泣いて、恋をする。
嵯峨も嵯峨の両親も、そのクラスメイトを責めることはしなかった。嵯峨は誰にも言えない本音を抱えていたし、親はそんなことより息子の怪我をどうにかしてやりたいと、それに精一杯だったという。
「俺は何も言わなかったけど、クラスで噂は広がって彼の立場は悪くなった。子どもっぽい苛めのようなことはなかったけど、みんなになんとなく避けられて辛かったと思う。せめて俺が、『美大に行かない方がいいかもしれないと思っていたから気にしなくていいよ』と言ってあげられれば、どれだけ彼の心が楽になったかと思うのに、当時の俺はプライドが邪魔をして言えなかった」
不甲斐ない自分を見せていたくないというように、彼の手が七輝から離れる。
「右手が不自由になったのは事実でしょう? 加害者と言うのは酷かもしれませんけど、彼に罪があるのは事実です。嵯峨さんがそこまで気にする必要はない」
「ううん」
思わず身体を起こしてしまって、彼が落ちた毛布を拾ってくれる。
「俺は結局幸せだから。それなのに、彼はどうだろうって思うんだ。彼は進路を変えて、同じ高校の誰も行かないような大学に行ってしまったから、俺のせいで人生が変わってしまったのは事実。俺のせいで欲しいものを欲しいといえない人生を送っているんじゃないかとか、家族を持つことを諦めたりしていないだろうかって、そんなことが心配でね」
被害者がそこまで考える必要があるだろうか。だがすぐに自分はどうだろうと思う。鈴木は自分の意思で亡くなった。だが七輝は背負わずにはいられない。彼の死を背負って、それまでと同じ仕事ができなくなって、未だ苦しみの中にいる。正論の問題ではないのかもしれない。
「最近、元クラスメイトの話で彼の居場所を知った。謝りたいけど、今更謝られるのも迷惑なのかなって、それを悩んでいるんだ。いや、多分、俺はあの頃と同じプライドをまだ捨てきれずにいる」
「嵯峨さん……」
なんとなく分かった気がした。『未完の希望』。今自分は希望のある生活をしている。だがバスケットボールの彼と話しに行っていいのか決められない。だから少年はシュートを打とうか迷っている。着色されていない部分は、嵯峨の迷いと右手の不自由さを表わしている。
「優しんですね、嵯峨さんて」
複雑な感情が胸の中を巡って、出てきたのはそんな言葉だった。
「今更気づいた?」
だが重い話を終えるきっかけにはなった。
「すみません。辛い話を」
「ううん。いつか誰かに話してみたかったんだ。それに、俺の方が七輝に色々と聞いてしまっているからね」
無言で首を振れば、ふっと表情を和らげた彼が立ち上がる。
「寝にくいでしょう? 目が覚めたんならシャワーを浴びてTシャツにでも着替えて。やっぱり夜食を買ってくるよ。どうせ明日も休みだし、食べて飲んで少しだらだらしよう」
「はい。俺も一緒に行きたいです」
眠気は醒めて、まだまだ起きていたい気分に変わっていた。彼とコンビニに行って、戻ったあとでシャワーを浴びて、彼の大きなTシャツを借りてテレビの前に並んで座る。
「このパンおいしいです」
「ほんと? じゃあ、半分ちょうだい。こっちのあげるから」
「あ、これもおいしい」
「でしょう? 最近のコンビニは侮れないね」
忘れていた空腹がやってきて、嵯峨に進められるままよく食べてよく飲んだ。また酔いが回ってソファーに横になる。ふわふわとした感覚のまま、彼とベッドで寝るかソファーで寝るか争ったような気がするが、たいした問題ではない。ぐっすり眠って、気がつけば夜が明けている。
目覚めて、一瞬ここがどこか分からなかった。
「おはよ。起きた?」
キッチンスペースから彼が現れて、漸く昨夜のことを思い出す。
「すみません。ぐっすり眠ってしまって」
「寝られたならよかった。ベッドを貸してあげるって言ったのに、昨日七輝はそこで寝るって言い張ったんだよ」
どうやら夢ではなかったらしい。
「朝ご飯、もう少し掛かりそうだから、顔を洗ったらその辺の本でも眺めていて。何を見てもいいから」
そう言われて、とりあえず顔を洗って戻ってきた。朝食の支度を手伝いたいと思うが、慣れない部屋で逆に迷惑になりそうな気がしてやめる。
「絵を見てもいいですか?」
本棚に何冊もスケッチブックが並んでいるのに気づいて、ダメ元で聞いてみた。
「うん、いいよ。落書きみたいなものが多いけど」
あっさり許可が出たので、左端のものから抜き出して広げる。
「……っ」
