たからもの、一つだけ。
褒められるのが好きという言葉の意味は、木川に頼らなくても分かった。
彼の兄、寿々本佑矢は帯番組のMCを任され、その他にもコメンテーターや執筆業に手を出しているやり手だ。元は俳優だったから見た目もいい。
涼本の兄だと知って改めて彼の番組を観てみたが、兄弟だと知っていても、顔も身体つきも似ているとは思えなかった。兄の方は程よく筋肉のついた長身に華やかな顔立ち。弟は女性のように小柄で控えめな顔立ち。性格も控えめだ。
「兄さんは勉強もスポーツもできて、両親の自慢だったんです。俺は何をやっても平凡で」
何度か食事に行くことを繰り返して、その夜は彼の職場から更に電車で二駅行ったところにある和食屋に連れていった。彼が蓮根が好きだと言うから、煮物が評判だという居酒屋を探したのだ。
「そんな俺に、両親は兄を贔屓しないようにって逆に気を遣って接するんです。ある程度大きくなってからは、それが結構辛くて」
ぼんやりとオレンジ色の照明に照らされる店内で、テーブル席の向かいの男がそんなことを白状した。何度か会ううちに、宇美原は愚痴を言っても大丈夫な人間だと思ってくれるようになったらしい。その昇格は素直に嬉しい。
「いっそ分かりやすく長男だけを可愛がればよかったのにってか? それはそれで辛かったと思うぞ」
「うん。その通り」
宇美原の言葉に彼が素直に笑う。また、いい奴だなと思う。自分の悪いところは自覚していて、注意されればきちんと受け入れる。そして、どう誘導してみても妻の悪口は言わない。
彼がすぐに愚痴を切り上げてしまったから、その後は請われるまま探偵業の裏話を面白おかしく語ってやった。
妻の浮気をどう思っているのか。別れる気はないのかと、その日も決定的なことは聞けない。それでも、宇美原の話に彼が笑えば、今はこれでいいと思えてしまう。
店を出ていつものようにタクシーで送ろうとすれば、その日は断られてしまった。
「こんなところからタクシーに乗ったら結構な額になりますよ」
「別にいいだろ。金ならある」
「ふふ。言ってみたい台詞ですね。でも、今日は品川まで電車にしません? 俺、宇美原さんと電車で帰ってみたい」
そう子どものように言われれば、苦笑しながら言うことを聞いてしまう。夜の電車など仕事帰りのサラリーマンで溢れているのに、彼となら悪くないと思ってしまうから不思議なものだ。
「あ、電車の乗り方分かります?」
「随分と馬鹿にしてくれるな。酔っていなかったら張り倒していた」
「それは怖いな。でも、いつもタクシーで移動しているイメージだから」
酔っ払い特有のどうでもいいやりとりをしながら、和食屋の最寄り駅までを歩いた。大きなターミナル駅まで戻って、そこで乗り換えて帰ることになる。乗り換えホームまで長い階段を下りなければならない駅で、目的の番線まで歩いていく。
他愛もない話をしていて、ふと涼本が足を止めた。彼の視線の先に目を遣れば、旅行帰りなのか大きなスーツケースを手にした集団が並んでいる。友人なのか親戚なのか、とにかく大荷物でエレベーター前のスペースを占領していて、その後ろにベビーカーのハンドルを握る女性の姿があった。小柄な女性には相応しくないほど大きなベビーカーに、そんなに大きな子どもならもう歩かせてしまえよと思ってしまう。
「……宇美原さん、一つお願いしてもいいですか?」
ふいにそう宇美原に聞くと、涼本は答えも聞かずに彼女に声を掛けに行った。一言、二言言葉を交わして、宇美原に一緒にベビーカーを運んでほしいと言う。母親はホームに下りて次の電車に乗りたいが、なかなかエレベーターが開かなくて困っていたらしい。
「すみません。それ、重いですよね」
「いえ。男二人掛かりですから、大丈夫ですよ」
恐縮する母親に、涼本が人当たりのいい笑みを向ける。二人で子どもの乗ったベビーカーをホームまで運んでやった。涼本に重い思いをさせる必要もないだろうと、途中から一人で運んでホームまで下りる。そこに丁度電車が入ってきて、乗り込むのも手伝ってやった。すやすやと眠ったままの子どもに安堵の表情を見せてから、母親が礼を言って、ドアが閉まるまで何度も頭を下げる。
「あの子ども、脚が悪かったんだな」
電車が去ったあとで言えば、涼本が頷いた。
