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『世界がいくつあったとしても』

第26話:“見知った風景と漂う違和感”

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 事態が動き出す。

 そして動き出した事態のその先には一棟のとある建物があった。
そこは都内でも高級と分類され、度々テレビでも紹介される地域の1つに建つマンション。
外観の豪華さに加え、エントランスへ入るためのオートロック、玄関ドアには複製を困難にするキーを採用した鍵穴が付けられ、このマンションのステータスやセキュリティの高さを示していた。

 その鍵穴へディンプルキーが指されるとガチャリという金属音と共に解錠され、ドアが開くと同時に玄関を支配する闇へ一筋の光が射し込んだ。
“家主”は射し込む薄明かりの光を頼りに馴れた手付きで照明のスイッチを点けると、靴が6足は並べられるだろうスペースを持つ玄関が姿を現した。

「さっ、入ってはいって」

 この部屋の家主である“七瀬”は照明のスイッチから指を離すと、玄関の外に待たせた“客人”を嬉しそうに手招きし呼んだ。

「お、お邪魔します……」

 手招かれた“男”は緊張した面持ちで、七瀬に続き玄関へと足を踏み入れる。

「もう、そない緊張せんでもえぇやん」

「そう言われても……」

 緊張からかキョロキョロと挙動不審にも見える“新城 隼人おとこ”の様子に、来客用のスリッパを並べながら七瀬は思わず苦笑する。
一方、家主である七瀬に言われたとはいえ、緊張するなという方が難しい状況に置かれた隼人の心境は複雑だった。

 当初、七瀬に宿泊場所について解決方法があると告げられ、彼女の知っているホテルへ案内されるものと思い言われるがままタクシーに乗った。
ところが連れてこられたのはホテルなどではなく、このマンションであったのだ。
しかも複雑な心境になる原因こそ、このマンションの存在自体に起因していた。

『やっぱり、ここだよな……けど――』

 それもそのはず、初めて訪れたこのマンションを、隼人は以前より知っていたのだ。
マンションのエントランスを抜けると、広々としたホールとそこにある2基のエレベーター。
そこから高層階にあるこの部屋に到るまでの内廊下、隼人はずっと歩きながら既視感デジャヴを感じ続けていた。
それも単に“知っているかもしれない”程度ならば良かったのだが、見るもの全て自分の夢の中に幾度となく登場したのを隼人は鮮明に覚えていた。
そして忘れる訳がない最大の理由、それは夢の中で隼人がここであろうマンションの一室で七瀬と“同棲”していた時期があったからだった。
そんな事を思いながら玄関を見渡すが、2人で買い揃えた物は当然なかった。
だが、それらを踏まえても何か雰囲気が異っていることを感じ取る隼人。

『夢の中での話だしな……』

 当然、夢と現実が同じ訳がないことを理解しつつ何故だかその理由ではしっくり来ず、その違和感が何処からくるものかを確かめるように、出されたスリッパを履きながら玄関を見渡した。

「あんま見んといて恥ずかしい」

 何度か部屋の中に視線を彷徨わせる隼人に、流石に恥ずかしさを憶えたのか七瀬は手を振っては視線を遮る。

「ごめん。 七瀬の家なんだって思ったらつい……」

 恋人であると同時に憧れの芸能人の家となれば……そんな自然な言い訳も自然で隼人の行動に対しそれ以上言及されることはなく、七瀬の話題は別のものに移っていた。

「クスっ。 それにしてもまさかあんな大事なこと、隠してるなんて思わんかったわ」

「それはごめん。 でも悪気があった訳じゃないんだよ?」

 廊下をパタパタと音をさせ歩く七瀬の背中に、追加の言い訳をしつつ隼人は憶えのある廊下を横目に後ろを付いていく。

 廊下にはいくつかの扉があり、見た目や配置など、やはり知っている風景そのものだった。
夢の中と同じであるなら、それらはそれぞれ寝室、トイレ、そして洗面所と風呂へと繋がっている。

 それら扉を通り過ぎ廊下を進む七瀬は、突き当たりの他とは異なるガラススリット入りの扉を開けると入って行った。

ガチャッ

 後ろを付いて歩いていた隼人だったが、何故か部屋の前でピタッと足を止め七瀬に続いて入ろうとしない。
ここも夢と同じであるならば、この部屋はキッチン、ダイニングリビングであるはずの場所だった。
廊下から射す薄明かりでは何も見えなかったが、程なくして七瀬が壁際にあったスイッチで明かりが点き部屋全体を照らし出す。

 七瀬はリビングの明かりを点けるともう一歩奥まで部屋に入ると、後ろを付いてきているであろう隼人の方へと振り向いた。

「荷物はその辺にでも置いといてな」

 そう言って入口付近にあるダイニングテーブル辺りを指さし、荷物の置き場所を伝えようとした。

「……」

 ところが隼人はそんな言葉に反応も見せず、自分の背中越しにリビングを見ていた。
部屋に来てからキョロキョロしたり落ち着きのない様子だったが、ここに至っては反応すらない状態の隼人に、七瀬は心配になり声を掛けた。

