カタクリ色の恋噺

 言われて、傍にあったコインパーキングに車を入れた。ついてこなくていいと言われて車内で待つことにする。
 こんなことはもう何度もあって慣れていた。いつでも観られるようにスマホに入れておいた新太の番組を見返して、その後少し調べものをする。それでも彼が戻ってこないから、鞄から本を出して広げてみた。老人基礎看護。高齢者の病気や応急処置の本は今もみな捨てずにいる。もちろん新太の番組のためだ。
 結局二時間近く経って戻ってきた彼が、ついでに買いものをしたいと言うので二軒の店に寄った。彼のマンションに戻る頃には空がオレンジに染まっていて、夕食は何を作れば彼を待たせずに済むかと考える。
「遅くなっちゃったから、今日はもうご飯はいいや」
 だが建物の前に止めたところで、彼の方から言われてしまった。
「でも」
「今日は付き合ってくれてありがとう。明日か明後日掃除に来てくれれば嬉しいけど、慈が大変ならまた来週でもいいし」
「いえ。明日伺います。明日は夕食も準備しておきますから」
「ほんと? 嬉しい」
 男性にしては高めの声が、嬉しいときには更に高くなる。本心で言ってくれていると分かれば、この男にどんなことでもしてやりたいと思ってしまう。
「じゃあ、また。あ、そうだ」
 一度開けたドアを閉めて、彼が鞄から出した封筒を差し出した。律儀に御礼という文字が書かれ、その周りに花の絵が描かれた綺麗な封筒。職業柄なのか、彼はいつもこんな封筒を使う。
「これ、先月分。先月もありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
 両手で受け取って頭を下げる。新太の手伝いの対価だ。初めは貰うのが申し訳なかったが、断れば彼が哀しげな顔を見せるので、ありがたく受け取ることにしている。
「じゃあ、またね」
 彼がいつもの人懐っこい笑顔で帰っていくのを見送って、慈も帰路に就いた。彼の口ぶりだと、明日は家事をしに来ても会えはしないらしい。でもそれでいい。部屋に入って世話を焼いてもいいと言われることが幸せなのだと、自分に言い聞かせながら部屋に帰る。
 朝から働いて、その後色々車で回ったから、流石に疲れてしまった。いつものように玄関に座ると、そのまま廊下に横になってしまう。
 今ここで眠っても、深夜には目を覚ますだろう。そのあとシャワーに入ってベッドに行けばいい。とにかく疲れた。だが目を閉じて薄れゆく意識に身を任せようとしたところに、コンコンとノックの音が届く。
「慈。帰っているんだろ? 一緒に飯にするぞ」
 快人だった。残業も当直もあって、自由に過ごせる時間は貴重な筈なのに、何故世話を焼いてくれるのだろう。ぼんやりとそう思ううちに、勝手に玄関を開けられてしまう。
「ったく、合鍵を使うまでもないな。お前はいつもこうやって鍵を掛けないのか」
 どうやら今夜も鍵を掛けずに寝ようとしていたらしいと気づいて、自分の不用心さに笑ってしまう。
「おまけにまた廊下で寝ている。医者の家に住んでおきながら、いい加減にしろよ」
 呆れたように言いながら、彼が脇の下から手を入れて身体を起こしてくれた。そのまま肩に腕を回すようにしてリビングまで連れていかれる。背が高くて程よく筋肉もついている彼は、小柄な慈など簡単に移動させてしまえる。
「今日はバタバタしていて、コンビニの飯で悪いけど」
 一度玄関に戻ってビニール袋を提げてくると、彼は中からお握りとカップスープの箱を出して並べた。
「充分贅沢だよ。こうして俺の分のご飯を買ってきてもらうだけでも申し訳ないのに」
「俺に申し訳ないとか言うなよ。あ、ポット借りるぞ」
 手早く準備されて、今夜もありがたくいただくことになる。
「俺が来なきゃ、食べずに廊下で朝まで寝るつもりだったのか?」
「えっと、夜中に起きてシャワーは浴びようと思ったんだけど」
「お前に空腹というものはないのか。それ以上痩せてどうする」
 相変わらず内科医の言葉は耳に痛い。
「俺は背が低いから、体重もこれくらいでいいんだよ」
「いや、痩せすぎだ。女共からブーンイングが来るレベルだ」
「女共って、そんな言い方したら怒られるよ」
 どうでもいいことを話すうちに、身体に纏わりついていた疲れも楽になって、今食べているものをちゃんとおいしいと感じられるようになる。
「快人さんの見た目なら、ブーイングじゃなくて黄色い声が飛ぶんだろうな」
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