カタクリ色の恋噺

 こんな若手を出すくらいなら、新太を出演させればいいのにと、また彼のことを想った。新太の落語の方が楽しめるのにと、昨夜悩んだことなど忘れて、彼の望みが叶うことを願ってしまう。
 昨夜より幾分かマシになった頭で、とりあえずバスルームに向かった。熱いシャワーを浴びればまた少し思考がすっきりして、抱えている悩みと、やらなければならないことを整理する。
 送迎の件は、新太にまた何か言われるまで悩むのはよそう。自分は今まで通り彼の手伝いに通う。新太がスムーズに仕事ができるよう全力でサポートする。そのために何を失ってもいい。
 いつか、カタクリ色の着物を着て高座に上がる彼が見てみたい。合わせる袴は薄いグレーだといい。『早朝落語』に出演する夢が叶って、オンエアの日は新太と並んで早起きをして視聴する。そんな日が来ないだろうか。
 想像すれば胸がきゅっと締めつけられて、叶った日の幸せを思って鼓動が速くなる。
 やはり自分の生活から新太をなくすなんてできない。こんなにも想うことを、やめられる筈がない。一人朝食の支度をしながら、改めてそう思う。
 だがそんな決意と裏腹に、その週の水曜日の朝、今日は来なくていいと新太から連絡が入った。それなら別の日に行くと返したが、それもいらないと言う。理由を聞ける立場ではないから、黙って従うしかなかった。次に行ったときには何を作ろうと考えていたのが無駄になって、仕事が終われば沈んだ気持ちで家に帰るしかない。新太のために空けている時間は、必要とされなければ悩み苦しむ時間に変わる。
 部屋に入ればまだ日の高い時間で、窓からの日差しが眩しすぎてカーテンを引いた。オフホワイトのカーテンはいいものだが、遮光カーテンではないので閉め切っていても不自由はない。
 それしかすることが思いつかなくて、スマートフォンで新太の動画を観て過ごした。彼がいなければ、自分には何もないのだと改めて実感する。落語も観てみるが、楽しい筈の演目に今は笑えなくて、画面を消してしまう。
 このところよく眠れなくて寝不足気味だから、このまま眠ってしまおうか。熟睡して朝まで目が覚めなければいい。やはり来てくれと新太から連絡が入ったときすぐ行けるように、洋服のまま眠ろう。諦め悪くそんなことを思いながら目を閉じる。
 ぐっすり眠りたいのに、暑さがいけないのか、言葉にできない苦しい夢を見た。肩にふわりと降りてきたものの感触で、はっと目を覚ます。
「あ、ごめん。起こすつもりじゃなかったんだけど」
 そこには当たり前のように快人がいた。
「……ううん。起こしてくれて助かった」
「魘されていたな。嫌な夢でも見たか?」
 ソファーの傍に膝立ちになって、彼が静かに聞いてくる。その顔には、昼間から寝ていた慈に呆れる様子もない。
「慈」
 目に掛かっていた髪の毛を除けてくれた彼の顔には、代わりに哀れみの表情があった。目の前で小さな子どもが泣いていて、それでも何もできずに見ているしかないときのように、眉を下げて慈を見つめる。自分はそんなに酷い状態に見えるのだろうか。
「ごめん。忙しいお医者さんの家で俺が寝ているなんて、気分がよくないですよね」
 なんとなく、彼から目を逸らして言った。
「そんなことはいい。今日は奴のところに行かなかったのか?」
 もう快人の前で新太のことは話すまいと思っていたのに、優しく聞かれれば言わずにいられなくなる。
「今日は来なくていいって」
「そっか」
「明日も、明後日もいらないって。今までこんなことなかったのに」
「それで落ち込んでいたのか」
 視線を戻せば、何故か彼の方が辛そうに目を細める。
「じゃあ、遊びに行くか」
 だがすぐに彼はそう言って立ち上がった。
「遊園地に行こう」
「え? えっと、どうして」
「どうしてって、デートだろうが」
 そんな、慈を困らせる言葉が続く。
「じゃあ、俺は行けない」
「そう堅く考えるなって」
 言葉と一緒に腕を引かれていた。
「この時間だとたいしてアトラクションには乗れないだろうけど、でもきらきらしていて見るだけでも楽しいから。子どもの頃、もっと大きくなったら夜の遊園地にも行ってみようって約束したじゃないか」
 覚えていない。でも快人と遊んだ帰りに、もっと長く遊んでいたくて、そんなことを言ったかもしれない。
「快人さん、仕事で疲れているんじゃ」
「別に当直だった訳でもないし普通だよ」
21/35ページ
スキ