傷明 ブラフラ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ギャラリーの中に流れた沈黙は、それまでの冷ややかな拒絶とは明らかに異質の重みを持っていた。 少女の涙と、彼女が発した「あたたかい」という言葉。それは、阿久津が築き上げてきた「光こそが正義」という揺るぎない価値観の壁に、目に見えないほどの、しかし決定的な亀裂を入れた。
「……阿久津先生」 僕は、震える少女の肩をそっと支えながら、静かに、けれど逃げ場のないほどはっきりと彼を見つめた。 「あなたは僕に、救いがないと言いました。でも、本当に救いが必要なのは、眩しすぎる光に目を焼かれ、自分の影さえも見失ってしまった人たちではないでしょうか」
阿久津は言葉を失っていた。彼の瞳の奥に、一瞬だけ、かつて彼自身が「黒」を愛し、挫折し、それを捨て去った時に負った古い傷跡が覗いたような気がした。 隣にいた瀬戸は、まるで理解できないものを見るような目で僕を、そして泣いている少女を交互に見ている。 「……理解できないな。そんな汚い色に、何の価値があるっていうんだ」 瀬戸の言葉は空虚に響いた。彼はまだ、誰かの色に染まることで手に入れた「正解」の檻の中にいる。
「価値を決めるのは、あなたじゃない。この絵と出会った人だ」 僕は瀬戸を一瞥し、そしてハルに向かって頷いた。ハルは少しだけ誇らしげに、けれど複雑な表情で微笑み返してくれた。
その日の夜、僕の作品「傷明」は、コンクリートの壁を突き破るような勢いでSNSやメディアへと波及していった。 阿久津のような権威たちが沈黙する一方で、市井の人々――夜な夜な自分の無力さに打ちひしがれ、出口のない世界で足掻いている若者たちや、期待に応えられず立ち止まっていた大人たちが、僕の「黒」を見つけ出したのだ。
『この黒を、待っていた』 『光が痛かった。でも、この絵は僕を否定しない』 『傷が、翼になれるなんて。もう一度だけ、悪あがきをしてみようと思った』
画面越しに届くそれらの言葉は、かつて僕が「僕じゃない誰か」の成功を見て感じていた嫉妬や孤独を、ゆっくりと溶かしていった。 期待に応えるための自分は、もういない。 誰の指示も受けず、何色にも染まらず、ただ黒く羽ばたく。 その自由が、これほどまでに過酷で、そしてこれほどまでに美しいものだとは知らなかった。
数日後。僕はギャラリーで出会ったあの少女、ミナと、早朝の公園のベンチに座っていた。 彼女は、少しだけ顔色の良くなった横顔で、遠くの街並みを眺めている。 「ねぇ。あの絵のタイトル、『しょうめい』って読むんでしょ?」 「ああ。傷が、自分を証明する明かりになる。そんな意味を込めたんだ」 ミナは自分の腕にある傷痕を指先でなぞり、小さく笑った。 「私、ずっとこの傷を隠すことばかり考えてた。これが私の人生の失敗だって思ってたから。でも、あなたの絵を見て……この傷があったからこそ、あの黒い光を見つけられたんだって思えたの」
空が、ゆっくりと白み始める。 それはかつて、僕が一人で絶望しながら眺めていた、あの冷たい都会の朝と同じはずだった。 けれど、今は違う。 隣には、同じ痛みを共有する「君」がいる。
「出口のない世界に、零れ落ちていく前に。僕たちは、正解を見つけたんじゃない。自分自身が『正解』であることを選んだんだ」 僕は立ち上がり、彼女に向かって手を差し伸べた。 「行こう。新しい朝を、迎えに」
ミナは一瞬だけ躊躇したが、やがて僕の手をしっかりと握り返した。 その手の温もりは、僕がこれまでキャンバスにぶつけてきたどの絵の具よりも、切実な生命の証だった。
僕の心臓は、まだ時折「消えたい」と叫ぶことがある。 不安が完全に消えることはない。葛藤はこれからも、影のように僕に付き纏い続けるだろう。 けれど、僕はもう怖くない。 胸の傷は全部全部、翼に変えればいい。 どんな運命が待っていても、この黒い翼を広げ、自由を証明し続ける。
闇が、隠していた。 答えが、照らされていた。 それは、外から与えられる奇跡ではなく、僕たちが一歩を踏み出す瞬間に生まれる光。 夜を裂いて。 次の朝へ。
