たからもの、一つだけ。

 とにかくもう一度会おう。そう思い、日に一度と決めて掛け続けた電話が繋がらなくなったのは、一週間後のことだった。
 彼は宇美原の気持ちを拒絶してはいない。ただ妻がいるという立場に悩んでいるだけ。そう思っていたから、まさか携帯の解約までされるとは思わなかった。それなりにショックは受けたが、そんなことで立ち止まる自分ではない。
 職場ビルに向かおうとすれば、どうやって調べるのか、木川に彼はここ数日休んでいると告げられた。それなら自宅に行くまでだと彼のマンションに向かい、探偵の裏技でオートロックの建物に入っていく。だが木川に頼らず自分で調べた彼の部屋に向かって、そこで流石に驚かされる。
「まさか、ここまでするとはな」
 涼本のものだった筈の部屋のドアには、空室と書かれた不動産会社のステッカーが貼られていた。窓から覗けば、がらんとした室内が見える。
 自分が感じたものは自惚れで、涼本は迷惑としか思っていなかったのだろうか。だとしてもこの引越しスピードは異常だ。もしかしたら妻の方に何かあって、彼女の秘書が手早く後始末をしたのかもしれない。それなら涼本は無事だろうか。
 タクシーを飛ばして事務所に帰り、木川の部屋に向かえば、彼が難しい顔でパソコンに向かっていた。
「涼本矢名の行方を捜してほしい。欲しいものはいくらでもやるから、俺の仕事を優先しろ」
 そう言えば、木川がちらりと顔を上げる。その目が見たこともないほど厳しい。
「報酬はいらない。俺にもプライドがある」
「なんの話だ?」
 怪訝な声を向ければ、彼が珍しく苛立った声を返してきた。
「涼本今日花のバッグはかなりできる人間らしい。特定の人間が彼女を探っていると気づいたんだろうよ。昨日からどのルートを使っても彼女に関する情報が調べられない。旦那側からも調べられないように、涼本矢名の情報も遮断してある」
「なんだと」
 それなら彼のこともこれ以上調べられない。そう案じる宇美原に、木川がフンと笑ってみせる。
「心配しなくていいよ。俺を馬鹿にしたこと、後悔させてやる」
 そう言って見たこともない速さでキーボードを打ち始める。どうやら涼本今日花の配下に出し抜かれたのが余程面白くなかったらしい。彼の力を信じることにして、宇美原も事務所に戻って別ルートから調査を始める。涼本の会社とスピリアーホテルビルの情報をいくつか得てから、直接ビルへ向かうことにする。
 探偵のスキルを使って生身の人間から探れば、欠勤の理由は体調不良だと知った。宇美原の件で悩みすぎてということではないだろうが、それにしても心配だ。まさか妻と揉めて最悪の事態になったのでは。それを隠すために彼女の秘書が動いたのでは。彼女の立場ならありえないことではない。そう自分らしくもなくネガティブな想像をしていたところで携帯が震える。
「何か分かったか?」
 前置きもなく聞いてやれば、先程より少しだけ機嫌を直したらしい彼が欲しい情報をくれた。
「涼本矢名の居場所が分かった。肺炎で入院している。誠良第二病院せいらだいにびょういんだ」
「助かる」
 一番欲しい情報を得て、木川に対して滅多に言わない礼を言ってしまう。ビルの前からタクシーに乗り、そのまま病院に向かってもらった。結構な距離になるが大丈夫かと不安げな顔を向けられるが、そんなことに腹を立てている場合ではない。
 暑いのか寒いのか分からない景色が流れていくのをただ目に映して、急いてしまう気持ちを抑えた。宇美原の気持ちを察したように、黙って最短ルートで向かってくれた彼に、碌に数えもせず金を渡して降りる。流石にこんなに貰えないと声が掛かるが、構っている暇はない。
「……なんだと」
 エントランスを入ったところで、木川が追加で送ってくれたメッセージに声が零れた。本気になった木川が宣言通り敵の妨害を破ったのだろう。衝撃的な情報がいくつも書かれていて、頭の処理が追いつかない。そんな気持ちを整理する前に、病室前まで来てしまう。
 今日花の秘書が決めたのか、それとも他に病室が開いていなかったのか、彼がいたのは差額ベッド代のいる二人部屋だった。今はもう一つのベッドが空いていて個室状態だ。
 この時間は空けておくのが決まりなのか、病室の引き戸が開け放たれていた。中を覗けば、窓側のベッドに彼の姿を見つける。少し開けた窓から入り込む風が、白いカーテンをさわさわと揺らしている。
「宇美原さん?」
 声を掛けるより先に気づいた彼が、意外に穏やかな声で呼んだ。
「身体はどうだ?」
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