澪は、目黒が図書室に来なくなったことに気づいていた。 あれから一週間、窓際の席は静かなまま。 本のページをめくる音だけが、空気を揺らしていた。

彼が来ないことに、ほっとしている自分と、少しだけ寂しい自分がいる。 その感情の混ざり方がわからなくて、澪は自分の心を持て余していた。

放課後、澪は学校の裏手にある小さな池に向かった。 そこは、彼女が幼い頃からよく訪れていた場所。 水面に映る空を眺めながら、静かに過ごす時間が、澪にとっての癒しだった。

ベンチに座って、澪はスマートフォンを取り出した。 画面には、目黒蓮の名前が並ぶニュース記事。 新しいドラマの撮影、雑誌の表紙、ファンイベント――彼は、忙しくしているようだった。

「……やっぱり、遠い人だ」

澪は、そう呟いた。 芸能人に対して距離を置くようになったのは、ある出来事がきっかけだった。

中学の頃、澪の親友が、ある若手俳優の熱烈なファンだった。 その俳優が地元に来たとき、澪も一緒にイベントに行った。 親友は、彼に手紙を渡し、涙を流して喜んでいた。

でも――その後、彼女はその俳優のスキャンダルに傷ついた。 「信じてたのに」「本当のことなんて、わからない」 そう言って、しばらく学校にも来なくなった。

澪は、その姿を見て思った。 芸能人は、画面の中の存在。 憧れは美しいけれど、現実とは違う。 だから、深入りしてはいけない。 そう思うようになった。

「……でも、目黒さんは、違うのかな」

澪は、池の水面に映る自分の顔を見つめた。 彼の言葉、彼の瞳――それらは、嘘ではなかった気がする。 でも、信じるには、まだ怖さがあった。

そのとき、背後から声がした。

「ここ、澪ちゃんの秘密の場所？」

振り返ると、目黒が立っていた。 制服姿、少し息を切らしている。

「……どうして、ここに？」

「図書室にいなかったから、探した。先生に聞いたら、よくここにいるって」

澪は驚いた。 彼が、自分を探してくれたこと。 それだけで、胸が少し熱くなった。

「……静かで、落ち着く場所です」

「うん、わかる。俺も、こういう場所好き」

目黒は、澪の隣に座った。 池の水面を見つめながら、静かに言った。

「澪ちゃんが、俺に距離を置いてるの、わかってる。 でも、俺は――澪ちゃんのこと、もっと知りたいと思ってる」

澪は、目黒の横顔を見つめた。 その言葉は、まっすぐで、優しかった。

でも、澪はまだ答えを出せなかった。 心の奥に沈んだ記憶が、まだ水面に浮かんでこないから。

「……少しずつなら、いいですか？」

「うん。少しずつでいい」

二人の間に、静かな風が吹いた。 水面が揺れて、空の色が滲んだ。

澪の心にも、少しだけ光が差し始めていた。