第4.5章 二人の遠出~長野旅行編~
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クネクネと曲がりくねった道を車は苦も無く走る。周りの木々は赤や黄色に色づき、秋の訪れを告げていた。
時折吹く風でひらひらと葉が舞い落ちる。それをさくらは嬉しそうに眺めていた。
「結構な上り坂ね」
「ええ。長野は雪が多いんでしたっけ? この車も4WDですけど」
「あ~…長野は南北に広い県だからね。この辺りは多いかもしれないわ。雪が降ったらこの坂道、大変そう…。確かに4WDじゃないと心配かも」
ナビを見れば、この先にはスキー場があるらしい。
「さすがにまだ降らないですよね? 雪」
心配そうに昴がさくらの顔をチラ見した。
「イヤイヤ、さすがにまだでしょう。このレンタカーだってスノータイヤじゃないし…」
だよな、とホッとした顔をする昴を見てさくらは「ぷっ」と笑い出す。
「あんなに穴が開くほどガイドブック見てたのにね。雪の時期まではチェックしなかったの?」
クスクスと笑うさくらを横目に、昴は口を尖らせた。
「お前との旅行だと思って、浮かれていたんだ。雪の時期まではチェックを忘れていたよ」
思わず赤井の口調で返事をした。それを聞いて、さくらは声をあげて笑った。
「あははっ、昴さんでもそんなことあるのね。ふふっ嬉しいな。あなたとの旅行も。いつもと違うあなたの姿を見るのも」
可愛いセリフに昴の心臓がドキリと跳ねる。
ああもう‼ そういうところだぞ! これ以上カワイイ姿を晒してくれるな! 襲われたいのか⁈
叫び出したい衝動をどうにか抑えた。
「あんまりカワイイ事言うと、行き先変更になりますよ」
照れているのを隠すように昴がつぶやく。
「あなたとならば、どこへでも」
「さくら~ッ!」
耳まで真っ赤にした昴を見て(今回は私の勝ち!)と、さくらは小さくガッツポーズをした。
戸隠へと通じるスカイラインを、昴は途中から素数を数えながら走った。そうでなければ本当に行き先を変更してしまいそうだ。
お陰でせっかくの紅葉も、美しい鳥のさえずりも、昴の五感には届かない。その様子を、さくらは時々チラ見をしながら笑っている。
(笑っていられるのも今のうちだぞ!)
夜になったら覚えておけよ! と昴は心の中で悪態をついた。
やがて——。昴の忍耐のお陰で、行き先を変更することなく戸隠中社へとたどり着いた。
「うわぁ〜! 立派な鳥居ね~!」
「杉の木も大きいですね」
長く急な石段を上り、周りを見回した。やや開けたところに「神水」と書かれた手水舎(てみずや)と大きな杉の木がある。
「さくら、あれが樹齢約800年の三本杉ですよ」
「800年?!」
二人で大きな三本杉に近づく。三本の杉が一本にまとまったような姿をしている。その根元は大人が数人で手を繋がなければ周りを囲えないほど太い。さくらはそっと手を伸ばした。
神聖な周りの雰囲気と杉の香り、土の匂い。温かい木の感触。そのすべてが凍てついた心を溶かすように、さくらの中に染み込んでいく。
さくらは木に触れたまま目を閉じた。
『おいで、りお』
『りお、ごめんね』
優しく名を呼ぶ父と母の声が。そして——
『ラズベリー…気に入ったか?』
優しく微笑む冴島の声が聞こえた気がした。
(私…たくさんの人に愛されているんだなぁ…)
目を開け隣に視線を向ける。同じように木に触れながら、心配そうにさくらを見る昴と目が合った。
「どうしました?」
こちらを見つめたまま動かないさくらに、昴が声をかける。
「ううん。秀一さんの事が、私本当に好きなんだなって思っていたの」
「え?? ちょ……え? と、突然何を言い出すんですか!」
「エッ! 昴さん、照れてるの?」
普段、昴の時も赤井の時も、さくらが「好き」と声に出した時は、嬉しそうに微笑むだけで照れたりはしない。
今日の昴(赤井)はいつもと違う反応ばかりだ。
(珍しい…。ガイドブック見過ぎて寝不足のせいかな)
いつもやられっぱなしなので、たまにはこういうのも気分が良い。
さくらはスッと三本杉から手を離すと、昴に後ろから抱きついた。
「ッ! さくら…っ」
「昴さん…ううん、秀一さん……好き。大好きよ…。今日は連れてきてくれて…ありがとう」
大きくて温かな背中。この背中にたくさんの物を背負っている事をさくらは知っている。
どんなに辛いことがあっても、悲しいことがあっても、絶対にあきらめない。多くの人たちを守り抜いてきた。悪に立ち向かう強い背中。
(この背中を…。私が守りたい…)
さくらは昴の背中に顔をすり寄せた。
貿易会社の爆破事件の時——
同じ惨状を見、出来る限りの手を尽くし、それでも助けられない命もあった。
元より赤井は優しい人だ。傷ついていないはずが無い。それを絶対に表には出さないけれど。
そしてさくらはもう一つ知っている。
さっきまで息をしていた人が呼吸を止めた瞬間。赤井が辛そうな顔をして奥歯を噛みしめたことを。
