(深澤side)

天城玲凰と氷室、そしてリーダーの岩本照が、ペントハウスの秘密通路へと消えてから、深澤辰哉は、全身を支配する動揺を理性で抑え込んでいた。彼の世界で最も頼れる光が、今、最も深い闇の只中に、たった一人で飛び込んでいった。

「ふっかさん、顔が固いで」

向井康二が、いつもの明るい口調ながら、心底心配そうな目を向けてきた。深澤は、自らの頬を軽く叩き、無理に笑みを作る。

「大丈夫。最年長が弱音吐いてどうする。…阿部ちゃん、情報統制は？」

国際空港の地下駐車場。阿部亮平は、周囲に気配を張り巡らせながら、玲凰のネットワークから提供された情報端末を操作していた。彼の顔は、この数日間の極度の緊張と、演算処理の酷使で、疲弊の色が濃い。

「完璧に偽装したよ。俺ら8人の動き、岩本くんの脱出ルート、全てが玲凰の指示通りに**『裏社会のアンチ勢力による、天城玲凰の拉致・海外移送作戦』**として、裏付けをされているよ」

阿部の声には、わずかながらの安堵が滲んでいた。岩本が囮となる陽動作戦の第一段階は、辛うじて成功したのだ。

「問題は、第二段階です」阿部は顔を上げる。「この国際空港で、我々がチャーター機に乗り込む瞬間、確実に『レゲティム・ムンドゥス』の追撃を受ける。彼らは我々が**『玲凰の拉致を実行したグループ』**だと信じ込み、全戦力を投入してくるはずです」

「上等だ」宮舘涼太が、静かに、そして鋭く言った。「俺たちは、玲凰を襲った悪役を演じきる。そのために、この場にいるんだ」

深澤は、宮舘の言葉に頷いた。彼らが玲凰の逃走ルートに先行し、アンチ勢力を引きつけている間に、岩本と玲凰は、別の場所から北欧の別荘へ向かう。これが、玲凰が命を懸けて仕掛けた、世界を欺くための二重の陽動作戦だった。

「ふっか、時間。チェックインカウンターへ向かうよ」

阿部の声に促され、深澤たちは空港の巨大なロビーへと足を踏み入れた。

煌びやかな光が溢れるロビーは、深夜にもかかわらず、多くの旅行者で賑わっている。深澤は、その喧騒と華やかさが、これから起こる血生臭い衝突を際立たせるようで、胃の奥が冷たくなるのを感じた。

（落ち着け、俺。ヒカルなら、どうする？）

深澤は、常に岩本が示す**「最善の解」を求めてきた。岩本が隣にいれば、迷いは一瞬で消え、力強い行動に変わる。しかし、今、ここにいるのは、リーダーを欠いた8人。彼らの命運は、深澤の一瞬の判断**にかかっている。

「ラウール、大丈夫か？」

深澤が声をかけると、ラウールは首を振った。彼の体は、まだ制御しきれない**『光の力』**に耐えている。力を暴走させれば、周りの人間全てを巻き込み、作戦は崩壊する。

「大丈夫…僕、やるよ。みんなのために…」

その時だった。深澤の危機察知能力が、警鐘を鳴らした。

「散開！」深澤は、声を発する前に、佐久間を突き飛ばした。

深澤の直感が正しかった。天井の換気口から、黒い特殊部隊の服に身を包んだ暗殺者たちが、音もなく降下してきたのだ。『レゲティム・ムンドゥス』の精鋭部隊だ。

一瞬の静寂の後、ロビーは地獄と化した。悲鳴が木霊し、人々は出口へ向かって将棋倒しになる。

「渡辺、宮舘！前に！ 康二、目黒、逃げ道確保！阿部ちゃん、システムジャック！」深澤は、喉を嗄らしながら叫んだ。

渡辺翔太と宮舘涼太は、深澤の指示より早く、既に暗殺者たちと一般客の間に割り入っていた。彼らは、敵への威圧と、味方の安全確保を同時にこなす、完璧な盾となった。

渡辺は、冷静な目で暗殺者たちを睨みつけ、彼らの動きを牽制する。彼の冷静沈着な佇まいは、まるで氷の壁だ。宮舘は、その鍛え抜かれた体躯と、普段の華やかなオーラを**『怒り』**に変え、敵を一瞬ひるませる。

その隙に、阿部が動いた。彼は、空港の非常用電源システムと、セキュリティシステムの二つを同時にハッキングし、空港内の導線を操作した。

「深澤くん！チェックインカウンターの照明を落としました！暗視ゴーグルを使わせる！向こう側のスタッフ通路へ！佐久間くん、目黒くん、誘導！」

突然の停電に、ロビーは一時的に闇に包まれる。暗殺者たちは、即座に暗視ゴーグルを装着したが、その一瞬の遅れが、深澤たちに命の逃走経路を与えた。

佐久間大介は、この状況をゲームのように楽しんでいるかのように、俊敏な動きで暗殺者たちの注意を引いた。彼は、床に落ちていた金属片を蹴り上げ、敵のゴーグルに当てて視界を奪う。