「どないしたん?」

 その七瀬の声にハッとなる隼人。
すると眼前には覗き込む様にこちらを見る七瀬の顔があった。
憂えを含んだ感情が見え隠れする表情に、隼人は咄嗟に作り笑顔で誤魔化そうとした。

「……えっ、あっ、 いや、何でもないよ」

 だが、これまでが運が良かっただけなのか、とうとう誤魔化しが効かなくなったように七瀬の表情が険しくなる。

「何でもない訳ないやろ。 また何か隠してるんちゃうん?」

 そう言って七瀬は険しい表情でズイッと一歩前に踏み出すと、隼人はそれに気押されるように一歩後ずさった。

『言える訳ないよ……』

 隼人は内心そんなことを思いながら冷や汗を流していた。
七瀬の背中越しに存在するリビングを前に、それまで何処となく感じていた違和感。
それは自分が知っている“夢”の中で住んでいた部屋と異なる部分ではなく、それとも異なる何か違う存在を感じていた。
それがここに来てより強く半ば確信にも変わったことなど七瀬に言える訳もなく、隼人は言い訳を頭の中で考えていた。

「まぁえぇわ。 そんな事より“それ”重いやろ置いたら?」

 ところが七瀬はあっさりと話題を変え、隼人の持つ“ある物”を指差した。
“ある物”それは隼人の持つキャリーバッグであった。
部屋に着くまではコロコロと音を起てていたのだが、気が付くと音もなく今は彼がしっかりと手に持っていたのだ。
この部屋へ隼人を連れてきたことで奇しくも幻視内での自分たちと重なり、キャリーバッグを持つ彼の姿だけが違和感として際立って見えたのだ。

 指差された自分の手荷物を見た隼人は、これ以上言われずに済んだことに内心ホッとしていた。
同時に置けば良いものを何故持っているのか、不思議だと言わんばかりに自分を見つめる七瀬に、あるお願いを伝えた。

「何か拭くものあるかな——」

………………

…………

……

 あれから隼人は七瀬から拭くものとしてウェットティッシュを受け取ると、キャリーバッグのキャスターを拭くことができた。
置かなかった理由は、汚れたままのキャスターをフローリングに置くことを躊躇ってのものだったのだ。
それを知った七瀬は「そういうとこ好きやで」と笑っていた。

 そんな七瀬も「着替えてくるから」と言い残しリビングを出ていった。
だから隼人は今一人でリビングに置かれたソファーに腰掛けていた。

 一人になった隼人は半ば確信に変わった違和感の所在を探すように部屋を見渡していた。
部屋はナチュラルな木の色味を活かした床、そこから高めの天井まで続く白い壁紙、そしてソファーやダイニングテーブルなどの家具、テレビに至るまで白で統一されていた。
アクセントとしてカーテンやカーペット等へアッシュグレーが、程良く使われていて部屋に開放感を与え、同時に七瀬のセンスの良さを現していた。

 そこには案の定同棲を始めた頃一緒に選んだものはなかった。
それ自体当たり前で構わないのだが、気になるものをいくつか見つけてしまった。

 その一つ、隼人は自分の座るソファーに視線を落とす。
その革張りの表面は経年で革の張り自体緩くなっていたが大事に使われていて、全く綺麗なものだった。
だが、このソファーとは別のものを七瀬と選んだ記憶があるのだ。
夢の中の話なのだから、その通りになることなどあり得るわけがなく、ここまで偶然の一致なのだと頭では分かっているのだが、違和感を強く感じずにはいられなかったのだ。

 そして、もう一つ。
それはソファーに隼人共に鎮座する“あるもの”であった。
あるものというのは、ちよっとお腹の出ているサメのぬいぐるみ、名は“コケタニくん”という。
七瀬のお気に入りのぬいぐるみの1つで、幼稚園の頃から一緒に居るものであるらしい。
存在自体はファンの間で有名で、夢の中でも“コケタニくん”がこの部屋にあった記憶がある。
ところがこのぬいぐるみ、本来は寝室にあるものであったことから、隼人は置き場所に違和感を憶えたのだった。
以前、夢の中で七瀬がリビングに置くようになった理由を聞いた気がしたのだが、それを思い出すことができなかった。
思い出せなくとも些細な理由であれば良いのだが、得体の知れないモヤモヤする気持ちが隼人の不安を加速させた。

「“コケタニくん”可愛いやろ?」

 すると、そんな声が後ろから聞こえ、隼人は振り返った。
振り返るといつの間にかリビングへと戻って来ていた七瀬の姿がドアのそばにあって、ニコッとしながら近付いて来た。
そんな彼女の姿を隼人は一目見るなり、どうしたのか目を合わせようともせず口籠もる。

