たからもの、一つだけ。
「少し話してもいいですか?」
彼の方から声を掛けられたのは土曜の午後だった。昼食を終えてソファーで寛いでいたところで、彼が小さな声を向けてくる。
「ああ。どうした?」
観るともなしに流していたテレビを消して顔を向ければ、彼が緊張気味に見上げてくる。
「月曜から仕事に戻ろうと思うんです。昨日会社とも電話で話していて」
「そうか。じゃあ、遠慮なくここから通えばいい」
出ていくと言いそうな彼に先手を打って言ってやる。
「矢名の会社ならここから通えるだろ。前の部屋より少し近くなるんじゃないのか?」
「でも」
「仕事復帰と同時に引越しまでしようとしてみろ。また体調を崩して会社に迷惑を掛ける。それよりはここで俺といた方がいいだろ?」
「それは、そうですけど」
「じゃあ、決まりだな」
この件は譲るつもりはないので、話を切り上げて立ち上がってしまった。
「復職祝いに少し飲むか?」
「宇美原さん」
キッチンに向かおうとして呼び止められる。
「どうした?」
振り向いて聞けば、彼も心を決めたように立ち上がった。その表情がここ数日見ないほど硬い。
「今日、俺を抱いてくれませんか?」
「……何?」
流石の宇美原も理解に時間が掛かった。だがすぐにピンとくる。分かった途端に頭に血が上る。
「礼のつもりか?」
これまで彼に向けたことのない冷たい声で言った。
「ここで世話になっているお礼に、俺に身体を差し出そうとしているのか」
「……それも、あるのかもしれません」
否定しない彼に、もう何年も感じたことのない怒りの感情が湧く。
「舐められたものだな」
涼本を抱きたいと思う気持ちはあった。だが彼に見返りのために大事にしていたと思われていたのなら、随分と低俗に見られていたものだ。
「馬鹿にするな」
「宇美原さん」
一度頭を冷やそうと自室に入ってしまおうとして、シャツの袖を引いて止められた。
「待って」
「あまり俺を試すな」
彼がそんなことをする筈がないと分かっていて、言わずにはいられなかった。はっとしたように手を離した彼が俯いてしまう。その様子が今にも泣き出しそうで、好きな相手に何をしているのだろうと、感情の制御ができない自分に呆れてしまう。
「悪い」
できるだけ穏やかな声で言って、宇美原の方から彼の肩に触れた。彼が小さく首を振るから、ぽんと頭に手を置いてやる。
傍にいるのも護るのも涼本が好きだからだ。それでも見返りを期待している訳ではないと知ってほしい。見返りなどなくても大事にされていい人間なのだと、自分の評価を上げてほしい。今の彼がそう思えないのは宇美原の力不足もあるのだろう。だからこれ以上彼を責めることはしない。
「ピザが食いたい。この辺で一番高いピザを注文するから、お前も付き合え」
「宇美原さん」
軽い調子で言って携帯で検索を始めた宇美原に、小さな声が届いた。
「違うんです、俺……」
まだ自分でも全部分からない気持ちを懸命に伝えようとしているように見える。それなら向き合おうと、ソファーに戻って隣に呼び寄せれば、彼が宇美原を見上げて言葉を紡ぐ。
「確かにお礼の気持ちもあります。でも、それだけじゃない」
「矢名」
「俺、男の人と恋愛なんかしたことがないから、宇美原さんの言う『好き』がよく分からない。男同士で愛し合って生きていけるのかって疑問にも、答えが出ない」
自分の知らないところで、彼は彼なりに考えていてくれたのだなと知った。宇美原の中で愛おしさが募っていく。愛おしくて、強く抱きしめてしまいたくなる。
「だから、一度宇美原さんの望むようにしてくれたらいいって思ったんです。そうすれば、俺も自分の気持ちが分かるかもしれないって」
理性を奪う誘い文句だった。
「俺は宇美原さんみたいに賢くない。ちゃんと答えを出してからだと、宇美原さんを何年も待たせてしまうかもしれない。だから」
一度視線を落とした彼が、もう一度宇美原を見上げる。そのひたむきな目に、ああ、もう無理だと思う。
「好きかもしれないって、そんな半端な気持ちで抱いてほしいっていうのは、ダメですか?」
