たからもの、一つだけ。

「そうでもない。ほら、タレントみたいなことをしている弁護士がいるだろう? それに政治家になるために、とりあえず弁護士になっておくという人間も少なくない」
「平凡な俺には縁のない世界ですね」
 彼の情報を得るために、聞かれるまま自分のことを語ってやった。もちろん、危ない仕事の話は避けておく。
「普通の会社員の方が余程幸せかもしれないぞ。弁護士も探偵も、人間のドロドロした面を見るって点では似たようなものだからな」
 そんなことを零せば、哀れんでもらおうとした訳ではないのに、彼が哀しげに眉を下げる。
「大変なんですね。でも、宇美原さんのお陰で穏やかな生活を取り戻す人もいるんでしょう?」
「さぁ、どうかな」
 本心なのに涼本は謙遜と取ったらしい。ふふと笑って海老の春巻きを分けてくれる。彼はさりげなく宇美原が食事をしやすいようにと気を配ってくれた。こちらが欲しいタイミングでおしぼりを寄越し、話の邪魔にならないように使った皿を纏めてくれる。その気遣いの加減が絶妙で感心してしまう。考えてみれば、これまで金目当ての女以外で、そんなことをしてくれる人間はいなかった。
「とりあえず、探偵になって、ある程度気ままに仕事ができるという点では楽になった。苦労がない訳じゃないけど、独立してよかったと思うな」
「凄い。俺なんて、人生でそんなに大きな決断できそうもないから」
「そんなことはないだろ? 好きな女を選んで結婚しているじゃないか」
 グラスにビールを注ぎ足してやりながら、さりげなく探りを入れた。
「うーん、どうなんでしょう?」
「まさか、この時代にお見合いか?」
 彼が困り顔ではぐらかそうとするのを封じてしまう。
「いえ。そうじゃないんですけど。でも普通とはちょっと違うというか」
「ああ。悪い。言いたくないならいいんだ」
「あ、いえ、そうじゃなくて」
 別に無理には聞かないというフリで視線を外せば、逆に彼の方が話す覚悟を決めてくれた。一気にグラスを空にして、わざと軽い話をするように打ち明ける。
「俺の奥さん、俺に会う前、恋人に振られてかなり荒れていたそうなんです。精神状態がボロボロで、周りの人に当たったり物を壊したり、結構凄かったらしくて。それで見かねた彼女の父親が、誰かいいのはいないかって探し始めたんです」
 木川に聞いていた情報と同じだった。
「それでお前に白羽の矢が立ったのか。でもなんでまたお前なんだ? なんていうか、育ってきた環境が違うだろ?」
「穏やかで、彼女のやることを否定しない人間を探したらしいですよ。毒にも薬にもならないようなタイプがいいって」
「それはお前に失礼じゃないか?」
 突っ込んでやれば彼も苦笑した。だが別にそう言われて不満でもないらしい。
「彼女、物凄いお嬢様なんです。だから俺なんかどうせ断られるだろうと思って、興味本位で会いに行きました。でも物珍しさもあったのか、彼女はまた会いたいと言ってくれた。あなたといると凄く体調がいいって言われて、俺もそんな風に言われれば悪い気はしなくて」
「好きになったか?」
「いや、そこまではいかなかったんですけど。でも普通なら会うこともできないような会社の会長に頭を下げられて、あなたのお陰で娘は救われたと言われてしまって。そのうち彼女が結婚したいと言い出して、俺も別にそれでもいいのかなって思うようになって。そこからずるずるとって感じですね」
「ずるずるって、今、幸せじゃないのか?」
 核心を突くようなことを聞けば、分かりやすく目を逸らされてしまった。俯いて少しの間考えていた彼が顔を上げて、いつもの泣きそうな笑顔を見せる。
「幸せですよ。お互い、欲しいものは手にしていますし」
「お前の欲しいものってなんだ?」
 重ねて聞けば、流石に話が重くなりすぎだと気づいたのだろう。彼が店員に料理の追加を頼んで、そこで結婚の話は終わりになった。問い詰めて嫌われたくないから、宇美原の方も今夜それ以上聞くのはやめる。
 嫌われたくないなんて、いつのまにそんな気持ちになったのだろうと不思議に思う。確か最初は、自分と正反対の純粋な男に悪い遊びを教えてやろうと思ったのだ。女を宛がうでもいいし、宇美原が抱いてやってもいい。一度くらい不倫のスリルでも味わえばいいと、そんな気でいた。それがいつのまにか彼のプライベートを調べて、三度目の約束はどうしようかと考えている。まるで好きな相手を慎重に口説いているようだ。
「すみません、宇美原さん。俺そろそろ帰らないと。先週今日花が酔って深夜に帰ってきたから、今週もそうなら介抱しないといけなくて」
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