明日会えない恋人

 思わず見つめた画面はすぐに次のニュース映像に切り替わった。胸がばくばくと嫌な音を立てて、背中を嫌な汗が流れる。有村は別れると言っていた。だがこんなところに婚約のニュースが流れている。書道家としてテレビ出演もしている月見史保里は有名人だ。間違いがこんな公共の場で流れるものだろうか。
 もう一度同じニュースが流れる前に病院の最寄り駅に到着して、降りて改札に向かった。電話で有村に直接聞けばいいと分かっていて、それができない。聞けば辛い現実から逃れられなくなるから。
 なんとかいつもの顔を作って、真沙子の病室に向かった。だがそこに彼女の姿はない。
「有村さんなら談話室にいますよ」
 貢本の姿に気づいた看護師が声を掛けてくれた。
「この頃、体力をつけるためにリハビリ室を使わせてほしいって仰るんですよ。今日はもう夕食を終えたあとでしたから、リハビリの代わりに談話室までお散歩してみたらどうですかって言ったらそうしてくれて」
「そうですか」
「あの調子だと、もうすぐ退院できるかもしれないですよ。何があったのか教えてくれないんですけど、本当に数ヵ月前とは別人みたいで」
 厚意で教えてくれる看護師に、笑って応じるのが精一杯だった。真沙子がよくなって退院するのはいいことだ。だが、もうお前はいらないと言われたような気がしてしまう。
 重なるときは重なるものだ。井知川に宣戦布告のようなことをされ、有村の婚約の事実を知ったところに真沙子の不在だ。
「談話室までご案内しましょうか?」
「いえ。大丈夫です。ありがとうございます」
 談話室に向かうような言い方をしながら、そのままエレベーターで下りてしまう。
 用なし。またその言葉に襲われる。帰りの電車ではニュースを見るのが怖くて、ずっと窓の外を見て過ごした。堪らない気持ちで、ほとんど走るように自宅に戻る。
「知哉」
 部屋に帰れば久しぶりに知哉がいた。テーブルで伏せていた彼が、顔を起こして眼鏡を掛ける。
「辛いことがあった?」
 何か言う前に彼の方から聞いてくれた。ああ、自分の辛い気持ちに気づいてくれた。そう思えば込み上げるものがあって、もう彼しかいないという気持ちになる。
「知哉。俺、もう知哉がいればいい。知哉はずっと傍にいてくれるよね?」
 手を広げて迎えてくれるから、近づいて彼の胸に頬を寄せた。背に腕が回る。知哉は多くを語らない。だが誰より貢本を心配してくれる。
 不自由のない環境で育ってきたが、ずっと自分の居場所が分からなかった。傍にいたいと思った有村は遠くにいて、いつの間にかその距離に苦しくなった。恋人になれるかもしれないと自惚れたこともある。だが結局彼は条件のいい女性と結婚する。真沙子も実の息子でない貢本が煩わしくなったのだろう。所詮、類子が亡くなってから自分に居場所などなかったのだ。
「僕がいる」
 溢れそうな気持ちに、知哉は気づいてくれた。
「中学のときもそうでしょう? 僕といればいい」
 驚いて顔を上げれば、昔と変わらない穏やかな笑みが目に映った。半端な体勢で彼に身体を寄せていた貢本を隣に座らせてくれる。
「僕、仕事があまり上手くいっていないんだ」
 突然彼がそんなことを言った。そんな気はしていた。本意ではない出向で、いつか本社に戻りたいのだろう。
「情けないよね」
「そんなことない。仕事なら俺だって」
「謙はしっかり主任をやっているでしょう?」
 言われて、昼間井知川に言われた台詞を思い出す。一緒に仕事ができたらよろしくお願いします。その言葉の裏で、主任ごときの居場所はもうないと言われているのは分かっていた。仕事は精一杯やってきたつもりだが、貢本は井知川のように若くも華やかでもない。彼女のような人間の方が、会社にはプラスなのだろう。
「会社が統合するから、俺はもう用なしだよ」
 なんだかここで何もかも捨てるのも悪くない気がして、知哉の肩に頭を凭せ掛ける。そこで突然ヴヴヴと音がした。静かな空間に、その音がやけに響いて放っておけない。仕方なく立ち上がって、傍に投げていた鞄から携帯を取り出した。有村からだ。
「謙、話がある。今から行く」
「兄さん」
「今日、彼女との報道を見ただろう? あれは誤報だ。ちゃんと説明したい」
「兄さん、もういいんです」
 長く話していれば知哉が帰ってしまう。そう思って、早く切ろうと必死になってしまう。
「もう俺に構わないでほしい」
「一体、何を言っている?」
「知哉といたい」
 きっぱりと告げた瞬間、相手が息を呑んだ。
「あいつが来ているのか?」
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