借りて来ては、繰り返し読む子だったんですよ」
普段あまり接点のない文学部の話に、さくらは興味津々だ。
「やっぱり文学部って本が好きな方が多いんですね~。私も読書は好きだけど、それについて研究しようなんて考えなかったなぁ……。
そもそも大学で文学を学ぶって、具体的にどんなことを学ぶんですか? 私は理系なので、その辺りの事全然知らなくて……」
さくらの質問を聞いて、久瑠美は優しく微笑む。
「私、母子家庭で育ってて……経済的にもあまり恵まれていなかったし、引っ越しも多かったから、本はもっぱら図書館から借りてくることが多かったんです。
まあ、そのおかげで色んな図書館に行って、たくさんの本に出会えましたけどね。
色んな本を読むうちに、もっと本の事や文学の本質について知りたくなったんです」
懐かしい思い出を語る久瑠美を見て、さくらはさらに訊ねた。
「引っ越し? お母様は転勤が多いお仕事だったのですか?」
「あ…いいえ…。ここだけの話…父が暴力を振るう人だったんです。DVってやつですね。それで母と二人…逃げ回っていたんです。
とっくに離婚していたんですけど、父は諦めきれなかったみたいで……」
久瑠美の表情が寂しげに曇る。
「ご、ごめんなさい! 余計な事を訊いてしまって……」
さくらは慌てて謝罪した。触れてはいけない部分に触れてしまった気がして、さくらの表情も暗くなる。
「あ、いいえ! 私の方こそごめんなさい。初対面の方に、こんな事言うべきではありませんでした。
でも、父だけが悪いわけじゃないんです。母も弱すぎた。弱いことは罪です。母がもっと強ければ、私たちは逃げ回らずに済んだかもしれない。
だから……私は強くなりたいんです。もっともっと勉強して、自立した女性になりたいの」
暗い表情のさくらと対照的に、久瑠美の顔は明るい。
幼少時代の暗い過去。それをバネに成長しようとする姿はステキだな、とさくらは思った。
「きっと久瑠美さんならステキな女性になれると思うわ」
さくらは久瑠美を見つめ、微笑んだ。
「ふふっ。ありがとうございます。なんか、さくらさんに言われると、そうなれそうな気がしちゃう。不思議ですね」
久瑠美も嬉しそうに微笑んだ。
「あ、そうそう! 文学部ってどんなこと学かっておっしゃってましたよね。それ、良く訊かれるんですよ」
話題を変えようと、久瑠美がさくらの顔を見る。さくらも「そうだった」と相槌を打った。
「私は児童文学の中でも、《動物絵本》について研究しているんです。
子どもの身近な事を題材にした絵本は、登場する動物も身近なものが多いのが特徴なんですよ。
例えば、ウサギ・クマ・ネズミ・ブタなどですね。もちろん最近は身近でない動物もいます。登場する動物は、時代背景も関係するんですよ」
「なるほど~。確かにそうですね!」
言われてみれば、昔は身近だったかもしれないが、最近はネズミなんてペットで飼う以外家で見ることはない。
野山を駆けまわる野ウサギやクマを見かけるなんて、都会はもちろん、田舎でもまれなケースだ。
「特に昔のオオカミは悪者として登場することが多いでしょ? でも、最近出版されてる絵本は悪者じゃないオオカミも多いんです。
これも時代による認識の違いによるものと思われます」
(悪者……? オオカミ……?)
どこかで聞いたことがある言葉に、さくらは引っ掛かりを感じた。
(ウサギ……ブタ……オオ…カミ……?)
何かが見えそうで見えない。思い出せそうで思い出せない。それは深い霧の中で方向を見失ったような感覚に似ている。
思い出さなければいけない何か。
自分が何か託されている。
でも…それが何なのか全く分からない。
ざわざわと心が乱れる。得体のしれない不安感。
足元から闇の中に引きずり込まれるような——
「はーっ…はーっ…はーっ…」
意識して長く息を吐く。今、赤井はそばに居ない。発作を起こさぬよう自分で対処するしかない。
ふと、男性の膝に乗っていた記憶がよみがえる。
温かな膝の上。嬉しくて楽しくて。キャッキャッと笑いながらその顔を見上げた——。
(顔……思い出せない……)
温かな記憶すら思い出せない事が切なく感じた。
「星川さん?」
突然黙り込んでしまったさくらの顔を、覗き込む様にして久瑠美は声をかけた。
「大丈夫ですか? 少し顔色が悪いようですけど…」
「え? あ、ああ。ごめんなさい。ちょっと最近忙しくて、あまり寝ていないから……」
さくらは慌てて取り繕った。乱れていた呼吸を整え、笑顔を作る。
「あ、あそこに見える建物が工学部よ。ココからなら迷子にはならないわ」
「ありがとうございます。助かりました」
目的の建物が見え、久瑠美がホッとしたような笑顔を見せた。
「じゃあ、私はこれで。お話できて楽しかったわ。お友達と無事に会えると良いわね」
「はい、こちらこそ。本当にありがとうございました」
久瑠美に笑顔を向け、さくらは踵を返すと森教授の待つ研究室へと急ぐ。
そのさくらの後姿を、先ほどまでの笑顔が消えた久瑠美が、無言で見つめていた。