カタクリ色の恋噺
『ごめん。おかしな誤報が流れてびっくりしたでしょう?』。そんなラインが来ないだろうか。『ちょっと事情があって、一時的に結婚することになったんだ。彼女を好きな訳じゃないし、一年くらいで別れるから』。そんな報告でもいい。
だが連絡はなくて、夜遅くに代わりに快人からのメッセージが入る。
『大丈夫か?』
そんな優しさが気に障って、スマートフォンをソファーに投げつけた。夜遅くまで仕事をして、それでも慈を気遣ってくれたのだろう。そう分かっているのに、心に湧くのは醜い八つ当たりの感情だ。新太からだと期待してしまった。紛らわしいことをしないでほしい。自分が欲しいのは快人からの連絡じゃない。そう思ってしまう自分が嫌になる。
服のままソファーで毛布に包まる夜を過ごして、いくつも夢を見た。現実逃避のように、新太と恋人になって幸せに過ごす夢を見て、目覚めた瞬間心が壊れそうになる。
どうしても仕事に行く気になれなくて、初めて休んでしまった。早朝の連絡係に連絡を入れ、唯一連絡先を交換している同僚にもメールを入れておく。
快人からはその後も何度か連絡があったが、短い言葉すら返す気になれなかった。既読がつけば生きていることは分かるだろう。そんな酷いことしか考えられずに、またソファーで横になる。昼までに快人と同僚からメッセージが入ったが、相変わらず新太からは連絡がなかった。仕事を休んだことを後悔するような、長い救いのない時間を過ごすしかない。明日は収録の日だ。明日まで耐えれば新太に会える。そう思って、またソファーで目を閉じる。
六時に目が覚めたときには、何も食べていないせいかフラフラした。まだ早すぎると分かっていながらシャワーを浴びて身支度をする。血圧計の確認をして、今日のゲストの資料を読み始めれば、気持ちも少し落ち着いた。今日のゲストも、長年テレビ番組の司会を務めるような接しやすい男性だったことは助かった。そう思いながら、だいぶ早い時間に家を出てテレビ局に向かう。
収録前に新太と話せると思ったのに、その日は上手くいかなかった。いつものように先に楽屋でゲストと話しているところに彼が現れたが、込み入った話があるようで、慈は楽屋を出ていくことになる。
結局、漸く新太と二人きりになれたのは収録終わりの楽屋だった。今日も秀助が来るかと思ったが、彼はいなくて、久しぶりに新太と向き合うことができる。
「ニュース見た?」
着替えをしながら、先に言葉を向けてきたのは彼だった。
「はい。突然でびっくりして、何かの間違いかと思いました」
「そうだよね。僕も自分でびっくりしている」
少しだけ皮肉を込めて言ってみたが、彼がその皮肉に気づくことはなかった。スムーズに着替えを終えて着物を畳みながら、一分の罪悪感もない様子で返してくる。
「彼女、ちょっと仕事で疲れちゃったんだって。それで悩む様子を見ていたら、護ってあげたいなって思って。結婚してみる? って聞いたら、そうするって言うから、ああ、これがタイミングというものなのだろうなって思えて」
聞いてもいないのに、彼はそんなことを言った。
「協会の中での報告の順番とか、秀助のアドバイスを聞いていたんだ。彼は既婚者だし、他の一門の知り合いも多いから」
途中から彼の話は慈の耳を素通りしていた。新太の結婚は間違いでも形だけの結婚でもないと知って、上手く呼吸できないほど胸が苦しい。
「忙しくなければ、家まで送ってくれないかな? ばたばたしていて、連絡もできなくて申し訳なかったんだけど」
結婚の連絡どころか、ラインの返信すらくれなかったではないかと、出掛かった言葉を呑み込んだ。
「もちろん。これからも変わらず、お仕事の手伝いをさせてください」
「ほんと? 助かる」
あっけらかんとした彼の言葉にこちらも軽口を返して、以前のように彼のマンション前まで送っていく。妻がいるのだろうかと探りかけたが、彼の方からまだ別々に住んでいると打ち明けられる。
「引越しの手伝いなんかがあれば言ってください。車で手伝いに行きますから」
「ありがとう。本当に慈はいい子だね」
何故自分がそんなことを言っているのだろうと、謎のやりとりをして新太と別れた。一人になったあとは、車の運転ができているのが不思議なくらい滅茶苦茶な思考で、どうにか部屋に帰り着く。
「……っ」
そこで漸く素の自分に戻った。何かに当たらずにいられなくて、飾ってあった『ねこチョコ』の猫を残らず台から払い落とす。卓上時計に腕がぶつかって、壁に当たってガシャリと落ちる。
「慈? 慈、どうかしたか?」
