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『勘違いから始まる恋』第四章『それぞれの想い』

第076話

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 どんな物語にも終わりがあるように、会場全体の照明が点り流れるアナウンスが、観客にコンサートの終幕を告げる。

ザワザワ……

 客席の歓声は感想の声に変わり、コンサート中とはまた違った喧騒を振り撒きながら、続々と会場を去る観客たち。
万を超える人波が出口へと流れる中、一人だけ逆らうように自分の席から離れることのない男が居た。

「優子……」

 男が女性の名を小さく呟く。

 呟いた名は、その男“新城 隼人”の恋人であり、先のステージでパフォーマンスをみせていた“アイドル”のものであった。
だが、視線の先に広がる複数からなるステージ群に、その姿はなかった。

「珠理奈の兼任大丈夫かよ。 それでなくても忙しいってのにさ。 また運営の――」

 ファンの集団が興奮冷めやらぬ様子で会話をしながら次々と隼人の脇を通り過ぎていく。
多くの者はコンサートやサプライズ発表の話題に夢中で素通りしていたが、中には立ち尽くすかのようにしてステージを見つめる隼人に違和感を抱き怪訝そうにすれ違う者もいた。
それ程までに隼人の様子はコンサート終了後に似つかわしくないものだったが、そんな周囲の目など気にする様子もなくステージに視線を注いでいた。

 その瞳に宿るのは“悔恨”の色であり、隼人は先程あったことを悔やんでいた。

………………

…………

……

 戸賀崎によるサプライズ発表が終わり、客席のファンへとステージを駆けながら挨拶を済ませると、舞台袖へと捌けていくメンバーたち。
その中で先頭を行く“みなみ”が自分の方へと向かってくる姿を、難しい表情で見つめる隼人の姿が客席にあった。

 一見、先程までと変わらないように見える隼人の表情。
だが、その実裏では優子、みなみ、双方に対して、それまであった“曖昧”な想いとは異なるものが存在していた。

 それまで隼人の内にあったのは、優子を恋人として、みなみは嘗て愛した女性として、向いたベクトルは違えど両者を大事に想う気持ちであった。

 頭では優子を誰よりも大事に想っている。
それは“死ねるか?”と問われ「彼女のために絶対生きる」と答え山本 学を驚かせたことにも現れていたし、実際にみなみがAKBに居たことを原因にコンサートへ行くことを断念したのも、自分とみなみの関係を告げれば優子のパフォーマンスに影響するかも知れないという理由からだった。
たとえ、それが優子に対し嘘を吐くことになったとしても、その選択は正しいと思っていたし、事実コンサートへ行けないことを優子に伝えたまでは順調だった。

 ただ、それは隼人の表層意識を現わしたに過ぎず、未だ心の奥底ではみなみに少なからず想いを残したままでいる事実を、本人は気付けていなかった。
その結果、隼人の視線はみなみへと無意識に注がれ、優子に対しては極めて曖昧な態度をとることとなり、彼女のコンサートでの不振を招くことに繋がってしまっていた。

 しかし、背丈こそ変わらないが人間として大きく成長し、AKB48グループの未来さえ見据えているような強さを湛えるみなみの姿や、不振を隠しながら無理にパフォーマンスを続ける優子の姿。
その姿を前にした隼人は、自分が彼女たちを気に掛けるフリをしながら、実は過去のトラウマから自身を守ろうと保身に走っていただけであると気付かされる。
同時にそれは大きな過ちを犯し、自分が守ろうとした相手即ち優子を自らが傷付けていたことに気付くことになった。

 それが切っ掛けになり、それまでコンサート中に見た優子の表情が走馬燈のように脳裏を掠めていく。

 ファンに向け弾けるような笑顔を見せる優子……。

 自分を見つけ信じられないというような表情をする優子……。

 哀しみに満ちた表情を自分に向ける優子……。

 真剣な眼差しで踊り舞う優子……。

 一瞬輝きを取り戻したようにパフォーマンスする優子……。

 サプライズ発表など目に入らぬように、こちらに哀しみの表情を向け続ける優子……。

 隼人に向けられる表情に笑顔はなく、どれも哀しくそこに幸せの欠片など一切含まれてはいなかった。

 彼女をそうさせたのが自分なのだと思うと、やるせない気持ちと胸が締め付けられる想いが、隼人に難しい表情をさせていた。

 いつの間にか、みなみが目の前のステージまで来ていて、客席に手を振りながら目の前を通り過ぎて行く。
隼人の居る方にも目をやっていたが、優子とは違い彼に気付く様子はなかった。

