夕焼け色の道標

 翌日、予定外に空いてしまった時間で何をしようか考えて、衝動に突き動かされるまま名古屋行きの新幹線に乗った。
 朝起きてからスマホはずっと機内モードで、連絡が来ても分からないようにしてある。退職の手続きで白石から連絡が入るまでには時間が掛かる筈だ。だからせめて今日一日は見ないでおこう。慈の退職を知った新太から連絡が入れば、まだ揺れてしまいそうだから。気持ちは決まっていても、揺れれば胸に痛みが走るから。綺麗に作り上げた粘土細工だって、乾くまでには時間が必要だ。だから今日はただの時計代わり。そう思って、時間だけ確認したスマホを鞄にしまい込む。
 彦音のお墓参りに行こうと思った。
 彼の助言に従わずに新太の傍にいた。だが漸く離れる決心がついたと報告に行きたい。葬儀にも出席したから、お墓のあるお寺の場所は覚えていた。無職だが今日は自分を許そうと、在来線の最寄り駅からタクシーに乗って目的地に向かう。
 お寺の近くの店で花とお菓子を買って、墓地に続く長い石段を上っていった。彦音の墓は立派だが、高い柵や囲いがある訳ではなく、彼を慕う人間は誰でも手を合わせに来られるようになっている。
「あれ? 浅井さん?」
 掃除の必要がないほど綺麗に保たれたお墓に手を合わせていれば、後ろから名前を呼ばれた。振り向けば小さな子どもを抱いた女性が立っている。彼女には見覚えがある。
「甘茶蔓彦音の孫の早絵さえです。この子はひ孫の早矢さや
 慈が詳しく覚えていないと察したらしく、腕に抱いた子どもと一緒に名乗ってくれた。挨拶を返して一緒にお墓に手を合わせたところで、子どもの腕にうさぎのぬいぐるみが抱かれていることに気がつく。
「そのうさぎ……」
「あ、これは彦音おじいちゃんが早矢に買ってくれたものなんです」
 見覚えのあるうさぎの正体に気づいて、胸に込み上げるものがあった。彦音がラインで使っていたスタンプのうさぎだ。彼はそのうさぎを妙に気に入っていて、慈宛てのメッセージにはいつもスタンプをつけて送ってきた。
「お店で見かけて、このうさぎはいいうさぎだから、早矢に買ってやるって言って。ぬいぐるみにいい悪いがあるのかって笑ってしまったんですけど、おじいちゃんが亡くなったあとも早矢が気に入って離さなくて」
 その言葉通り、小さな女の子は大事そうにうさぎを抱いている。その様子にジンとしてしまった。慈が名古屋で暮らしたことも無駄ではなかったのかなと思えた。考えてみれば、新太との関係がなければ、彦音は話をすることもおこがましいほど遠い存在だった。
「わざわざお墓参りにいらしてくださったんですか? このあと叔母たちと会う約束がありますし、よかったら一緒に食事でもどうですか? みんな浅井さんに会えたら喜びますよ?」
 もったいない申し出は丁重に辞退して、もう一度お墓に手を合わせて帰路につくことにした。名古屋なんてすぐに行って帰ってこられると思っていたのに、駅までのタクシー移動や新幹線の時間の都合で、東京に戻る頃には夕方になってしまう。
 なんだかこのまま家に帰りたくない気分で、普段は長居しない広い駅をのんびりと見て回った。どうせ時間は沢山ある。気が済むまでふらふらしていればいいと、見たいものを全て見て、夜になってから漸く帰ることにする。
 自宅の最寄り駅に着いたところで、ふと思い出してスマホの機内モードを解除した。気持ちはだいぶ落ち着いた。例え新太からの連絡が入っていたとしても、彼のもとに駆けていくようなことにはならないだろう。そう、静かな気持ちで画面を見つめる。
「……!?」
 だが現れた表示に思わず目を疑った。
 大量のラインの他に、着信履歴が三十件も残っている。
「快人さん……?」
 新太ではなかった。だがそれにしても一体どうしたというのだ。とにかく彼の番号に掛けてみる。仕事中かなと思ったが、意外にワンコールで繋がった。
「慈! よかった、慈なんだな」
「あ、はい、俺ですけど」
 あまりの勢いに、なんだかおかしな返しになってしまう。
「迎えに行く。今どこにいる?」
「え? いえ、◯◯駅にいますけど」
 何故彼がそんなに慌てているのか分からないが、彼が何かに安堵した様子は伝わってくる。
「よかった、生きていた。心配して探していたんだ」
 言葉の意味が分からなくて、ただ彼が話すことを聞くしかなかった。
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