「あっ、いや……こ、これが有名なコケタニくんなんだね」

「?」

 七瀬は別段他意があり後ろから声を掛けた訳ではなかった。
リビングに戻るとソファーのぬいぐるみをジッと見つめる隼人がいたから、ファンであるなら“コケタニくん”を知っている体で話してしまったのだった。
ところが、隼人から返ってきた反応が思いの外悪く、というか視線を逸らされるという挙動不審な行動の理由が見つからず七瀬は首を傾げざる得なかった。

「どないしたんよ?」

「その部屋着はちょっと……俺には刺激が……」

「刺激って……」

 隼人は疑問に答えるように、ちらりと七瀬を見やると彼女を指さし再び視線を逸らした。
隼人の指さすのを目で追う七瀬は、それが自分の着る部屋着であると気付く。
Tシャツの上にモコモコのパーカーとハーフパンツという自分にとって定番の部屋着スタイルに、些かの疑問を感じない七瀬は文句を言われたように感じ独り言ちかけるが、前を開けたままのパーカーから覗くTシャツの胸元にぽっちが見え隼人の言葉の真意を理解し悲鳴を上げた。

「きゃっ」

 悲鳴と共に手ブラで胸を隠し身を捩り隼人の視線から逃れる七瀬。
と言っても、初めから殆ど隼人は視線を逸らしていたので、ほとんど見えない状態ではあっただろうが、自分の察しの悪さといつもの癖とは言え恋人の前での失態に顔を真っ赤にする七瀬。

「ご、ごめん――」

 隼人はというと悲鳴と視線から逃げ身を捩る七瀬を見て、悪くもないのに謝っていた。
非がなくとも声を上げられれば謝罪してしまうのが男のさがかと思いきや、隼人は意外な言葉を口にする。

「――上手く伝えられなくて……」

 夢の中の七瀬も家ではいつもこのような姿で居ることが多かった。
誘惑するような七瀬の姿を見せつけられても、夢の中の隼人は冷静で彼女にキスをしたり、極めて自然に抱いていた。
だが、それはあくまでも“夢”の中での話である。
“奥寺 圭子”という美女の幼馴染みが近くに居たこともあり、隼人は女性から言い寄られることもなくこの年齢まで来てしまっていた。
だから性に対して免疫を持ち合わせていない隼人にとって、まさに初体験とも言える体験だったのだ。
そんな隼人が本人を目の前にして余裕でいられるわけもなく、斜め上をいく言葉が口を吐いて出てしまっていた。

「……ぷっ」

 そもそもの原因は七瀬が下着を着けていなかったことにある。
寝室で着替えを始めたときは隼人と同じ屋根の下に居ることを意識していたはずなのだが、いつの間にか着けるという発想が抜け落ちてしまっていた。
だから、本来謝るべきは七瀬の方であるのだが、全く異なるベクトルへ向けられた隼人の謝罪の言葉がなんだか可笑しくて思わず吹き出した。

「こっちこそ堪忍な」

「う、うん」

 そう言って謝る七瀬だったが、パーカーの胸元のファスナーを閉じながらも笑いを堪えているようだった。
そんな七瀬の態度にも隼人は気にする様子もなく、寧ろその刺激的な姿を気にして目を逸らしていた。

「隼人だからなんかな……知らんうちに無防備になってしまうんは……」

 ぼそりと呟くように言いながら隼人を見つめる七瀬。
年上らしくリードするような言動の裏で、既視感デジャヴというか普段から当たり前にしていただけのようにも感じていて、何故こうなったのか本人も分からないでいた。
だが、隼人があたふたとしている姿を、七瀬は何故か珍しいように感じ余計に悪戯心が擽られる。

「う、嬉しいけど付き合ったばかりだし……」

「もう少し経ったらええん?」

 もう七瀬の胸元がパーカーで隠れたと思った隼人は逸らすのを止め、彼女をばつが悪そうに見る。
すると七瀬は目を細め悪戯っぽい表情を浮かべると、スッと再びパーカーのファスナーを下げる仕草をしながら返す。

それに驚いた隼人はパッと視線を再び逸らすが、七瀬の言葉とも相まって何かを想像したのか耳まで真っ赤にしていた。

そんな彼の様子に流石に揶揄からかい過ぎたと思った七瀬は「冗談やって」と笑って前を閉じた。

「もう……」

 揶揄からかわれた事に困り顔で応える隼人に、七瀬はクスリと笑う。

「そうや、今お風呂お湯入れるから、ちょっと待っててな」

 そう言って満面の笑みを浮かべ再びリビングを出て行く七瀬の姿を、隼人は複雑な表情で見つめていた――。


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