秋の風が、校庭の銀杏を揺らしていた。 澪は、放課後の帰り道を一人で歩いていた。 制服のポケットに手を入れながら、ふと空を見上げる。 高く澄んだ空。目黒が「好き」と言った季節。

「……焼き芋、食べたいな」

ぽつりと呟いた自分の声に、少しだけ笑ってしまった。 彼の言葉が、澪の中に残っている。 それは、まるで風のように、静かに心を撫でていく。

その日、澪は図書室ではなく、学校近くの古い喫茶店に向かった。 そこは、彼女がひとりになりたいときに訪れる場所。 木の香りがする店内で、窓際の席に座ると、心が落ち着く。

「……澪ちゃん？」

その声に、澪は驚いて顔を上げた。 目黒が、店の入り口に立っていた。 私服姿。黒のニットに、柔らかいベージュのコート。 芸能人らしい華やかさはあるけれど、どこか親しみやすい雰囲気だった。

「ここ、澪ちゃんの隠れ家？」

「……はい。静かなので」

目黒は、澪の向かいに座った。 店員が二人に紅茶を運んできて、静かな時間が流れる。

「最近、図書室にいないから、ちょっと心配してた」

「……考えたいことがあって」

「俺のこと？」

澪は、紅茶の表面を見つめたまま、頷いた。

「……目黒さんは、私のことを“好き”って言ってくれたけど、 私はまだ、その気持ちに名前をつけられません」

「うん。わかってる。急かすつもりはないよ」

「でも……私が“好き”になったとしても、目黒さんは芸能人です。 私とは、違う世界の人です。 その差が、怖いです」

目黒は、しばらく黙っていた。 窓の外では、風が落ち葉を巻き上げていた。

「澪ちゃん。俺は、芸能人だけど、 それより前に、“人”なんだ。 誰かを好きになって、会いたくなって、話したくなる。 それは、誰でも同じだと思う」

「……でも、目黒さんには、たくさんのファンがいて、 たくさんの人に愛されていて、 その中で、私だけが特別だなんて、信じられません」

目黒は、澪の目を見つめた。

「澪ちゃんが、俺のことを“芸能人”としてしか見られないなら、 それは仕方ない。 でも、俺は澪ちゃんを“澪ちゃん”として見てる。 誰かと比べてるんじゃなくて、澪ちゃんだから、好きなんだ」

澪は、胸がぎゅっと締めつけられるような感覚に包まれた。 その言葉は、まっすぐで、優しくて、でも重かった。

「……怖いです。好きになるのが」

「怖くてもいい。逃げなくていい。 俺は、澪ちゃんのペースで待つから」

澪は、紅茶を一口飲んだ。 その温かさが、心に染みていく。

「……少しずつ、考えてみます。 “好き”って、どういうことなのか」

「うん。それでいい」

二人の間に、静かな時間が流れた。 窓の外では、夕暮れが街を染めていた。

澪の心の輪郭が、少しずつ揺れながら、形を持ち始めていた。