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『世界がいくつあったとしても』

第28話:“違和感の正体”

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「……えっと七瀬さん。 俺はどう寝たらいいのかな?」

 目の前に広がる七瀬の寝室を見た隼人が思わず呟いた。
寝室なのだから寝るために連れて来られたと思っていた隼人だったが、寝具らしきものは七瀬がいつも寝ているであろうベッド1つしかなかったのだ。

 そんな1つしかないベッドを指差す隼人に対し、七瀬はニコリと微笑む。

「もちろん一緒に寝るんやで? セミダブルやから大丈夫やろ」

 さも当然だと言うように答える七瀬に、目を丸くする隼人。
そんな隼人に対し七瀬は笑顔を崩さず、再び彼の手を引く。

「さっ、歯磨こうか」

………………

…………

……

 歯を磨き終えた2人は早々に寝室に戻って来ていた。
隼人はというとベッドサイドに腰かけ、ガックリと肩を落としていた。
それと言うのも、洗面所で真新しいピンクの可愛らしい歯ブラシを受け取りながら、隼人は「ソファーで――」とどうにか寝室で寝ることを回避しようと試みたのだが、七瀬から「そないなもんあれへんよ」と一蹴され諦めの境地でこの場に居た。

「電気消すで?」

「う、うん」

パチッ

 七瀬が寝室を照らす照明シーリングライトのスイッチを押すと、部屋は豆電球の様な薄明かりが灯るだけとなった。
ベッドへと段々と近づいてくる七瀬の姿に、隼人は緊張し息を吞む。
そんな隼人とは対照的に、七瀬は暗さで表情こそ見えないもののさも自然な足取りでベッドに入っていった。
しかも自らの逃げ場を断つように壁際に寝そべる七瀬の姿に、夢の内でも同じ位置ポジションだったことを思い出す隼人。

「隼人も布団に入り?」

 隼人が布団に入って来ないことを不思議に思ったのか、七瀬はそう言うと布団の空いたスペースをポンポンと叩く。

「うん……お邪魔します」

 七瀬の言葉に従い布団に入ると、それまで誰の事も包み込んでいなかった布団は冷たく、隼人は思わずブルっと身震いする。
寒さに耐えかねた隼人は捲り上げていた布団を身体に掛ける、すると微かに舞った風に乗り七瀬の香りが鼻腔を擽った。
その香りに懐かしさを感じ、どこまでも夢と酷似している状況に驚くばかりの隼人。
布団を叩く仕草さえも夢と同じで何処までも酷似する様は、思い出せない言葉すら本当に目の前の七瀬と関係があるのではと思わずにいられなくなっていた。

 そんな事に気を取られていると、不意にこちらを見ていた七瀬と目が合う。
こうして男と女がベットで見つめ合ってどうなるかなど選択肢はいくつもない。
そして、この2人にとっても例外ではない。

「なぁ、隼人……」

 そう言って少しあった互いの隙間を埋めるように、身体をグッと寄せて来る七瀬。
こういう時、夢では大抵キスをせがまれていたから、隼人は自然と七瀬の唇に目がいってしまう。

 その唇に夢の内で何度触れただろうか、自然と隼人は七瀬とのキスシーンを思い出していた。
血色が良く柔らかな唇に触れ隼人が啄むようにすると、お返しとばかりに七瀬は下唇を軽く噛んでくる。
そしていつの間にか互いに舌を絡ませ深いキスへと至るのだ。

「……隼人?」

 七瀬の呼び掛けに我に返る隼人。
声によって現実に引き戻された瞬間、目の前にあったのは七瀬の顔であった。
あまりに唐突な状況に驚いたのもあったが、考えていた内容が内容なだけに恥ずかしく無意識に後ずさる隼人。
すると、そこは既に端で隼人は盛大にベッドから落ちた。

「うわっ」

ドタっ

 一瞬の浮遊感からの落下、その後訪れた背中に走る衝撃共に隼人の視界には天井が一杯に広がる。
大した痛みではなかったが、咄嗟のことで思わず「いたっ」と声を上げた隼人。

「うそっ!?」

 驚いたような七瀬の声がしたかと思うと、ピッという音と共に部屋の全体像が見える程度に明るくなった。
どうやら七瀬がサイドテーブルに置いてあったテーブルランプの灯りを点けたようだった。

