VOISINGとシクフォニの23人が協力体制に入ってから、二週間が経過した。星奈が療養している海辺の旅館の離れは、いつしか「家族の家」のような温かい空気に包まれていた。

今日のケア担当は、いれいすの悠佑と、シクフォニのみこと。二人は、星奈と同じメンバーカラーでありながら、まったく異なる料理の才能を持っていた。悠佑は家庭料理の腕前はピカイチだが、みことは栄養学に基づいたヘルシー食の知識が豊富だ。

しかし、二人の前に立ちはだかる最大の壁は、「星奈の食欲」だった。

「だめだ。今朝も玉子豆腐を一口食べただけで、後は全部残しちゃった」悠佑は、旅館の業務用キッチンで頭を抱えた。「みこと、昨日作った野菜のポタージュはダメだったか？」

みことは、テーブルに広げたカロリー計算表を指で叩いた。「悠佑くん、ポタージュは栄養満点だけど、星奈ちゃんは今、内臓が弱り切ってる。重いものは受け付けない。『食べなきゃ』って気持ちと、身体の拒絶反応で、自己嫌悪になってるんや」

「そうか…」悠佑は眉をひそめた。星奈は、いつも誰にも迷惑をかけまいと無理をする。食事を残すことすら、彼らに「迷惑をかけている」と謝罪しようとする。その負のループが、彼女の回復を妨げていた。

「ただ栄養を摂らせるだけじゃなくて、**『美味しい、優しい』**って心から思えるものじゃないと。彼女の心と身体、両方を癒やす食べ物が必要なんだ」

みことは、プロの料理人のように緻密に献立を考えるが、悠佑はもっと直感的だった。

「みこと。星奈が、一番最初に食べてくれたものは何やった？」悠佑は尋ねた。
「和解した後、初めて僕が作った『出汁巻き玉子』ですよ。一口だけだったけど、すごく美味しいって…」

「出汁巻き玉子…」悠佑は考え込んだ。優しくて、温かくて、胃に負担がかからないもの。

「俺、わかったかもしんない。ちょっと待っててくれ」

悠佑は冷蔵庫から米と卵を取り出すと、手際よく作業を始めた。米を丁寧に洗い、出汁でゆっくりと煮込み始める。



悠佑が作っていたのは、ごくシンプルな玉子粥だった。しかし、その玉子粥には、彼自身の思い出が詰まっていた。

「昔さ、俺が小さい頃、よく熱を出してたんだ。母親が忙しい人だったから、代わりに親父が作ってくれてたのが、この粥だった」悠佑は、火加減を見ながらみことに話した。「親父は料理が苦手で、味なんて全然ないんだけどさ。でも、その時だけは、俺のために一生懸命作ってくれてるのが伝わってきて…それが、何よりのご馳走だったんだ」

みことは、悠佑の横で、彼が出汁を取る手つきをじっと見ていた。彼の作る粥は、単なる病人食ではなく、**「愛情」**を込めたものだった。

数分後、完成した玉子粥は、旅館の器に盛られ、刻んだネギと、隠し味のほんの少しの塩で仕上げられた。

「これでダメなら、諦めるしかないな」悠佑は不安を抱えながら、お粥を乗せたお盆をみことに託した。

療養室の縁側で、星奈は窓の外の海を眺めていた。彼女は、体調が良くなっているフリをすることが、もうできなくなっていた。

「星奈ちゃん。悠佑くん特製の、玉子粥です」みことが、そっとお盆を差し出した。

星奈は、お盆に手を伸ばすことすら億劫だった。
「ごめんなさい、みことくん…私、食べても、また吐いちゃうかも…」

「いいんですよ。一口でいい。もしダメだったら、僕たちが残りを食べますから」悠佑が、優しく言った。「でもね、星奈。これは、俺の親父の味なんだ。味は保証できないけど、愛だけはたっぷり入ってる。食べてくれ」

星奈は、その言葉に目を見張った。「愛…」

彼女は、小さくスプーンを取り、粥を一口運んだ。熱すぎず、冷たすぎない、絶妙な温度。口の中で米粒が優しく溶け、卵のまろやかさと、出汁の深い旨みが、疲れた胃の壁をそっと撫でるようだった。

「…美味しい」

涙が、星奈の瞳から溢れ出た。「本当に、美味しい…」

そして、信じられないことに、星奈は玉子粥を完食した。

「すごい！星奈ちゃん、全部食べたよ！」みことが興奮した。
悠佑は、感動で言葉を失い、ただ優しく星奈の頭を撫でた。「よかった…」

星奈は、泣きながら語った。「昔…誰にも迷惑をかけたくなくて、食事を拒否したこともありました。あの頃は、誰一人として、私のために無理をしてくれる人なんていないって、ずっと思ってたから…」

「星奈＃」悠佑は真剣な瞳で言った。「俺たちは、もう他人じゃない。VOISINGファミリーだ。誰かのために何かをするのは、無理じゃなくて、喜びなんだ。お前が元気でいてくれることが、俺たちの最高の幸せなんだよ」



玉子粥の一件以来、星奈の食欲は少しずつ戻り始めた。そして、その夜。今度は、エンターテイメントチームの面々が、療養室を訪れた。

シクフォニのムードメーカー、暇72と、癒やし担当のすちだ。

「やっほー、星奈！俺が、見舞いに来たよ！って、あれ？今日の星奈、顔色いいじゃん！」暇72は、いつものハイテンションで部屋に飛び込んできた。

すちは、そっと星奈の枕元に、自分で折った色鮮やかな折り紙のバラを置いた。「体調どうですか？暇ちゃんの声はうるさくないですか？」

「ふふ、大丈夫…なつくんの声は、元気が出ます」星奈は、素直に笑った。

暇72は、おもむろにスマホを取り出すと、ある動画を再生した。それは、VOISINGのメンバーが、星奈のために即興で考えた**「病室脱出ゲーム」のプロモーション動画**だった。

「元気が出たら、これやろうよ！って言っても、星奈ちゃんは謎を解くだけ。俺たちが仕掛け役な！」

動画の中で、いれいすの初兎は白衣を着た謎の医師を演じ、すたぽらのCoe.はベッドの下に隠れて奇妙な音を出し、クロノヴァのかなめはなぜかセーラー服を着て踊っていた。

星奈は、声を出して笑った。本当に心から、声の奥から湧き上がるように笑ったのは、何ヶ月ぶりだろうか。

「かなめくん、なんでセーラー服…！」

「ほら、星奈ちゃんが笑った！」すちが、嬉しそうに言った。

暇72は、隣に座り、星奈の顔を覗き込んだ。
「なあ、星奈。俺たちってさ、昔から『対立』とか『切磋琢磨』とか言われてきたけど、本当は寂しがり屋の集まりなんだよ。お前が一人で苦しんでた時、俺たちも、お前と話せないことが寂しかったんだ」

彼は、初めて正直な気持ちを伝えた。星奈の才能を認めながらも、距離を置くように仕向けられていた過去。

星奈は、そっと暇72の肩に頭を預けた。
「ありがとう…なつくん。みんなが、私を**『家族』**だって言ってくれたから、私、明日も頑張れる」

その夜、星奈は深い眠りについた。彼女の口元には、穏やかな笑みが浮かんでいた。小さなキッチンの玉子粥と、23人の大馬鹿な愛情が、孤独という心の壁を打ち壊し、彼女の命の灯火を、もう一度強く輝かせた瞬間だった。