冬の気配が、街に忍び寄っていた。 澪は、マフラーを首に巻きながら、駅前のベンチに座っていた。 手には、目黒が貸してくれた『風の声を聞く日』の文庫本。 何度も読み返したその物語は、澪の心に静かに染み込んでいた。

「……風って、誰かの声に似てる」

澪は、そう思った。 目黒の声も、風のようだった。 優しくて、まっすぐで、でも時に切なくて。

その日、澪は目黒にメッセージを送った。 「話したいことがあります。放課後、あの喫茶店で」

返信はすぐに来た。 「もちろん。待ってるね」

喫茶店の窓際。 目黒は、先に来ていた。 澪が席に着くと、彼は静かに微笑んだ。

「澪ちゃん、元気だった？」

「……はい。少しだけ、考えてました」

「俺のこと？」

「……自分のことです。 目黒さんに、どう向き合えばいいのか」

目黒は、澪の言葉を黙って聞いていた。 その沈黙が、澪には心地よかった。

「……私は、ずっと“芸能人”っていう枠で、目黒さんを見てました。 でも、それって、自分を守るためだったんだと思います。 傷つくのが怖くて、距離を置いてた」

「うん。わかるよ」

「でも、目黒さんは、ずっと“澪”として私を見てくれてた。 それが、嬉しかったです。 怖かったけど、嬉しかった」

澪は、紅茶に口をつけた。 その温かさが、言葉を続ける勇気をくれた。

「……だから、私も目黒さんを“蓮さん”として見てみたいと思いました。 芸能人じゃなくて、一人の人として」

目黒の瞳が、少しだけ潤んだように見えた。

「澪ちゃん……それ、すごく嬉しい」

「でも、まだ“好き”って言えるかは、わかりません。 でも、知りたいです。蓮さんのこと。 もっと、ちゃんと」

目黒は、ゆっくりと頷いた。

「それで十分だよ。澪ちゃんが、そう言ってくれただけで、俺は嬉しい」

二人の間に、静かな風が吹いた。 喫茶店の窓の外では、街が夕暮れに染まっていた。

「……蓮さんは、どうして私だったんですか？」

澪の問いに、目黒は少しだけ考えてから答えた。

「澪ちゃんは、静かだけど、強い。 誰かに流されないで、自分のペースで生きてる。 それが、すごく綺麗だと思った。 初めて会ったときから、ずっと」

澪は、胸が熱くなるのを感じた。 その言葉は、彼女の心の奥に届いた。

「……ありがとうございます」

「こちらこそ」

二人は、静かに笑い合った。 その笑顔は、少しずつ距離を縮めていた。

澪は、決意した。 この気持ちに、少しずつ名前をつけていこう。 怖くても、迷っても、蓮さんと向き合っていこう。

それが、澪の「好き」への第一歩だった。