泣いて、恋をする。

 行き先は北関東の小さな温泉街だった。メジャーな観光スポットではないから、週末でも渋滞に困ることはない。道中の紅葉が綺麗で、たまに車を止めて休憩がてら二人で眺める。
 昼前に彼の車で出発して、到着したのが二時過ぎだった。何度か運転を代わると申し出たのに、運転中の格好いい俺を見せていたいという謎の主張で、ずっと彼の運転でやってきたのだ。
 旅館に荷物を置いてすぐ彼は出掛ける支度を始める。その頃には七輝にもこの場所に来た理由が分かっていた。そういえば七輝が部屋に泊まった晩、最近彼の居場所が分かったというようなことを言っていた。
「巻き込んで悪いけど、観光の前に付き合ってくれるかな? 面倒なことは先に片付けておきたくて」
「もちろん」
 嫌な訳がなかった。寧ろそんな大事な場に自分がいていいのかと思う。だが傍にいてほしいと言うなら、とことん付き合うつもりだ。
 事前に連絡をしていたのか、彼は迷わず温泉街の外れにあるレトロなカフェに向かった。準備中のプレートの下がったドアを引けば、カランとカウベルが鳴って、気づいたマスターが顔を上げる。マスターと呼ぶには随分若い。
「……久しぶり」
 先に声を掛けたのは嵯峨だった。カウンターから出てきた彼も「久しぶり」と返して、過去を共有する者特有の空気が流れる。
「そちらは?」
「頼りになる友達。俺が一人じゃ謝れないって駄々をこねて、無理矢理ついてきてもらったんだ」
 そんな設定は聞いていないが、とにかく七輝の方も、嵯峨から田上と紹介された男性に頭を下げる。田上譲。十六年前、バスケで嵯峨に怪我をさせたクラスメイトだ。嵯峨がずっと罪悪感を抱えてきた男。
「稼ぎ時の連休に悪かった。準備中にまですることなかったのに」
「いや、いいんだ。元々メインは夜のバーの方なんだ。昼の営業はおまけみたいなものだから」
 テーブル席に促されて、嵯峨と並んで彼が淹れてくれたコーヒーをご馳走になった。思っていたよりずっと本格的で、思わずおいしいと零してしまう。そんな七輝の様子に田上が目を細める。優しそうな男性だ。そして今、過去を恨んだりしていないことが伝わってくる。
「ずっと同窓会に参加していないでしょう?」
「だな。どんな顔をして行けばいいか分からないし、俺のせいで空気を悪くするのもどうかと思って」
「ごめん」
「どうして嵯峨が謝るんだ?」
 困ったように笑う彼が、向かいの席で七輝たちと同じようにコーヒーを口にする。それを待って、カップが置かれたタイミングで、嵯峨が今日来た目的を告げる。
「悪かった。ずっと謝りたかった。あのとき田上は全部正直に話してくれたのに、俺はおかしなプライドのせいで本当のことを言えなかった。俺が本音を言えばどれだけ楽になるか分かっていて、それでも言えなかった。申し訳なかった」
 嵯峨が潔く頭を下げる。
「何を言うんだ。俺は謝ってもらえるような立場じゃない」
 田上が慌てて嵯峨の頭を上げさせる。
「高三の残りの高校生活を辛いものにさせてしまった。進路だって、俺のせいで変えたんじゃない?」
「買い被りすぎだ。確かに周りに避けられていた時期はあったけど、卒業間際はだいぶマシになっていたんだ。進路を変えたのは単に成績が志望大に届かなかったから」
 成り行きを見ていることしかできない七輝の前で、田上がぽつぽつと語る。
「罵られることも犯罪者扱いされることも、治療費と慰謝料を請求されることも全部覚悟していた。でも嵯峨は俺を責めることすらしなかった」
 ご両親もな、と彼の言葉が続く。
「電話を貰ったとき、正直漸く怒りをぶつけに来るのかと思った。あのとき掛かった治療費を払えと言われることも考えた。だからそんな風に思ってくれていたなんて知らなくて、逆に長い間苦しませてしまったんじゃないかって思う。でも、俺が怪我をさせたことは事実で、嵯峨を恨むことなんて絶対にないから」
「そう言ってもらえると助かる」
 気持ちが落ち着いたのか、嵯峨が右手のスプーンでコーヒーをかき混ぜる。
「いい香り」
「だろ? 元々奥さんの実家の店だったんだけど、いらないからって丸ごと貰ってしまったんだ。親子三人、なんとか生活できるくらいには利益が出ているから」
 その言葉に安堵した。嵯峨の心配は杞憂だった。田上には今、愛する妻と子どもがいる。家族がいて好きな仕事をしている。もう嵯峨が心配するようなことは一つもない。
「じゃあ、あまり営業の邪魔をするのもなんだからそろそろ帰るよ。この通り俺の手は無事だから。俺らが高校生のときよりずっと医学は発展していてね。再手術をしたら完全に治ったんだ」
 嵯峨がひらひらと振ってみせる右手に田上が目を細める。嘘だと分かっているのだろう。だが暴く必要のない嘘というものも、世の中には存在する。
「また」
「ああ、また」
 田上のカフェを出て、観光地らしく綺麗にモザイク模様に舗装された道を歩いた。
「面倒なことに付き合わせてごめんね」
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