カタクリ色の恋噺
向かい側でスープをかき混ぜる彼に目を遣り、思わず零れた。快人は一八〇以上ある長身の身体を、時間を見つけてきちんと鍛えている。癖のない黒髪に切れ長の目。薄めだが形のいい唇。クールビューティーという言葉がよく似合う。
勤務先は父親が院長を務める大里総合病院。その医師ともなれば驕りたくなっても不思議ではないが、快人はどこまでも謙虚な姿勢を忘れない。医師免許取得後一度別の病院で働き、内科専門医の資格を取ってから父親の病院にやってきた彼だから、考え方も柔軟で、先に働いていた医師たちにもきちんと敬意を払う。患者からも同僚からも慈のような清掃スタッフからも、快人の悪い噂は一度も耳にしたことがない。
そんな、考えてみれば傍にいるのがもったいないくらいの男が、幼い頃の縁でこうして慈を助けてくれている。
「あ、そうだ、快人さん」
そこでふと、新太に貰ったお金のことを思い出した。
「今日、新太さんからお礼のお金を貰ったんだ。俺、ずっと光熱費しか払っていないし、少し受け取ってくれないかな」
「いらない」
この話は今夜も即答されてしまう。
「病院の仕事もそこまで給料がいい訳じゃないだろ? それに保育園児のときから見ているお前から金なんか取れるか」
「でも」
慈も流石に快人に甘えすぎの自覚はある。ここに住み始めて約三年、彼は頑として家賃を受け取らない。仕方がないので、新太のお世話に通う費用以外は預貯金に回して、時々実家の母親に仕送りしたりしているのだ。
「俺がいいって言うんだからいいんだよ。あ、でも、金はいらないけど、嫌じゃなければ奴にいくら貰っているか聞いてもいいか?」
「二万だけど」
隠すことでもないので素直に答える。
「二万?」
「うん。月二万円」
もう一度言ってやれば彼が眉を顰めた。そんな顔をしてもイケメンはイケメンのままなのだなと、ぼんやり見つめていれば彼が怒り出してしまう。
「少なすぎるだろ」
「そうかな」
危機感のない言い方も不満だったらしく、必死で怒りを抑えるように彼が言う。
「いいか? お前は毎週番組の手伝いに行って、時々家事や料理もしに行っているんだろ? どこかに送っていけと言われて、突然呼び出されたりもする。奴の呼び出しに備えてお前は早朝から仕事をしている。それなのに二万ってなんだよ」
「コインパーキングの料金とか、料理の材料費は貰っているし」
「そんなの当たり前だ。お前、いいように使われているのが分からないのか。二万で何ができる」
「俺が初めにそれでいいって言ったんだ」
よく分からないがこれ以上快人を怒らせる訳にはいかなくて、深いところまで話してしまう。
「新太さんの番組のお手伝いをさせてもらえるように嘘を吐いたんだ。お金は沢山あるから給料はいらないし、時間も自由になるって。それで使ってもらっているんだから、彼は悪くないでしょう?」
それに、もし新太の恋人ならお金など貰わないという思いもある。慈の本音は、恋人になって無償で彼の世話をしたい。本当は二万円だっていらないのだ。
「それにしたって、普通の社会人なら傍にいる人間の状況くらい察するだろ? 番組を持っているくらいだから稼いでいるだろうに、そんなところでケチるなんて……」
「新太さんは素直なんだよ」
彼を悪く言われるのに耐えられなくて、快人の言葉を遮ってしまった。
「新太さんは子どもの頃から幸せな家庭で大事に育てられたから、人を疑うことを知らないんだ。人の言葉は信じる。人間って本来そっちが正しい筈でしょう? それに、ずっとお金の苦労に縁のない人だったから、生活に困るくらいお金がないって状況が想像できないんだ」
気持ちのまま言ってやれば、快人が諦めたように息を吐いた。
「ごめん」
「いや。でもお前、あの男のことになるとよく喋るんだな」
それになんと応えていいか分からなくて、カップに残っていたスープをスプーンで掬い上げる。そんな慈の前で、既に食べ終えている彼が、手を組んで顎を乗せる。
「なぁ。どうしてそんなに好きなの?」
今度はじっくり考えるように言葉を向けられた。食べ終わったスープのカップにはもう頼れなくて、質問の答えを探すしかなくなってしまう。