彼の方から声を掛けられたのは土曜の午後だった。昼食を終えてソファーで寛いでいたところで、彼が小さな声を向けてくる。
「ああ。どうした?」
観るともなしに流していたテレビを消して顔を向ければ、彼が緊張気味に見上げてくる。
「月曜から仕事に戻ろうと思うんです。昨日会社とも電話で話していて」
「そうか。じゃあ、遠慮なくここから通えばいい」
出ていくと言いそうな彼に先手を打って言ってやる。
「矢名の会社ならここから通えるだろ。前の部屋より少し近くなるんじゃないのか?」
「でも」
「仕事復帰と同時に引越しまでしようとしてみろ。また体調を崩して会社に迷惑を掛ける。それよりはここで俺といた方がいいだろ?」
「それは、そうですけど」
「じゃあ、決まりだな」
この件は譲るつもりはないので、話を切り上げて立ち上がってしまった。
「復職祝いに少し飲むか?」
「宇美原さん」
キッチンに向かおうとして呼び止められる。
「どうした?」
振り向いて聞けば、彼も心を決めたように立ち上がった。その表情がここ数日見ないほど硬い。
「今日、俺を抱いてくれませんか?」
「……何?」
流石の宇美原も理解に時間が掛かった。だがすぐにピンとくる。分かった途端に頭に血が上る。
「礼のつもりか?」
これまで彼に向けたことのない冷たい声で言った。
「ここで世話になっているお礼に、俺に身体を差し出そうとしているのか」
「……それも、あるのかもしれません」
否定しない彼に、もう何年も感じたことのない怒りの感情が湧く。
「舐められたものだな」
涼本を抱きたいと思う気持ちはあった。だが彼に見返りのために大事にしていたと思われていたのなら、随分と低俗に見られていたものだ。
「馬鹿にするな」
「宇美原さん」
一度頭を冷やそうと自室に入ってしまおうとして、シャツの袖を引いて止められた。
「待って」
「あまり俺を試すな」
彼がそんなことをする筈がないと分かっていて、言わずにはいられなかった。はっとしたように手を離した彼が俯いてしまう。その様子が今にも泣き出しそうで、好きな相手に何をしているのだろうと、感情の制御ができない自分に呆れてしまう。
「悪い」
できるだけ穏やかな声で言って、宇美原の方から彼の肩に触れた。彼が小さく首を振るから、ぽんと頭に手を置いてやる。
傍にいるのも護るのも涼本が好きだからだ。それでも見返りを期待している訳ではないと知ってほしい。見返りなどなくても大事にされていい人間なのだと、自分の評価を上げてほしい。今の彼がそう思えないのは宇美原の力不足もあるのだろう。だからこれ以上彼を責めることはしない。
「ピザが食いたい。この辺で一番高いピザを注文するから、お前も付き合え」
「宇美原さん」
軽い調子で言って携帯で検索を始めた宇美原に、小さな声が届いた。
「違うんです、俺……」
まだ自分でも全部分からない気持ちを懸命に伝えようとしているように見える。それなら向き合おうと、ソファーに戻って隣に呼び寄せれば、彼が宇美原を見上げて言葉を紡ぐ。
「確かにお礼の気持ちもあります。でも、それだけじゃない」
「矢名」
「俺、男の人と恋愛なんかしたことがないから、宇美原さんの言う『好き』がよく分からない。男同士で愛し合って生きていけるのかって疑問にも、答えが出ない」
自分の知らないところで、彼は彼なりに考えていてくれたのだなと知った。宇美原の中で愛おしさが募っていく。愛おしくて、強く抱きしめてしまいたくなる。
「だから、一度宇美原さんの望むようにしてくれたらいいって思ったんです。そうすれば、俺も自分の気持ちが分かるかもしれないって」
理性を奪う誘い文句だった。
「俺は宇美原さんみたいに賢くない。ちゃんと答えを出してからだと、宇美原さんを何年も待たせてしまうかもしれない。だから」
一度視線を落とした彼が、もう一度宇美原を見上げる。そのひたむきな目に、ああ、もう無理だと思う。
「好きかもしれないって、そんな半端な気持ちで抱いてほしいっていうのは、ダメですか?」