車の音で慈が帰ったと分かったのだろう。ドアの向こうで声がする。構わず目につくところにあったものを全て床に叩きつけていれば、玄関のドアが叩かれた。
「慈? 何かあったか? 入るぞ」
だが連絡はなくて、夜遅くに代わりに快人からのメッセージが入る。
『大丈夫か?』
そんな優しさが気に障って、スマートフォンをソファーに投げつけた。夜遅くまで仕事をして、それでも慈を気遣ってくれたのだろう。そう分かっているのに、心に湧くのは醜い八つ当たりの感情だ。新太からだと期待してしまった。紛らわしいことをしないでほしい。自分が欲しいのは快人からの連絡じゃない。そう思ってしまう自分が嫌になる。
服のままソファーで毛布に包まる夜を過ごして、いくつも夢を見た。現実逃避のように、新太と恋人になって幸せに過ごす夢を見て、目覚めた瞬間心が壊れそうになる。
どうしても仕事に行く気になれなくて、初めて休んでしまった。早朝の連絡係に連絡を入れ、唯一連絡先を交換している同僚にもメールを入れておく。
快人からはその後も何度か連絡があったが、短い言葉すら返す気になれなかった。既読がつけば生きていることは分かるだろう。そんな酷いことしか考えられずに、またソファーで横になる。昼までに快人と同僚からメッセージが入ったが、相変わらず新太からは連絡がなかった。仕事を休んだことを後悔するような、長い救いのない時間を過ごすしかない。明日は収録の日だ。明日まで耐えれば新太に会える。そう思って、またソファーで目を閉じる。
六時に目が覚めたときには、何も食べていないせいかフラフラした。まだ早すぎると分かっていながらシャワーを浴びて身支度をする。血圧計の確認をして、今日のゲストの資料を読み始めれば、気持ちも少し落ち着いた。今日のゲストも、長年テレビ番組の司会を務めるような接しやすい男性だったことは助かった。そう思いながら、だいぶ早い時間に家を出てテレビ局に向かう。
収録前に新太と話せると思ったのに、その日は上手くいかなかった。いつものように先に楽屋でゲストと話しているところに彼が現れたが、込み入った話があるようで、慈は楽屋を出ていくことになる。
結局、漸く新太と二人きりになれたのは収録終わりの楽屋だった。今日も秀助が来るかと思ったが、彼はいなくて、久しぶりに新太と向き合うことができる。
「ニュース見た?」
着替えをしながら、先に言葉を向けてきたのは彼だった。
「はい。突然でびっくりして、何かの間違いかと思いました」
「そうだよね。僕も自分でびっくりしている」
少しだけ皮肉を込めて言ってみたが、彼がその皮肉に気づくことはなかった。スムーズに着替えを終えて着物を畳みながら、一分の罪悪感もない様子で返してくる。
「彼女、ちょっと仕事で疲れちゃったんだって。それで悩む様子を見ていたら、護ってあげたいなって思って。結婚してみる? って聞いたら、そうするって言うから、ああ、これがタイミングというものなのだろうなって思えて」
聞いてもいないのに、彼はそんなことを言った。
「協会の中での報告の順番とか、秀助のアドバイスを聞いていたんだ。彼は既婚者だし、他の一門の知り合いも多いから」
途中から彼の話は慈の耳を素通りしていた。新太の結婚は間違いでも形だけの結婚でもないと知って、上手く呼吸できないほど胸が苦しい。
「忙しくなければ、家まで送ってくれないかな? ばたばたしていて、連絡もできなくて申し訳なかったんだけど」
結婚の連絡どころか、ラインの返信すらくれなかったではないかと、出掛かった言葉を呑み込んだ。
「もちろん。これからも変わらず、お仕事の手伝いをさせてください」
「ほんと? 助かる」
あっけらかんとした彼の言葉にこちらも軽口を返して、以前のように彼のマンション前まで送っていく。妻がいるのだろうかと探りかけたが、彼の方からまだ別々に住んでいると打ち明けられる。
「引越しの手伝いなんかがあれば言ってください。車で手伝いに行きますから」
「ありがとう。本当に慈はいい子だね」
何故自分がそんなことを言っているのだろうと、謎のやりとりをして新太と別れた。一人になったあとは、車の運転ができているのが不思議なくらい滅茶苦茶な思考で、どうにか部屋に帰り着く。
「……っ」
そこで漸く素の自分に戻った。何かに当たらずにいられなくて、飾ってあった『ねこチョコ』の猫を残らず台から払い落とす。卓上時計に腕がぶつかって、壁に当たってガシャリと落ちる。
「慈? 慈、どうかしたか?」
車の音で慈が帰ったと分かったのだろう。ドアの向こうで声がする。構わず目につくところにあったものを全て床に叩きつけていれば、玄関のドアが叩かれた。
「慈? 何かあったか? 入るぞ」