「あれ、ベビーカーじゃなくて子ども用の車椅子なんです。あんな小柄なお母さんが大変ですよね」
彼の兄、寿々本佑矢は帯番組のMCを任され、その他にもコメンテーターや執筆業に手を出しているやり手だ。元は俳優だったから見た目もいい。
涼本の兄だと知って改めて彼の番組を観てみたが、兄弟だと知っていても、顔も身体つきも似ているとは思えなかった。兄の方は程よく筋肉のついた長身に華やかな顔立ち。弟は女性のように小柄で控えめな顔立ち。性格も控えめだ。
「兄さんは勉強もスポーツもできて、両親の自慢だったんです。俺は何をやっても平凡で」
何度か食事に行くことを繰り返して、その夜は彼の職場から更に電車で二駅行ったところにある和食屋に連れていった。彼が蓮根が好きだと言うから、煮物が評判だという居酒屋を探したのだ。
「そんな俺に、両親は兄を贔屓しないようにって逆に気を遣って接するんです。ある程度大きくなってからは、それが結構辛くて」
ぼんやりとオレンジ色の照明に照らされる店内で、テーブル席の向かいの男がそんなことを白状した。何度か会ううちに、宇美原は愚痴を言っても大丈夫な人間だと思ってくれるようになったらしい。その昇格は素直に嬉しい。
「いっそ分かりやすく長男だけを可愛がればよかったのにってか? それはそれで辛かったと思うぞ」
「うん。その通り」
宇美原の言葉に彼が素直に笑う。また、いい奴だなと思う。自分の悪いところは自覚していて、注意されればきちんと受け入れる。そして、どう誘導してみても妻の悪口は言わない。
彼がすぐに愚痴を切り上げてしまったから、その後は請われるまま探偵業の裏話を面白おかしく語ってやった。
妻の浮気をどう思っているのか。別れる気はないのかと、その日も決定的なことは聞けない。それでも、宇美原の話に彼が笑えば、今はこれでいいと思えてしまう。
店を出ていつものようにタクシーで送ろうとすれば、その日は断られてしまった。
「こんなところからタクシーに乗ったら結構な額になりますよ」
「別にいいだろ。金ならある」
「ふふ。言ってみたい台詞ですね。でも、今日は品川まで電車にしません? 俺、宇美原さんと電車で帰ってみたい」
そう子どものように言われれば、苦笑しながら言うことを聞いてしまう。夜の電車など仕事帰りのサラリーマンで溢れているのに、彼となら悪くないと思ってしまうから不思議なものだ。
「あ、電車の乗り方分かります?」
「随分と馬鹿にしてくれるな。酔っていなかったら張り倒していた」
「それは怖いな。でも、いつもタクシーで移動しているイメージだから」
酔っ払い特有のどうでもいいやりとりをしながら、和食屋の最寄り駅までを歩いた。大きなターミナル駅まで戻って、そこで乗り換えて帰ることになる。乗り換えホームまで長い階段を下りなければならない駅で、目的の番線まで歩いていく。
他愛もない話をしていて、ふと涼本が足を止めた。彼の視線の先に目を遣れば、旅行帰りなのか大きなスーツケースを手にした集団が並んでいる。友人なのか親戚なのか、とにかく大荷物でエレベーター前のスペースを占領していて、その後ろにベビーカーのハンドルを握る女性の姿があった。小柄な女性には相応しくないほど大きなベビーカーに、そんなに大きな子どもならもう歩かせてしまえよと思ってしまう。
「……宇美原さん、一つお願いしてもいいですか?」
ふいにそう宇美原に聞くと、涼本は答えも聞かずに彼女に声を掛けに行った。一言、二言言葉を交わして、宇美原に一緒にベビーカーを運んでほしいと言う。母親はホームに下りて次の電車に乗りたいが、なかなかエレベーターが開かなくて困っていたらしい。
「すみません。それ、重いですよね」
「いえ。男二人掛かりですから、大丈夫ですよ」
恐縮する母親に、涼本が人当たりのいい笑みを向ける。二人で子どもの乗ったベビーカーをホームまで運んでやった。涼本に重い思いをさせる必要もないだろうと、途中から一人で運んでホームまで下りる。そこに丁度電車が入ってきて、乗り込むのも手伝ってやった。すやすやと眠ったままの子どもに安堵の表情を見せてから、母親が礼を言って、ドアが閉まるまで何度も頭を下げる。
「あの子ども、脚が悪かったんだな」
電車が去ったあとで言えば、涼本が頷いた。
「あれ、ベビーカーじゃなくて子ども用の車椅子なんです。あんな小柄なお母さんが大変ですよね」