カタクリ色の恋噺

 快人と過ごす時間が増えるにつれて、新太と過ごす時間は減っていった。新太に快人のことを話したことはないし、話したところで新太の気持ちが動くとも考えにくいから、単に新太側の問題なのだろう。収録で会えばそれまでと変わらず接してくれるが、家に来なくていいと言われることが二度、三度と続き、送迎もしなくていいと言われてしまった。
 いつ急な呼び出しが入るか分からない。そう、実際にはない連絡を待つ時間は、慈のメンタルを病ませていった。呼ばれればすぐに行くつもりだから、仕事以外の時間は外出することもできない。夜もすぐに駆けつけられるように、外に出掛けられる服装で眠る。
 それでも新太からの連絡はなくて、そのうち、これは快人と親しくした罰なのかもしれないと思うようになった。それならもう快人と会ってはいけない。そう思えて、デート擬きはもちろん、二人で夕食を摂ることすら拒否してしまった。
「新太さんと会えなくなるのが怖いから、快人さんとはもう必要以上に親しくできない」
 心配してやってきた快人に吐く嘘が見つからなくて、本音をそのまま告げた。彼を傷つけない言い方を探す余裕が、慈には既にない。
「分かった。でも食事はちゃんと摂れ。それと心配だから、俺が時々送るラインには返信をくれ」
 聡く慈の状態を察した快人は、咎めずにそう言ってくれた。心配されている。大事に想われている。そう分かっているのに、快人の連絡の通知が鳴れば、新太ではないことに落ち込んで、心の状態は落ちていく。それでも、ごく短い言葉しか返さない慈に、快人の方が匙を投げることはなかった。夜は食事を買いに行く余裕すらない慈のために、毎日のように玄関に差し入れが置いてある。玄関までは入るのに、それ以上は上がってこない彼に、感謝の気持ちはあった。無下にする態度が酷いという自覚もあったが、それよりも新太への想いが勝ってしまう。
「何か欲しいものがあったら連絡をくれ。なんでも買っていくから」
 そんなメッセージを見たとき、溜まっていたものが限界を超えたように泣いてしまった。快人の気持ちに応えれば幸せなのだろう。こんな苦しい日々を過ごさなくていいのだろう。それなのに、自分は新太を想うことをやめられない。快人がくれる十分の一でも、百分の一でもいい。都合のいい呼び出しでもいい。新太が連絡をくれれば心は救われるのにと、そんな風にしか考えられない自分にまた泣いてしまう。
 寒がりの慈は、一年のうちで夏が一番好きだった。それなのに、今年は悩むばかりで夏の日差しをありがたいと思う余裕がない。
 そうして鬱々と八月後半を過ごし、その発表があったのは切りのいい九月一日だった。
『甘茶蔓新太結婚。女医でタレントの加野妙子かのたえこさんと』
 最初に見たのは、仕事を終えて帰って、部屋で新太の動画を観ようと手にしたスマートフォンだった。なんの気なしにニュースサイトを開いて、そこに見慣れすぎた名前を見つける。アイドルでも俳優でもない新太の記事はごく小さなものだった。だが慈にとっては、世界中のどんなニュースより大きな衝撃を連れてくる。
『交際約三ヵ月のスピード婚。午前中に婚姻届を提出』
 短い文章が異世界の言葉のように理解不能だった。そんな筈はない。三ヵ月前も二ヵ月前も、慈は新太の部屋の家事をしに行った。ずっとそんな素振りはなかったし、そもそも彼は男性が好きだと言ったではないか。
 何かの間違いだと思いたくて、普段はあまり観ないテレビを点けてみる。別の芸能人の報道ばかりで何度もチャンネルを変えることを繰り返して、最後に漸く新太の話題を取り上げる番組を目にする。午前中に撮られたのか、そこにはぺこりと頭を下げて短く報道陣の問いかけに応える新太の姿があった。いつもの人懐っこい笑顔だけれど、その顔がいつもより幸せそうで、慈の心を痛めつける。お幸せにと言われて、もう一度頭を下げて去っていく彼の様子を、慈は呆然と眺めた。噺家のニュースなどそれほど長く取り上げられず、ニュースは若い女優の新作映画の話題に移って、それも過ぎると料理のコーナーに変わる。それら全てがやはり異世界の映像のようで、慈には理解できない。
 我慢できずに、普段自分から掛けないようにしている電話を掛けてみたが、話し中で繋がらなかった。それはそうだろう。報道が事実なら、落語の協会や師匠や一門の人間に挨拶をしなければならない。仕事関係者もそうだ。慈に構っている暇はない。結婚なんて嘘だと思いながら、どこかの冷静な自分がそんな残酷な想像をする。
 何かの間違いだ。そうでなければ悪い夢だ。そう心で繰り返して、新太の連絡を待つだけの時間を過ごした。
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