遠くに見える光を目指して、僕はまた、もう一歩。 逸れないように、そっと。 君の手を引いて、僕たちは歩き出した。 まだ誰も描いたことのない、真っ黒で、何よりも明るい未来へ。
「……阿久津先生」 僕は、震える少女の肩をそっと支えながら、静かに、けれど逃げ場のないほどはっきりと彼を見つめた。 「あなたは僕に、救いがないと言いました。でも、本当に救いが必要なのは、眩しすぎる光に目を焼かれ、自分の影さえも見失ってしまった人たちではないでしょうか」
阿久津は言葉を失っていた。彼の瞳の奥に、一瞬だけ、かつて彼自身が「黒」を愛し、挫折し、それを捨て去った時に負った古い傷跡が覗いたような気がした。 隣にいた瀬戸は、まるで理解できないものを見るような目で僕を、そして泣いている少女を交互に見ている。 「……理解できないな。そんな汚い色に、何の価値があるっていうんだ」 瀬戸の言葉は空虚に響いた。彼はまだ、誰かの色に染まることで手に入れた「正解」の檻の中にいる。
「価値を決めるのは、あなたじゃない。この絵と出会った人だ」 僕は瀬戸を一瞥し、そしてハルに向かって頷いた。ハルは少しだけ誇らしげに、けれど複雑な表情で微笑み返してくれた。
その日の夜、僕の作品「傷明」は、コンクリートの壁を突き破るような勢いでSNSやメディアへと波及していった。 阿久津のような権威たちが沈黙する一方で、市井の人々――夜な夜な自分の無力さに打ちひしがれ、出口のない世界で足掻いている若者たちや、期待に応えられず立ち止まっていた大人たちが、僕の「黒」を見つけ出したのだ。
『この黒を、待っていた』 『光が痛かった。でも、この絵は僕を否定しない』 『傷が、翼になれるなんて。もう一度だけ、悪あがきをしてみようと思った』
画面越しに届くそれらの言葉は、かつて僕が「僕じゃない誰か」の成功を見て感じていた嫉妬や孤独を、ゆっくりと溶かしていった。 期待に応えるための自分は、もういない。 誰の指示も受けず、何色にも染まらず、ただ黒く羽ばたく。 その自由が、これほどまでに過酷で、そしてこれほどまでに美しいものだとは知らなかった。
数日後。僕はギャラリーで出会ったあの少女、ミナと、早朝の公園のベンチに座っていた。 彼女は、少しだけ顔色の良くなった横顔で、遠くの街並みを眺めている。 「ねぇ。あの絵のタイトル、『しょうめい』って読むんでしょ?」 「ああ。傷が、自分を証明する明かりになる。そんな意味を込めたんだ」 ミナは自分の腕にある傷痕を指先でなぞり、小さく笑った。 「私、ずっとこの傷を隠すことばかり考えてた。これが私の人生の失敗だって思ってたから。でも、あなたの絵を見て……この傷があったからこそ、あの黒い光を見つけられたんだって思えたの」
空が、ゆっくりと白み始める。 それはかつて、僕が一人で絶望しながら眺めていた、あの冷たい都会の朝と同じはずだった。 けれど、今は違う。 隣には、同じ痛みを共有する「君」がいる。
「出口のない世界に、零れ落ちていく前に。僕たちは、正解を見つけたんじゃない。自分自身が『正解』であることを選んだんだ」 僕は立ち上がり、彼女に向かって手を差し伸べた。 「行こう。新しい朝を、迎えに」
ミナは一瞬だけ躊躇したが、やがて僕の手をしっかりと握り返した。 その手の温もりは、僕がこれまでキャンバスにぶつけてきたどの絵の具よりも、切実な生命の証だった。
僕の心臓は、まだ時折「消えたい」と叫ぶことがある。 不安が完全に消えることはない。葛藤はこれからも、影のように僕に付き纏い続けるだろう。 けれど、僕はもう怖くない。 胸の傷は全部全部、翼に変えればいい。 どんな運命が待っていても、この黒い翼を広げ、自由を証明し続ける。
闇が、隠していた。 答えが、照らされていた。 それは、外から与えられる奇跡ではなく、僕たちが一歩を踏み出す瞬間に生まれる光。 夜を裂いて。 次の朝へ。
遠くに見える光を目指して、僕はまた、もう一歩。 逸れないように、そっと。 君の手を引いて、僕たちは歩き出した。 まだ誰も描いたことのない、真っ黒で、何よりも明るい未来へ。