全面戦争終結から数ヶ月。星奈と荼毘は、世間の混乱とヒーローの追跡の目を逃れるため、日本各地の寂れた隠れ家を転々としていた。弔たち敵＜ヴィラン＞連合の主要メンバーとは一時的に離れ、二人だけの生活を送っている。

彼らの生活は、決して穏やかなものではなかった。

「……ッ、くそ」

夜中、荼毘のうめき声で星奈は目を覚ます。彼の全身から放たれる熱は、常人の体温を遥かに超えており、その蒼い炎の反動で、焼け爛れた皮膚は絶え間なく痛みを発していた。

「燈矢くん、大丈夫？また、熱が上がってる」

星奈は、反射的に自分の手から冷気を放出し、荼毘の額や胸元にそっと当てた。彼女の個性である**「氷」**は、火力が弱い代わりに、極めて純粋で精度の高い冷気を放出できた。それは、荼毘の暴走する炎の熱を抑え、彼の命を繋ぎとめる唯一の鎮静剤となっていた。

「……触るな。そのひび割れた手で、俺を冷やすな」

荼毘はそう言いながらも、熱に苛まれた体を彼女の冷気に預けた。彼は、彼女の凍傷のある手を気遣うが、同時に、その冷気を必要としている。この矛盾こそが、彼らの**「じれったい恋」**の新たな形だった。

「言ったでしょう。あなたの炎が弱くなったら、私が氷で体を冷やすって。共犯者の役目よ」

星奈は、目を閉じて冷気を送り続ける。彼女の体質はエンデヴァーと同じで、本来は熱に強いはずだが、彼女の**「炎」**が極端に弱いが故に、彼女自身も冷気に耐性がなく、手を酷使すればするほど凍傷は悪化した。だが、荼毘の苦痛に比べれば、自分の痛みなど取るに足らないと思っていた。

冷気は徐々に荼毘の体内に浸透し、彼の呼吸を落ち着かせる。

「……馬鹿が。お前まで、俺のせいで火傷……いや、凍傷が増えたらどうする」

荼毘は、薄く目を開け、星奈の目の下に走る小さなひび割れに指先でそっと触れた。

「これは、あなたが私のために触れてくれた時の熱の名残よ。私は、この凍傷が好き。あなたと、同じ体質で、同じ運命を背負っている証拠だから」

「どこまで、俺の呪いに付き合うつもりだ」

「どこまでも。だって、あなたは私の**『生きる理由』**になったんだから。全面戦争の時、あなたは私に『唯一の生きる理由』と言った。その言葉、忘れてないわ」

星奈は、彼の言葉を逃さなかった。彼女は、もはや燈矢の妹ではない。ただの一人の女として、荼毘というヴィランの全てを受け入れている。

荼毘は、その星奈の揺るぎない眼差しに、憎悪と復讐心で固まっていた心が、僅かに緩むのを感じた。

「……フン。お前のその氷は、あのクソ親父が求めた**『冷』**の個性より、よっぽど俺を救う」

彼は、そう言って、星奈の手を握り、自分の頬に押し付けた。彼女の冷気は、彼にとっての安息所であり、彼女の献身は、彼にとっての愛の証明だった。

彼らは、地獄という名の隠れ家で、お互いの弱さを補い合いながら、愛を深めていた。その愛は、世界から断絶されているからこそ、純粋で、そして狂気に満ちていた。


二人の逃亡生活が続く中、荼毘は、エンデヴァーへの復讐は成し遂げたものの、家族に対する執着を捨てきれずにいた。特に、弟である焦凍の動向は、彼の最大の関心事だった。

ある夜、彼らは都会の廃ビルの屋上から、轟家の私邸を一望できる場所に来ていた。

「見ろ、星奈。あの家だ。俺たちの、いや、焦凍の『家』だ」

荼毘の低い声には、憎悪と、わずかながら郷愁が滲んでいた。

星奈は、双子として過ごした記憶を辿る。焦凍と同じ部屋で寝起きしたこと、冷さんが優しく接してくれたこと。彼女には血の繋がりはなかったが、確かに家族として過ごした日々があった。

「燈矢くん……焦凍は、どうなるんだろう」

「どうなるも、こうなるもねえ。俺の告白で、あの家族は終わりだ。崩壊した。あの完璧なヒーロー家族は、もう存在しねえ」

その時、轟家の門から、一人の人影が出てきた。轟焦凍だった。彼は、いつものように冷静な表情をしていたが、その肩には、世界を揺るがした兄の告白の重さが乗っているように見えた。

「焦凍……」

荼毘は、焦凍から目を離せない。その瞳には、かつての嫉妬と、今の嘲笑が混じり合っていた。

「行こう、燈矢くん。もう、見る必要はないわ」

星奈は、荼毘の腕を引いた。彼女は、焦凍への同情と、彼への愛の板挟みになっていた。

「待て。星奈。お前も、行きたいだろう。お前のもう一人の**『双子』**に会いに」

荼毘の言葉は、試すような響きを持っていた。

「私は、会いたくない。私は、もう轟家の子じゃない。焦凍の『双子』は、彼にとってただの虚像よ。私は、あなたの共犯者。それ以外に、私の居場所はない」

星奈は、きっぱりと言い放った。

荼毘は、満足したように口元を歪めた。だが、その直後、彼は突然、屋上の縁に駆け寄った。

「焦凍！おーい！弟よ！」

荼毘は、全力で叫んだ。その声は、憎悪と、過去の断ち切れない執着に満ちていた。

焦凍は、一瞬立ち止まり、屋上を見上げた。ヴィランの姿を捉えた瞬間、彼の個性**「半冷半燃」**の炎と氷が同時に発動した。

「荼毘……！」

焦凍の放った氷と炎は、屋上に届かなかったが、その強烈な殺意は星奈にも伝わってきた。

「見ろ、星奈。あいつの憎悪。俺の復讐は、まだ終わってねえ。あいつを、この地獄に引きずり込むまではな」

荼毘は、全身から青い炎を放ち、屋上を焼き尽くした。

「無駄よ！逃げるわよ、燈矢くん！」

星奈は、急いで荼毘の手を引き、屋上から飛び降りた。彼女は、自分の**「氷」**の個性を最大限に使い、落下中の二人の体温を制御し、衝撃を緩和した。彼女の体からは、冷気が絶え間なく放出され、荼毘の体を守った。

彼らは、焦凍の追跡を逃れ、再び闇の中へと消えていった。

「俺は、あいつを地獄に引きずり込む。そして、お前は、その地獄で俺と一緒に生きる。いいな」

逃走の途中、荼毘は星奈に確認するように言った。

「ええ。あなたの炎が焦凍を灼き尽くすなら、私はその炎の周りを氷の城壁で囲ってあげる。焦凍にも、世界にも、誰もあなたに触れさせない」

それは、歪んだ愛と、残酷な共犯関係の再確認だった。彼らは、ヒーロー社会の崩壊と、轟家の悲劇という大舞台を経て、ついに、お互いにとっての唯一無二の存在となったのだ。

彼らの地獄のダンスは、まだ始まったばかりだった。