爆破事件の時だけじゃなく、それはスコッチが息絶えた時も——。
「秀一さんも…私の前では正直でいて。辛いときは辛いって言ってね」
「……さくら…お前…」
背中に抱きついたまま、二人は互いの体温と鼓動を感じ合う。腹の前で組まれたさくらの手に、昴はそっと自分の手を重ねた。
「お前の前では…カッコ悪い俺を見せてるよ。感情をむき出しにして怒ったり、涙したり、笑ったり。
お前の前でだけ…俺は素直になれるんだ…」
スルリとさくらの両手を掴むと、組んでいた手を引き離し、そのままくるっとさくらの方へ向き直る。
「だから…こんなカワイイ事されると困るんだ。旅行の時くらいカッコ良い俺でいたいのに…。このまま押し倒してしまいそうだ」
今度はお互いの方を向いて抱き合った。さっきよりも鼓動が大きく聞こえる。
「……りお…愛してる」
(このタイミングでその名前で呼ぶの…ずるい…)
さくらは赤井の匂いとタバコの匂いがする昴に、ぎゅっと抱きつく。
二人が抱き合う中、中社の三本杉が風を受け、ザワザワと優しい葉音を立てていた。
中社で参拝をしてお土産屋さんをのぞいた後、二人は蕎麦屋に入る。
「戸隠蕎麦って名前くらいは聞いたことあるけど、実際食べるのは私、初めてなんだよね」
「私も初めて食べますよ。ガイドブックによると蕎麦の盛り付け方も特徴があるそうです」
「へぇ〜。楽しみね!」
ガイドブックを広げ、次に行くところの話をしながら二人は蕎麦を待っていた。
「天ザルお待たせしました~」
元気な店員さんが、トレーに載せられた蕎麦を二人の前に置いた。
「わぁ! すごい!」
「これは…きれいですね~」
竹細工の美しいカゴに季節の天ぷらと、同じく竹細工のザルには、一口分ずつクルリと丸められた蕎麦が五束並んでいる。
「これは《ぼっち盛り》といって、この地方に伝わる伝統的な盛り方です。戸隠では《一人前五ぼっち》としていて、この『五』という数字は戸隠神社が五社ある事に由来する、という説が有るんですよ」
店員さんの説明に二人は目を丸くする。そばの盛り方一つにもいわれがあるとは。さすがは神の国である。
さあ、天ぷらが冷めないうちにどうぞ、といわれ二人で箸を取った。
「「いただきます」」
ズルルル~ッ
さくらは勢いよく蕎麦をすすった。
「ん~、美味し〜い! 香りも歯ごたえものど越しも絶品だわ!」
東京でも蕎麦は食べられるが、これほどの味にはなかなか出会えない。さくらはのみ込んだ後の香りの余韻に浸る。
うん。すごい。ここのお蕎麦、美味しすぎ。
まさに目で楽しんで口で味わって、のど越しを楽しむ。これ以上の贅沢はあるだろうか。
ふと前を見ると、なぜか悪戦苦闘している昴がいる。
「? 昴さん。お蕎麦はすすって良いんですよ」
「え、ええ。知ってはいるのですが…。私…すするのが苦手なんですよ…」
(ああ…イギリスもアメリカも、すする文化は無いものね…)
ず…ずず……ず…
昴が蕎麦を口にすると、なんともぎこちない音がする。そして音のわりに、蕎麦が口の中に入っていない。
「いっぱい口に入れすぎなんじゃないのかな? お猪口に入れたら、食べられる分だけ箸でつまんで一度上にあげてみて。そうそう。それが一口分だよ」
「え? ひとぼっち全部入れるんじゃないんですか?」
「口に入れば良いけど…結構ボリュームあるよ?
すするのが苦手な人にはハードル高いかも。半分くらいずつでも良いと思う」
昴は教わった通り、お猪口から一口分をつまむと一度上にあげてみる。
「お箸でつまんでいるところを口に入れて、後はすすった時にお蕎麦が揺れてつゆを飛ばさないように、箸を添えていれば大丈夫よ」
見てて、と言ってさくらはお手本を見せた。
「なるほど。やってみます」
さくらに教わった通りに真似してみると、先ほどよりはスマートに蕎麦を食べる事が出来た。
「うん。上手。何回かやってるうちに出来るようになりそうね」
そこへ、二人の様子を見ていた店員さんが蕎麦湯を持って近づいた。
「ふふ。こちらのお客さんは海外育ちなのかい? そばの食べ方をレクチャ—してもらったら、最後にこの蕎麦湯もチャレンジしてみて」
「あ、ありがとうございます」
ごゆっくり〜、と店員さんはテーブルから離れていく。
『ホント、日本という国は一般人であっても油断できないな』
昴が小さく耳打ちした。
『日本人のフリして潜入するなら、お蕎麦やラーメンの食べ方くらい事前に調べておけって事じゃない? ラーメンは日本の国民食。前に一緒に食べた時も、そういえば下手だったもんね』
『ぐっ! もっと早くりおに教わっておけば良かった……』
その後も何度か試すうちに見違えるほど上手に食べられるようになった。
「お兄さん、上手になったね~」
店員さんにも褒めてもらい、昴は照れ笑いをしながら残りの蕎麦を食べる。
(この昴さんが《赤井秀一》って…にわかには信じられないわね)
さくらは天ぷらを頬張りながら、その姿を眺めていた。