カタクリ色の恋噺

 甘茶蔓新太あまちゃづるあらた。本名高木新たかぎあらた。彼を好きになったのは十九のときだった。
 特に志もなく平凡な学生生活を送っていた慈が、ふとテレビで目にした彼に心奪われた。
 人気トーク番組の企画で、前座ぜんざ二ツ目ふたつめの落語家数人が集まって、面白おかしく話す回だった。そこに当時まだ二ツ目だった新太が出演していたのだ。
 多く映る訳ではないのに、どの出演者の話もころころと笑って聞いている彼から目が離せなくなった。そしてテーマが恋愛になったとき、MCに話を振られた彼は躊躇いもなく『僕は女性より男性の方が好きみたいだ』と言う。番組を盛り上げるための嘘だとしても、その潔さに惹かれた。小柄な身体をからかわれても嫌な顔をせず、『身体は小さくても抱く方です』と切り返した感じのよさも、慈がこれまで生きてきた世界にはないものだった。この人に会ってみたい。そう強く思った。
 すぐにネットで調べれば、数歳差だと思っていた彼が十も年上で驚いた。とにかく生で彼の姿が見たくて、彼が出ている寄席を探した。落語などほとんど知らなかった慈だから、調べて初めて、二ツ目は前座より寄席に出る回数が少ないと知って落ち込んだ。それでも諦められずに、近所の寄席はもちろん、地方の落語会で彼が出ているものはないかと探した。
 運よく近所の寄席で初めて彼の落語を聞いたときは、嬉しさで涙が零れた。新太は涙を誘う人情話ではなく、軽快な話を得意とする落語家で、その日の演目も楽しく笑える蕎麦屋の話。それでも、こんなにも人を幸せにできる人間がいるのだと感動した。
 それから何度も新太の落語を聞きに行った。行ける範囲で、彼が出ている地方公演にも行った。落語に入る前の雑談を枕という。新太はその枕が面白くて、お客から好かれるキャラなのだと、たまたま隣にいたファンが教えてくれた。
 これまで静かに生きてきた人生で、こんなにも夢中になれるものができたことが嬉しかった。これはもう恋だ。彼を追い掛けていれば幸せだ。生身の恋人などいらない。そう思って、講義の時間以外はずっと彼のことを考えていた。
 その後人懐っこいキャラが受けた新太は、毎週有名落語家を呼んで対談する番組のMCに抜擢された。彼を見られる機会が増えたことが嬉しくて、毎週欠かさずチェックした。新太だけでなく、対談相手の落語家のことも調べる。毎日が忙しくて幸せだった。どんな大御所ともいい雰囲気の番組を作る新太を、改めて凄いと思った。
 慈の運命が動いたのはその年の年末だ。年内最後の放送で、新太が一人で番組スタートからこれまでを振り返る回だった。そこで彼がぽろりと零す。
『高齢ゲストが多いから、楽屋に看護師さんがいてくれたらいいんですけど』
 そのなんでもない言葉が慈を動かした。看護師になろう。そして彼の番組の手伝いをする。そう決めて、本気で大学を辞め、翌年の四月から看護学校に行ってしまった。
 今考えれば無謀にも程があった。本気で必要ならいくらでも看護師はいるし、慈が勉強をしている間に新太の番組が終わる可能性もある。資格を取ったとして、番組が得体の知れない慈を使ってくれるとも思わない。
 それでも、それだけが新太と繋がる希望だった。いや、彼と親しくなりたいなんておこがましい。ただ何か一つでも彼のために努力できることが欲しかった。楽屋前で出待ちをして声を掛ける勇気はない。だから、こんなに好きなのだという気持ちを他のことで示したかった。
 苦労もあったが、元々手先が器用だった慈は優秀な成績で看護学校を卒業し、国家資格を取った。寄席に通うことも続けていて、運よく新太の弟弟子の秀助しゅうすけに声を掛けてもらう。彼と親しくなって、ある興行の打ち上げに呼んでもらったことがきっかけで、新太とも顔見知りの関係になった。
 そこからは秀助の方に必死でアピールをした。看護師の資格がある。誰かの細々とした身の回りの世話が好きだ。お金には困っていないから、きちんと就職しなくてもいいし給料もいらない。素直な性格の彼は、慈の言葉をそのまま新太に伝えてくれた。ちょうどその頃、新太の番組のゲストが軽い心筋梗塞で病院に運ばれるというトラブルがあったばかりで、渡りに船と思ったのだろう。新太本人から収録の手伝いをしてくれないかと連絡が入って、慈は二つ返事でOKした。新太が制作側に頼んでくれて、今のようにテレビ局に出入りできるようになったという訳だ。
 その後、好きという気持ちを隠して番組のために懸命に働いたのがよかったのだろう。時々新太の部屋の掃除や料理をしに来てほしいと言われるようになった。慈に断る理由はない。彼に指定された日に合鍵で部屋に入って、掃除をして、彼に言われた料理を作って部屋を出る。彼は夜の時間に芸の稽古をするから、邪魔をしないように、大抵夕方には帰る。家事をするだけで彼に会えないことがほとんどだが、不満はなかった。逆に恋人になったようで幸せだと思う。
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