明日会えない恋人

 そのやりとりで、張り詰めていたものが一度に解けた。実はそれほど器用でない貢本は、人を嫌な気分にさせないように、いつも精一杯頭を働かせて生きている。だからこんな風に完全にリラックスできるのは彼の前だけなのだ。
 お茶を出して向かい側に座ろうとして、そこで鞄に入れたままの携帯が震えていることに気づいた。
「ごめん。ちょっと待っていて」
 内心、知哉との時間に困るなと思いながらも、携帯を手に寝室に向かう。
「兄さん。どうかしました?」
 相手は有村だった。
「いや、母さんのことを聞きたくてな。今日はどうだった?」
「元気そうでしたよ。顔色もよかったし」
「そうか、それならよかった」
 わざわざ電話でするまでもないやりとりをして、そこで彼が一瞬躊躇うような間を置く。
「謙」
「何?」
「今夜もあいつが来ているのか?」
 聞かれて答えに困った。その短い間が肯定になってしまう。
「来ているんだな」
「来ていますけど」
 有村の声が厳しくなる。何故か分からないが、彼は知哉の存在をよく思っていない。
「恋人に夢中になりすぎて仕事を疎かにしたりするなよ。お前は夢中になると周りが見えなくなるから」
 気持ちを抑えるように彼が言う。
「分かっています」
 何度も言われてきた台詞に、その日も貢本は曖昧に返すしかない。
「夜一人で過ごすのが退屈なら食事に連れていくし、俺の部屋に来てもいい。だからあまりその男には深入りするな」
 もう一度分かったと返して通話を終えた。だがその言葉通り彼との関係を終わりにするつもりなどない。
「知哉。ごめん、待たせて」
 急いでリビングに戻るが、そこに既に彼の姿はなかった。玄関まで走ってドアを開けてみても、五階のベランダから前の道を見下ろしてみても、もう彼の気配はない。
 しょんぼりとリビングに戻れば、テーブルに手つかずの紅茶のカップが置かれていた。こんなことはもう何度もあった。知哉は有村と電話をしていると、気を遣って何も言わずに帰ってしまう。
「お茶くらい飲んでいけばいいのに」
 呟いて、堪らなく寂しい気持ちを抱えて、貢本は洗いものに掛かるのだった。
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