明日会えない恋人
「いや。人を使って調査済みだ。休日は大抵家にいるし、出掛けていれば追いかけるまでだ」
後ろの席の久野と有村が、また貢本には分からない会話を始める。
「家に籠もっていたらどうする」
「適当な理由をつけて彼にだけ出てきてもらえばいい」
「そう。じゃあ、もう止めないよ」
初めは二人のやりとりの意味を考えていたが、そのうちどうでもよくなって、窓の外に目を向ける。
「そこまでするんなら、こうなる前に護っていればよかったんだ」
久野がやりきれないように言えば、痛いところを突かれたのか有村が黙って、そこで二人の話は途切れた。車は高速に入って、窓の外の薄い青空も結構なスピードで流れていく。
「貢本さん、寝ていていいよ。着いたら起こすから」
久野に言われて首を振ったが、いつのまにか漠然とした不安から逃れるように目を閉じていた。そのまま眠って、ぼんやりと知哉の夢を見る。知哉に呼ばれて、何? と近づこうとしたところで肩を揺すられる。
「ここだ。とりあえず降りろ」
厳しい表情の有村に言われて車を降りた。彼が先に行き、久野と並んで向かうのはなんの変哲もない公園だ。二つ並んだブランコと円柱型の水飲み場があるだけの小さな公園。道路との仕切りになっている木々の向こうに、高層マンションが聳えている。マンションに住む夫婦が子どもを連れてやってきたりするのだろう。誰もいない公園を見渡していれば、有村が久野に顔を向けて言う。
「彼を連れ出してくるから、謙を頼む」
「ああ。おかしなことはするなよ」
諦めたように返す久野を見上げるが、彼は困ったように笑うだけで答えてくれない。何故か護るように肩を抱き寄せられて、そのまま有村の後ろ姿を見つめる。
公園を囲む木々の中央が途切れていて、道路を渡ってマンションに向かう出口になっていた。有村が道を渡ろうとしたところで、向こうからやってきた家族連れに気づいて足を止める。
目にした貢本もはっとした。父親と母親と小さな男の子。その三人のうち、父親の男に見覚えがあったから。
違う。そんな筈はないと思うのに、近づいてくれば思いが確信に変わる。それが間違いではないと告げるように、有村がゆっくりと貢本の傍に戻ってくる。
「遠くから見ようか。不審者に思われても仕方ないからね」
全ての事情を知っているらしい久野に言われて、入り口に近い位置まで連れていかれた。そこからブランコで遊ぶ家族を見つめる。やはり間違いではない。本人だと分かる。少し茶色に染めた髪。昔と違ってフレームのない眼鏡をしている。子どもが乗るブランコを動かしてやる姿は、いいパパそのものだ。
「誰か分かるか?」
同じように傍に来た有村に聞かれて、答えられなかった。答えられない貢本の代わりに、容赦のない言葉が続く。
「鈴木知哉二七歳。大手薬品メーカーの社員だ。隣にいるのは二年前に結婚した妻で、そこに建っているマンションを買って暮らしている」
「紘一朗。一旦やめた方がいい。貢本さんが」
久野が止めるのに構わず、有村の話は続く。
「分かるか? 彼は商社の社員なんかじゃない。出向して、偶然再会した同級生の部屋に通ったりもしていない。謙が見ていたのは全部幻影だ」
うっすら分かっていたことを言葉にされて全身が震えた。部屋で愚痴を聞いてくれた彼の姿を思い出す。中学の頃と変わらないと思っていた。眼鏡も顔も表情も髪型も。それは自分が中学の思い出を元に作り出した幻影だったから。自分の世界だけを信じていたから。だから有村の電話で思い込みが途切れたとき知哉もいなくなった。そう理解する。だが理解したからといって、すぐに気持ちが追いつく訳ではない。
「貢本さん、大丈夫? 顔が真っ青だ。紘一朗、もういい。もうやめろ」
身体の力が抜けて、肩を抱いてくれる久野に凭れ掛かってしまう。
「車に戻ろう。一度休んだ方がいい」
ああ、お医者様の口調だ。やはり自分は患者だったのだと分かったところで、ふっと意識が遠のいた。