「確かに見た目はそこそこいい男だけど、話を聞く限り人格者ではないだろ? 俺には空気の読めない世間知らずに思えるけどな」
勤務先は父親が院長を務める大里総合病院。その医師ともなれば驕りたくなっても不思議ではないが、快人はどこまでも謙虚な姿勢を忘れない。医師免許取得後一度別の病院で働き、内科専門医の資格を取ってから父親の病院にやってきた彼だから、考え方も柔軟で、先に働いていた医師たちにもきちんと敬意を払う。患者からも同僚からも慈のような清掃スタッフからも、快人の悪い噂は一度も耳にしたことがない。
そんな、考えてみれば傍にいるのがもったいないくらいの男が、幼い頃の縁でこうして慈を助けてくれている。
「あ、そうだ、快人さん」
そこでふと、新太に貰ったお金のことを思い出した。
「今日、新太さんからお礼のお金を貰ったんだ。俺、ずっと光熱費しか払っていないし、少し受け取ってくれないかな」
「いらない」
この話は今夜も即答されてしまう。
「病院の仕事もそこまで給料がいい訳じゃないだろ? それに保育園児のときから見ているお前から金なんか取れるか」
「でも」
慈も流石に快人に甘えすぎの自覚はある。ここに住み始めて約三年、彼は頑として家賃を受け取らない。仕方がないので、新太のお世話に通う費用以外は預貯金に回して、時々実家の母親に仕送りしたりしているのだ。
「俺がいいって言うんだからいいんだよ。あ、でも、金はいらないけど、嫌じゃなければ奴にいくら貰っているか聞いてもいいか?」
「二万だけど」
隠すことでもないので素直に答える。
「二万?」
「うん。月二万円」
もう一度言ってやれば彼が眉を顰めた。そんな顔をしてもイケメンはイケメンのままなのだなと、ぼんやり見つめていれば彼が怒り出してしまう。
「少なすぎるだろ」
「そうかな」
危機感のない言い方も不満だったらしく、必死で怒りを抑えるように彼が言う。
「いいか? お前は毎週番組の手伝いに行って、時々家事や料理もしに行っているんだろ? どこかに送っていけと言われて、突然呼び出されたりもする。奴の呼び出しに備えてお前は早朝から仕事をしている。それなのに二万ってなんだよ」
「コインパーキングの料金とか、料理の材料費は貰っているし」
「そんなの当たり前だ。お前、いいように使われているのが分からないのか。二万で何ができる」
「俺が初めにそれでいいって言ったんだ」
よく分からないがこれ以上快人を怒らせる訳にはいかなくて、深いところまで話してしまう。
「新太さんの番組のお手伝いをさせてもらえるように嘘を吐いたんだ。お金は沢山あるから給料はいらないし、時間も自由になるって。それで使ってもらっているんだから、彼は悪くないでしょう?」
それに、もし新太の恋人ならお金など貰わないという思いもある。慈の本音は、恋人になって無償で彼の世話をしたい。本当は二万円だっていらないのだ。
「それにしたって、普通の社会人なら傍にいる人間の状況くらい察するだろ? 番組を持っているくらいだから稼いでいるだろうに、そんなところでケチるなんて……」
「新太さんは素直なんだよ」
彼を悪く言われるのに耐えられなくて、快人の言葉を遮ってしまった。
「新太さんは子どもの頃から幸せな家庭で大事に育てられたから、人を疑うことを知らないんだ。人の言葉は信じる。人間って本来そっちが正しい筈でしょう? それに、ずっとお金の苦労に縁のない人だったから、生活に困るくらいお金がないって状況が想像できないんだ」
気持ちのまま言ってやれば、快人が諦めたように息を吐いた。
「ごめん」
「いや。でもお前、あの男のことになるとよく喋るんだな」
それになんと応えていいか分からなくて、カップに残っていたスープをスプーンで掬い上げる。そんな慈の前で、既に食べ終えている彼が、手を組んで顎を乗せる。
「なぁ。どうしてそんなに好きなの?」
今度はじっくり考えるように言葉を向けられた。食べ終わったスープのカップにはもう頼れなくて、質問の答えを探すしかなくなってしまう。
「確かに見た目はそこそこいい男だけど、話を聞く限り人格者ではないだろ? 俺には空気の読めない世間知らずに思えるけどな」