目にした途端驚いた。何かの間違いかと思ってページを捲るが、次のページにもやはり同じものが描いてある。次もその次も。表情や仕種を変えて、その人物が描かれている。
「俺は何も言わなかったけど、クラスで噂は広がって彼の立場は悪くなった。子どもっぽい苛めのようなことはなかったけど、みんなになんとなく避けられて辛かったと思う。せめて俺が、『美大に行かない方がいいかもしれないと思っていたから気にしなくていいよ』と言ってあげられれば、どれだけ彼の心が楽になったかと思うのに、当時の俺はプライドが邪魔をして言えなかった」
不甲斐ない自分を見せていたくないというように、彼の手が七輝から離れる。
「右手が不自由になったのは事実でしょう? 加害者と言うのは酷かもしれませんけど、彼に罪があるのは事実です。嵯峨さんがそこまで気にする必要はない」
「ううん」
思わず身体を起こしてしまって、彼が落ちた毛布を拾ってくれる。
「俺は結局幸せだから。それなのに、彼はどうだろうって思うんだ。彼は進路を変えて、同じ高校の誰も行かないような大学に行ってしまったから、俺のせいで人生が変わってしまったのは事実。俺のせいで欲しいものを欲しいといえない人生を送っているんじゃないかとか、家族を持つことを諦めたりしていないだろうかって、そんなことが心配でね」
被害者がそこまで考える必要があるだろうか。だがすぐに自分はどうだろうと思う。鈴木は自分の意思で亡くなった。だが七輝は背負わずにはいられない。彼の死を背負って、それまでと同じ仕事ができなくなって、未だ苦しみの中にいる。正論の問題ではないのかもしれない。
「最近、元クラスメイトの話で彼の居場所を知った。謝りたいけど、今更謝られるのも迷惑なのかなって、それを悩んでいるんだ。いや、多分、俺はあの頃と同じプライドをまだ捨てきれずにいる」
「嵯峨さん……」
なんとなく分かった気がした。『未完の希望』。今自分は希望のある生活をしている。だがバスケットボールの彼と話しに行っていいのか決められない。だから少年はシュートを打とうか迷っている。着色されていない部分は、嵯峨の迷いと右手の不自由さを表わしている。
「優しんですね、嵯峨さんて」
複雑な感情が胸の中を巡って、出てきたのはそんな言葉だった。
「今更気づいた?」
だが重い話を終えるきっかけにはなった。
「すみません。辛い話を」
「ううん。いつか誰かに話してみたかったんだ。それに、俺の方が七輝に色々と聞いてしまっているからね」
無言で首を振れば、ふっと表情を和らげた彼が立ち上がる。
「寝にくいでしょう? 目が覚めたんならシャワーを浴びてTシャツにでも着替えて。やっぱり夜食を買ってくるよ。どうせ明日も休みだし、食べて飲んで少しだらだらしよう」
「はい。俺も一緒に行きたいです」
眠気は醒めて、まだまだ起きていたい気分に変わっていた。彼とコンビニに行って、戻ったあとでシャワーを浴びて、彼の大きなTシャツを借りてテレビの前に並んで座る。
「このパンおいしいです」
「ほんと? じゃあ、半分ちょうだい。こっちのあげるから」
「あ、これもおいしい」
「でしょう? 最近のコンビニは侮れないね」
忘れていた空腹がやってきて、嵯峨に進められるままよく食べてよく飲んだ。また酔いが回ってソファーに横になる。ふわふわとした感覚のまま、彼とベッドで寝るかソファーで寝るか争ったような気がするが、たいした問題ではない。ぐっすり眠って、気がつけば夜が明けている。
目覚めて、一瞬ここがどこか分からなかった。
「おはよ。起きた?」
キッチンスペースから彼が現れて、漸く昨夜のことを思い出す。
「すみません。ぐっすり眠ってしまって」
「寝られたならよかった。ベッドを貸してあげるって言ったのに、昨日七輝はそこで寝るって言い張ったんだよ」
どうやら夢ではなかったらしい。
「朝ご飯、もう少し掛かりそうだから、顔を洗ったらその辺の本でも眺めていて。何を見てもいいから」
そう言われて、とりあえず顔を洗って戻ってきた。朝食の支度を手伝いたいと思うが、慣れない部屋で逆に迷惑になりそうな気がしてやめる。
「絵を見てもいいですか?」
本棚に何冊もスケッチブックが並んでいるのに気づいて、ダメ元で聞いてみた。
「うん、いいよ。落書きみたいなものが多いけど」
あっさり許可が出たので、左端のものから抜き出して広げる。
「……っ」
目にした途端驚いた。何かの間違いかと思ってページを捲るが、次のページにもやはり同じものが描いてある。次もその次も。表情や仕種を変えて、その人物が描かれている。