「謙!」
遠くで有村の声を聞いた気がした。
後ろの席の久野と有村が、また貢本には分からない会話を始める。
「家に籠もっていたらどうする」
「適当な理由をつけて彼にだけ出てきてもらえばいい」
「そう。じゃあ、もう止めないよ」
初めは二人のやりとりの意味を考えていたが、そのうちどうでもよくなって、窓の外に目を向ける。
「そこまでするんなら、こうなる前に護っていればよかったんだ」
久野がやりきれないように言えば、痛いところを突かれたのか有村が黙って、そこで二人の話は途切れた。車は高速に入って、窓の外の薄い青空も結構なスピードで流れていく。
「貢本さん、寝ていていいよ。着いたら起こすから」
久野に言われて首を振ったが、いつのまにか漠然とした不安から逃れるように目を閉じていた。そのまま眠って、ぼんやりと知哉の夢を見る。知哉に呼ばれて、何? と近づこうとしたところで肩を揺すられる。
「ここだ。とりあえず降りろ」
厳しい表情の有村に言われて車を降りた。彼が先に行き、久野と並んで向かうのはなんの変哲もない公園だ。二つ並んだブランコと円柱型の水飲み場があるだけの小さな公園。道路との仕切りになっている木々の向こうに、高層マンションが聳えている。マンションに住む夫婦が子どもを連れてやってきたりするのだろう。誰もいない公園を見渡していれば、有村が久野に顔を向けて言う。
「彼を連れ出してくるから、謙を頼む」
「ああ。おかしなことはするなよ」
諦めたように返す久野を見上げるが、彼は困ったように笑うだけで答えてくれない。何故か護るように肩を抱き寄せられて、そのまま有村の後ろ姿を見つめる。
公園を囲む木々の中央が途切れていて、道路を渡ってマンションに向かう出口になっていた。有村が道を渡ろうとしたところで、向こうからやってきた家族連れに気づいて足を止める。
目にした貢本もはっとした。父親と母親と小さな男の子。その三人のうち、父親の男に見覚えがあったから。
違う。そんな筈はないと思うのに、近づいてくれば思いが確信に変わる。それが間違いではないと告げるように、有村がゆっくりと貢本の傍に戻ってくる。
「遠くから見ようか。不審者に思われても仕方ないからね」
全ての事情を知っているらしい久野に言われて、入り口に近い位置まで連れていかれた。そこからブランコで遊ぶ家族を見つめる。やはり間違いではない。本人だと分かる。少し茶色に染めた髪。昔と違ってフレームのない眼鏡をしている。子どもが乗るブランコを動かしてやる姿は、いいパパそのものだ。
「誰か分かるか?」
同じように傍に来た有村に聞かれて、答えられなかった。答えられない貢本の代わりに、容赦のない言葉が続く。
「鈴木知哉二七歳。大手薬品メーカーの社員だ。隣にいるのは二年前に結婚した妻で、そこに建っているマンションを買って暮らしている」
「紘一朗。一旦やめた方がいい。貢本さんが」
久野が止めるのに構わず、有村の話は続く。
「分かるか? 彼は商社の社員なんかじゃない。出向して、偶然再会した同級生の部屋に通ったりもしていない。謙が見ていたのは全部幻影だ」
うっすら分かっていたことを言葉にされて全身が震えた。部屋で愚痴を聞いてくれた彼の姿を思い出す。中学の頃と変わらないと思っていた。眼鏡も顔も表情も髪型も。それは自分が中学の思い出を元に作り出した幻影だったから。自分の世界だけを信じていたから。だから有村の電話で思い込みが途切れたとき知哉もいなくなった。そう理解する。だが理解したからといって、すぐに気持ちが追いつく訳ではない。
「貢本さん、大丈夫? 顔が真っ青だ。紘一朗、もういい。もうやめろ」
身体の力が抜けて、肩を抱いてくれる久野に凭れ掛かってしまう。
「車に戻ろう。一度休んだ方がいい」
ああ、お医者様の口調だ。やはり自分は患者だったのだと分かったところで、ふっと意識が遠のいた。
「謙!」
遠くで有村の声を聞いた気がした。