 目が合うことも、気付かれることもないまま、次第に遠ざかっていくみなみの背中を見送る隼人。
不意にその遠ざかる背中が、まるで自分から離れていく優子の姿に重なって見え、胸がチクリと痛み隼人は思わず目を伏せた。

 痛んだ胸に何か予感めいたものを感じながら、それを振り払うように伏せていた視線を戻した。

 視線の先にあったのは、満面とは程遠いが笑顔をみせながら手を振り近づいてくる優子の姿だった。
お互いの表情が見える距離に来たとき、それまで優子が他のファンに向けていた視線を隼人に向け、数万という人間の中で見つめ合う二人。

『……』

『っ……』

 だが、見つめ合う二人の間に笑顔はなかった。

 そればかりか、優子の顔にあるのは先程までの形ばかりの笑顔ではなく、溢れんばかりの“哀しみ”と、拭い去りようのない“負”の感情を湛えた瞳が隼人を射貫いた。
自分を射貫く瞳の奥に強く深い闇を垣間見た隼人は、途惑いの表情を隠せなかった。
何故ならば、それは優子が自分の過去を語っていたときに見せた表情そのものであったのだ。

 二人の出会いの切っ掛けは最悪であったが、運命に導かれるように惹かれ合い心を通い合わせた結果、隼人は優子の心からの笑顔を見ることの出来る相手となった。
それだというのに“裏切らない”と優子に約束をした自分が、再び彼女に同じ苦しみを味合わせるような選択肢を選び取ってしまったことが悲しかった。

『優子……』

 伝えたいことが沢山心から溢れ“大島 優子”を想う気持ちが言葉となって、今にも口を吐いて出てしまいそうになる。

 いっそ言ってしまえば二人の間にある、誤解も蟠りも解けるかもしれない。

 だが、それは同時に目の前の“アイドル 大島 優子”の将来を絶つことになるやもしれないと思うと、隼人は何もすることができなかった。

 結果、何も出来ないままいる隼人の前を、それに“失望”したような眼差しを向けた優子が通り過ぎていく。

 その眼差しは優子が自分との間に深い心の溝を作り、離れた距離だけ彼女の心が離れていくのを隼人は感じずにはいられなかった。

 だと言うのに、隼人は優子を抱きしめ引き止めることは疎か、その名を叫ぶことも叶わない。

 ただ、感じるのは自分の無力さと、互いの指に僅かに繋がった“赤色の糸”が引かれる感覚だけだった。

 追いかけることの出来ない隼人と、徐々に離れていく優子の心はまるで両端を引き合う糸のようにピンと張り詰める。
だが、心の弾性を失っていた優子の糸は、いとも簡単に切れハラリと地面へと落ちた。
そして、その瞬間、優子の隼人を映す瞳の色が変わった。

 瞳に宿るのは優子が自分に見せる初めての感情“怒り”。
ストーカーだと間違えた時に見せた恐怖を含んだ怒りではなく、純粋な増悪だけの感情を向けられ、隼人は自分の贖いきれない罪の大きさを悔いた。

『優子……』

………………

…………

……

 それからどのくらい時間ときが経っただろうか。
いつの間にかステージから優子はおろか他のメンバーの姿さえ消え、周囲も明るくコンサートは終幕を迎えていた。

 それまでステージへ向いていた観客も、今は出口へと向かう人波に変わり、全ては“終わり”に向かっている……はずだった。
しかし、終わりへと進む人波に逆らうように立つ隼人にとって、優子が最後にみせた表情が脳裏から消えることも、その事実が夢のように消えることもなかった。

 何よりコンサートの終幕は事の終わりなどではなく、その後に起こるだろう事への始まりを告げるものでしかなかった――。


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