青龍 澪は、放課後の図書室が好きだった。 窓際の席に座ると、夕方の光が静かに差し込んで、ページの上に淡い影を落とす。 その時間だけは、誰にも邪魔されずに、自分の世界に沈み込める気がするから。

その日も澪は、いつものように図書室で本を読んでいた。 タイトルは『水の記憶』。静かな湖にまつわる短編集で、澪のお気に入りの一冊だった。

「……あの、ここ、座ってもいいですか？」

突然、声がした。 澪が顔を上げると、そこには黒いキャップを深くかぶった男の人が立っていた。 制服姿だけど、どこか見慣れない雰囲気。 そして何より――その顔に見覚えがあった。

「……目黒蓮さん？」

澪の声は、思わず小さく漏れた。 テレビで何度も見たことのある顔。SnowManのメンバー。 その人が、なぜか自分の学校の図書室に立っている。

「……あ、バレちゃったか。ごめん、静かにしてたつもりだったんだけど」

目黒は、少し照れたように笑った。 その笑顔は、画面越しよりもずっと柔らかくて、澪は一瞬だけ言葉を失った。

「なんで……ここに？」

「撮影で近くに来てて、ちょっとだけ寄らせてもらったんだ。母校がこの近くでさ。懐かしくて」

澪は頷いたけれど、心の中はざわついていた。 芸能人が、こんなふうに普通の場所に現れるなんて。 しかも、自分の隣に座って、本を読もうとしているなんて。

目黒は、澪の読んでいた本に目を留めた。

「それ、面白い？」

「……静かで、綺麗な話です。湖の底に沈んだ記憶を、拾い上げるような感じ」

「へえ……澪ちゃんって、詩人みたいだね」

「……名前、どうして」

「本の裏に書いてあったよ。貸出カードに」

澪は少しだけ頬を赤らめた。 名前を呼ばれるのは、なんだかくすぐったい。

「青龍 澪。すごく綺麗な名前だね。空と水が混ざったみたい」

「……ありがとうございます」

澪は、目黒の言葉に礼を言ったけれど、心の中では距離を感じていた。 彼は芸能人。自分とは違う世界の人。 こんなふうに話していても、きっと一時的なもの。 明日には、また遠い場所に戻ってしまう。

でも――目黒は、澪の目をまっすぐに見ていた。 その瞳には、どこか懐かしさと、真剣さが混ざっていた。

「また、ここに来てもいい？」

「……図書室は誰でも使えますから」

澪はそう答えた。 それ以上の言葉は、まだ出てこなかった。

窓の外では、夕焼けが水面のように揺れていた。 澪の心も、少しだけ揺れていた。