向井康二は、その様子をスマホのカメラで撮影しながら、逃走ルートを確保する目黒の背中にぴったりとついていった。彼のカメラは、単なる陽動ではない。この**『拉致作戦』が本物であったという証拠**を、裏社会全体に拡散させるための、最も重要なツールだった。

目黒蓮は、その圧倒的なフィジカルで、パニックを起こした一般客や、壁となって立ちはだかる手荷物検査のバリケードを、力強く押し開けていく。彼の背後には、ラウールがしっかりと守られていた。

「深澤くん、早く！増援が来ます！」阿部の声に、焦燥の色が混じる。

深澤は、自らの役割を再認識した。自分は、彼らを生かして北欧へ連れて行く責任者だ。

「宮舘、渡辺！もういい、脱出ルートへ急げ！」深澤は叫び、二人の背中を押した。

スタッフ通路へ飛び込んだ8人。通路の先は、滑走路へと繋がるチャーター機専用のゲートだ。しかし、彼らが辿り着いたその時、通路の奥から、更に別の暗殺部隊が待ち伏せていた。

「袋の鼠かよ…！」深澤は歯を食いしばる。

絶体絶命。前後に暗殺者に挟まれ、逃げ場はない。

ラウールの全身から、ついに堪えきれなくなった青い光が、脈動し始めた。深澤は、その光景を見て、背筋に冷たいものが走った。

（ヒカル…助けてくれ…！）

深澤が心の中で叫んだ、その瞬間だった。

通路に設置された複数の防災用モニターが一斉に点滅し、全ての画面に、岩本照の顔が映し出された。

その映像は、先ほど岩本が玲凰と共に地下通路に消える直前、氷室が用意した小型カメラで、岩本自身が撮影した宣戦布告の映像だった。

岩本の顔には、戦闘でついた血の跡が生々しく、その表情は、普段のリーダーとは似ても似つかない、**冷酷な『闇の支配者』**のそれだった。

「『レゲティム・ムンドゥス』。貴様らの無能さに、心から感謝する」

岩本の声が、空港全体のPAシステムを再びジャックして響き渡る。

「天城玲凰は、既に我々、**『新生アヴァロン』**の支配下にある。奴は今、我々の艦隊に搭乗し、太平洋上空を通過中だ」

暗殺者たちは、動きを止めた。彼らの任務は、玲凰の捕獲だ。深澤たち**『別の勢力』**が玲凰を確保し、既に空路で国外へ移送しているという、岩本による偽りの情報は、彼らの判断基準を完全に狂わせた。

「あのノイズは…岩本照！」

「くそっ、裏切ったのか！天城玲凰は、既に奴らに拉致されただと！」

暗殺者たちは、深澤たちへの追撃を諦め、一斉に空港の通信施設へと向かって走り出した。岩本の言う「太平洋上空」の航路を、必死に特定しようとしたのだ。

岩本照は、自分自身を囮の『悪役』に変えることで、深澤たちに『生への道』を切り開いた。

深澤は、モニターの中の岩本を見つめ、涙が溢れるのを止められなかった。リーダーは、玲凰の命と、自分たちの自由を守るため、裏社会の新たな王という、最も重い十字架を背負ったのだ。

「ふっか！これが、照の命懸けの覚悟だ！走ろう！」阿部が、深澤の腕を掴み、ゲートへと向かって走り出した。

最後の力を振り絞り、8人はチャーター機に乗り込んだ。ゲートが閉まり、機体が動き出す。

窓の外には、暗殺者たちが空を見上げ、通信を試みる姿が見えた。彼らは、岩本という**『巨大なノイズ』**に完全に騙され、深澤たちを見逃したのだ。

機体は、猛烈な速度で夜の滑走路を走り抜け、やがて轟音と共に、極北の空へと飛び立った。

深澤は、操縦席の後ろで、静かに呟いた。

「…ヒカル。お前のその孤独な戦いを、絶対に無駄にはしない」

機内は、安堵と、岩本の覚悟への重い感情に満ちていた。深澤は、ぐったりとシートに身を沈めるメンバーを見渡した。誰もが、もう二度と、岩本が背負ったような**『孤独な戦い』**を彼にさせない、という決意の炎を瞳に宿していた。

「阿部ちゃん、玲凰さんの指示。改めて教えてくれ」深澤は、声を震わせながらも、毅然とした態度で尋ねた。

阿部は、端末のメッセージを読み上げる。

「『この機が北欧に到着すれば、作戦の第一段階は完了する。第二段階は、お前たち9人が、再び光を灯すことだ。世界は、光を求めている』」

深澤は、窓の外の闇を見つめた。岩本が作り出した**『ノイズ』の向こうに、自分たち8人が、岩本が戻るための『光の道標』**を、必ず作る。

「わかった。俺たち8人で、この戦いを終わらせる。そして、9人揃って、俺たちの世界に帰るぞ」

彼の言葉に、メンバー全員が力強く頷いた。機体は、リーダーの命を賭した宣戦布告を背負い、北欧の極夜の闇へと吸い込まれていった。