「大丈夫!?」

 七瀬はベッドから身を乗り出し、心配そうな表情で隼人を見下ろしていた。

「だ、大丈夫」

 七瀬の心配そうな声に隼人は片手を上げ応えつつ、逆の方で身体を起こそうと床に手を突く。
その手は不意にベッド下に入るかたちとなり、不意に指先に“何か”が触れるのを感じる。

「ん?」

 触れたものが何なのか気になり、隼人はもう少し手を奥に入れ、その“何か”を掴んだ。 
触れると冷たく感触は軟質とも硬質ともとれない何とも言えないもので、隼人にはそれが何なのか皆目見当のつかず難しい表情かおをした。
それを見ていた七瀬は不思議そうな表情で隼人を見る。

「どないしたん?」

「何か落ちてるみたいで――」

 隼人は七瀬の問いに答えながら、ひょいと“それ”を持ち上げて見せた。
すると目の前に現れたのはピンク色をし、力なくだらんとした“ある物”だった。
何であろうかと薄明りの中よく見ると、それは口が縛られ使用済みだと一目で分かるコンドームであった。

「えっ……うわっ!?」

 物の正体を知り隼人は思わずパっと床へ落とす。
いくら自分が拾ったとはいえ、他人それも他の男の着けていたものだと思うと触れていられず無意識にやってしまっていた。

「あっ……」

 ぽとりと床に落ちたその“ピンクの塊コンドーム”を見て、それが何であるかを察した七瀬は小さく声を漏らす。

 2人は思い思いの意味を含んだ呟き声を上げた後、ときが止まったかのように、それコンドームを黙って見合う。

 その状態みためから自分ではない誰かとの行為セックスの跡であることは明らかで、それを見せられた隼人はショックを受けていた。
勿論、夢での出来事云々を抜きにしても七瀬には過去に彼氏が居たことは公然の秘密であり、それで処女バージンでないことは当然の事として理解していた。
だが、それは過去にあった出来事としてであり、こうやって日も浅い生々しい痕跡を見せつけられるとは隼人も思ってもみなかった。

 だが、これで“違和感”が何であったのか、その正体を悟る隼人。
家に足を踏み入れてからずっと漂っていた違和感とは、他の男の気配だったのだ。
この気配は同棲していた経験があればこそのものであり、そうでなければ気付くことはなかっただろう。
隼人はそれを幸か不幸か一度夢という形で経験してしまっていた。
同時にあやふやであった記憶の扉が開かれ、隼人は“コケタニくん”がソファーの上に置かれるようになった理由わけを知った日の事を思い出すのだった。

…………………………

……………………

………………

…………

……

 事の発端は隼人と七瀬が同棲して暫く経ったある日のこと。
同棲後、初めて隼人が訳あって数日間家を空け、帰って来た日の夜のことだった。
数日ぶりの再会とあって2人共昂ぶっていた。
食事を終えると団欒もそこそこに、2人は熱い接吻キスを交わしながら寝室へと移動する。
隼人はキスをしながら器用にベッドの掛け布団を捲り、そこに七瀬を寝かせようとする。

「あっ、ちょっと待って」

 ところが寸で何かに気付いたのか七瀬が隼人を制止する。
隼人に抱擁されたまま七瀬は器用に身をよじると、ベッドの枕元に置かれた“あるもの”を手にする。
それこそが七瀬お気に入りのぬいぐるみ“コケタニくん”であった。
コケタニくんを手に何か探すようにキョロキョロする七瀬に対し、お預けをされていた隼人がたまらず抱き寄せキスをする。

「あんっ。 もう……んんっ」

 抱き寄せられ身体の自由を奪われた強引なキスであったが、それを受け入れるように七瀬も自らの唇を寄せる。
そうやって2人のキスが深くになるにつれ隼人の七瀬を抱く力も増し、彼女が腕に抱く“コケタニくん”もその形を変えようとしていた。

「ちょっ、隼人! そないしたらコケタニくんが潰れてしまうやろ」

 圧縮されるかのように自らの腕の中で形を変えるぬいぐるみの感覚に、七瀬はキスから逃れ非難と共に隼人を制止する。
するとキスに意識のいっていた隼人は、周りが見えていなかった事、延いては七瀬の意志を無視したのだと感じたのだろう、慌てて彼女を腕から解放すると困り顔で謝った。

