夕焼け色の道標

 以前暮らしていた三階ではなく、快人が暮らしている一階と二階で共に暮らすことになった。と言っても二階に慈の部屋も用意されていて、ずっと一緒にいるという訳でもない。そもそも彼は多忙なのだ。
 快人としては、あのファミレスの夜そのまま慈を迎えて帰さないつもりだったらしいが、色々話して、行ったり来たりを繰り返しながら少しずつ荷物を移動させるということに落ち着いた。
 元々荷物は少ないからすぐに済んで、あとは管理人の立ち会いの下、鍵を返すだけで終わりという日がやってくる。
 その最後の日に快人が付き合ってくれた。管理人と話す間傍で待っていて、その後家まで連れ帰ってくれるという。
「これで全部終了だな」
「はい。色々ありがとうございました」
 コインパーキングまで少し距離があって、コンクリートの歩道を二人並んで歩くことになった。澄んだ夕焼けが広がっている。夕焼けに澄んだという表現が正しいのか分からないけれど、慈にはそう見えた。
「なんか、よそよそしいんだよな。昔はそうじゃなかっただろ?」
 拗ねたように言われるが、それは仕方がないだろう。告白されて夜を共に過ごしているのだ。それも二度。
「まぁ、難しいことを考えるのは追い追いでいい。とりあえず少しゆっくりしていろ。俺としては、一緒にいてくれるならずっとゆっくりしてもらっていいんだけど」
「そんな訳には……」
 そう言い合っていて、ふと目にしたものに足が止まった。私服姿だが見間違える筈がない。そこで彼も気づいたように、慈に向かって小さく手を振る。
 人懐っこい笑顔でこちらに近づいてくる姿に、どうしていいか分からなくなった。快人も気づいたらしく、慈の少し先で足を止める。
「久しぶり、慈」
「……お久しぶりです、新太さん」
 快人など見えていないかのように声を掛けられて、無難な言葉を返すことしかできなかった。
「突然いなくなって驚いた」
「すみません」
「確か、家この辺だったなと思って」
 その言葉には驚く。偶然ではなく慈に会うためにやってきたのか。一体何故?
「引越しするの?」
「……はい。今全部終わったところで」
 何も怖がることはないというのに、胸がバクバクと嫌なリズムで鼓動を速める。
「慈」
「これを」
 快人が護るように慈の肩に腕を回そうとしたところで、新太が何かを差し出した。手のひらサイズの箱は嫌というほど見てきたものだ。新太への切ない想いを抱えながら。
「ねこチョコが買えたから慈にあげようと思って」
 無邪気に差し出されて、神様が自分を試しているのかと思った。結局自分は新太から離れられない運命なのか。そんな不安が過る。
「慈」
 だがそこで、抱き寄せるのをやめた快人が、代わりにぽんと慈の肩を叩いた。見上げた顔が落ち着いている。新太に敵意を見せることもなく、微笑みさえ湛えた顔に、慈も漸くいつもの呼吸を取り戻す。
 決めた筈だ。快人も白石も原田も彦音も、みな慈の幸せを願ってくれた。今はその気持ちに応えたい。何より、快人が慈の判断に任せてくれたことに勇気づけられる。
「わざわざありがとうございます。でも俺、もうねこチョコは卒業しようと思って」
 新太から人懐っこい笑みが消える。
「もう僕とは会わないつもり?」
「はい。テレビの向こうから応援しています」
「慈にそれができるの?」
「おい」
 そこでそれまで黙っていた快人が割って入る。
「そのくらいにしておけ」
 ねこチョコの箱を持ったままの新太の手を軽く払うようにして、今度はしっかりと慈の肩を抱き寄せる。
「もう分かっている筈だ。これ以上慈を縛るな」
「……僕が縛ったことは一度もない」
「気づくのが遅すぎたんだよ。潔く引け」
 自分の心を保つのに精一杯で、快人の最後の言葉は意味が掴めなかった。それでも慈を護ってくれたことは伝わってくる。
 快人に支えられて、もう振り向かずにパーキングに戻った。
「よく頑張ったな、慈」
 新太に強気で物が言えたら格好よかったけれど、快人がそう言ってくれたから合格点だと思うことにする。これから、彼のような強い人間になっていけたらいい。
 もうすっかり暗くなったと思っていたのに、視線の先にはまだ小さくオレンジの部分が残っていた。さっき澄んだ夕焼けだと思ったオレンジが、また明日というように、悲観の欠片もなく消えていく。
 明日の自分は今日より一歩でも進んでいるといい。また澄んだ夕焼けが見られるといい。
 らしくないことを思って、隣りにいる大きな存在を感じながら帰っていった。
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