東京湾にほど近い湾岸工業地帯。
夜の街に響くのは、重低音のエンジン音。鋭く突き刺すような咆哮が、静まり返った倉庫街のコンクリートを震わせる。バイクの列が滑り込むその先には、人気のない旧造船所跡。今は「美星華」の秘密拠点として改装された、本拠地とも呼べる場所だ。

鉄骨むき出しの建物には、仲間たちが集い、整備や談笑、時にはバイクの改造に夢中になっている。だが、その空気の中心に立つ者が一人だけ、異質な存在感を放っていた。

彼の名は——藍（あいる）。

黒のロングライダースを羽織り、長い前髪の下に冷たい鋼のような視線を隠している。
誰もが彼を“美星華”の総長として尊敬している。しかし、その心は決して誰にも読めない。藍の静けさは、嵐の前の静寂に似ている。美しく、だがどこか危険な気配を孕んでいる。

仲間の誰もが、彼の強さを認めている。
喧嘩に関しては、誰も敵わない。幾度となく“美星華”の危機を救ってきた存在。
しかし、そんな彼だからこそ、誰も本当の意味で近づこうとはしなかった。

「誰にも心を開かない」
「何を考えているのかわからない」
「関わると、切り捨てられる」

——そんな言葉が、いつしか当たり前のように囁かれていた。

藍自身、それを知っていた。知っていて、黙っていた。
誰かと馴れ合うために、暴走族をやっているのではない。
ただ、守りたいものがあるだけ——そのためなら、誰に嫌われても構わない。

かつて、大切な人を守れなかった自分への戒め。だからこそ、力を磨き、頂点に立った。

彼は孤独だった。だが、その孤独を自ら選んでいた。

仲間たちの笑い声が響く旧造船所。その隅で、一人黙って愛車のタンクを磨く藍の姿が、闇に溶け込むように佇んでいた。