「ご、ごめん……」

「もう……せっかく潰れんようにってしてたんやで?」

 大事なぬいぐるみとあって潰れてしまうのを避ける意味で声を上げたから、七瀬は内心全くと言っていいほど怒ってなどいなかった。
だから、自分の言葉よって叱られた子供のようにしょんぼりとする隼人が、あまりに可愛く七瀬は思わず苦笑する。
そして七瀬はコケタニくんをベッド脇のサイドテーブルへ置くと、再び身体を預けつつ上目遣いで隼人を見た。

 そんなことをアイドルになれる程の美女にされ平然としていられるものは多くない。
それは恋人をしていても例外ではなく、先程までとは打って変わり今度はおろおろとする事になる隼人。

「そんなにななとしたかったん?」

 年上の余裕なのか、目を細め何処か楽しむような表情で隼人に問う七瀬。

「それは……」

 それに対し隼人は視線を彷徨わせドギマギするように言葉を濁す。
男として当然ともいえる欲求だったが、そういうことばかりを考えていると思われたくないという気持ちもあって隼人は言い淀んだ。

「……なな、夜ずっと寂しかったんやで——」

 そんな言動から垣間見える男心を可愛いと思ったのか、七瀬は隼人の言葉を待たずして自らの気持ちを打ち明ける。
そこに嘘はなく直前までLINEなどでやり取りを行っていても、眠りにつく頃隣にいつもあった隼人という存在を失ったベッドの上で、七瀬は独りの寂しさを感じていた。

「——だからな、コケタニくんと一緒に寝とったんよ……」

 そして七瀬はそんな寂しさを埋めたのがコケタニくんという存在だった事を続けて打ち明けた。
恋人の代わりにぬいぐるみを抱いて寂しさを紛らわせていた、などと年下の隼人を前に口にするのが恥ずかしかったのか、七瀬はそれだけ言うと俯いてしまった。

…………………………

……………………

………………

…………

……

 それ以降、ソファーの上がコケタニくんの定位置となった……そんな夢だったことを隼人は思い出した。

 そして今現実世界で隼人の前に“ソファーに置かれたコケタニくん”と“ベッド下で見つけた使用済みの避妊具コンドーム”という事実があり、この2つの事から導き出される解は1つしかない。

 その答えとは“七瀬がこの部屋で誰か他の男性と一緒に居た”という事である。
勿論、コケタニくんがソファーの上に置かれた経緯、これは夢の内で得た情報に過ぎないのだが、2人の前にある物的証拠が紛れもない真実を物語り、現実として存在していた。

 使われてから時間が過ぎているのだろう、外側は水気を失い干からびかけたピンクの“避妊具コンドーム”。
それでも口が結ばれ乾燥から免れた中身は幾分かの水分を残しているのが、生々しい行為の後であることを窺わせた。

 恋愛において交際前の男性関係ならば浮気でもなく、恋人と言えどそれに対しとやかく言うことなどできない。
だが、加入前の過去の交際でさえ問題となり、それなりの処罰が下されるアイドルという世界に身を置く七瀬にとっては事情が異なる。
そんな厳しい世界にあっても七瀬は発覚するリスクや、その後の処罰されるやも知れないことに対する覚悟もって、隼人との交際をスタートさせた……はずだった。

 ところがいざ蓋を開けてみると部屋には他の男の形跡と、それを裏付けるように寝室ベッドルームには情事の痕跡あとが残されているではないか。
“清廉潔白に見える”ことを求められるアイドルは、その実裏では何をしているか分からない……そんな実例であるような状況はそれまでの清楚なイメージを守ってきた“乃木坂46”というグループの印象は疎か、七瀬の言動を否定するようなものであった。

 重い沈黙が続く中、七瀬の心中穏やかであるはずもなく“どうしてこうなったのか” “あんな物が何故あの場所に……”そんな混乱した想いや疑問が止め処なく湧いては消えるを繰り返していた。

 纏まりのない思考は沈黙を生み、沈黙の時間の分だけ、七瀬の“想い”が劣化と変質を起こしていく。
いつの間にか“何か言わなければ” “黙ったままでは誤解される”そんな思いだけが七瀬を支配し、駆り立てられる思考の中に“想いの一片”すらもない誰が為に向けられたものか不明な言い訳だけが生成されていく。
七瀬はそれまで見ていた避妊具モノから視線を逸らすかのように目を閉じながら天を仰ぐと、小さな溜息を吐く。

「隼人、それはな——」

 だが、隼人の表情かおを見た七瀬は、それ以上言葉を続けることができなかった——。
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