明日会えない恋人
こんなこととは一体なんだろう。分からないうちに彼の指がシャツのボタンに掛かる。シャツを掴んで抵抗すれば、貢本の手から逃れた彼の指が、身体の中心に下りていく。
「謙」
「ダメ……!」
軽く握るようにされて、堪らず彼の身体を押し返した。ソファーの端に逃れて、彼から身を護るように自身の身体を抱く。
「こんなこと、ダメに決まっています」
細かく震える身体を抑えるようにしていて、そこ冷静さを取り戻したらしいに有村の声が向けられる。
「悪い。まだ今はルール違反だな」
謝られて首を振るが、拒否しておいてルール違反という言葉には傷ついた。まだ月見史保里とは恋人同士なのだと実感してしまう。
「俺が嫌いじゃないだろ?」
立ち上がった彼に言われて、思わず強い目を向けた。
「俺には知哉がいます」
見上げる貢本に、彼が更に鋭い眼差しを向けてくる。
「別れてほしい」
「え?」
あまりにもはっきりと言われて、驚きで理解が遅れた。
「年明けに統合を発表して、四月に会社は新体制になる。もう下準備は済んでいるから心配はない。今年中に月見史保里の別の男との婚約も発表されるから、それで俺とは完全に切れる。そうしたら俺はずっと謙の傍にいる。だから謙も鈴木知哉とは別れてほしい」
傍に来た彼に抱き寄せられて、諭すように背中を撫でられた。その腕を振り払うことができない。
「俺が全部悪かった。五歳の日に、こいつは俺がずっと護ってやろうと決めた筈なのに、グループの混乱に負けて突き放した。一人にしちゃいけないって、俺が一番分かっていたのに」
「なんの話ですか?」
漸く身体を離して見つめれば、彼の顔にはもどかしさが溢れていた。何かを知っていて隠さなければならない。そんな顔をしている。
「まだ話さないって、久野との約束なんだ」
「久野さん?」
何故ここで彼の名前が出てくるのだと聞く前に、彼は部屋を出てしまった。
「兄さん」
彼を追って玄関に向かえば、何かに吹っ切れたように彼が言う。
「鈴木知哉と会っていたことにはもう何も言わない。けど別れろ。できればもう会わないでほしい」
「そんな急に」
「俺のものになるんだ。それがお前の望みでもあった筈だ」
断言されて言葉が出ない。
「また連絡する。お休み」
彼は一度貢本の頭に手を置いて帰っていった。エレベーターまで送ることもできずに、貢本は玄関に立ち尽くしてしまう。
有村のものになるために知哉と別れる。酷く単純な話なのに、とても難しいことのように思えるのは何故だろう。そういえば、最後に知哉と会ったのはいつだった? さほど難しいことではないのに、何故か答えに辿り着けない。
リビングに戻れば、食事の支度に掛かる前に淹れた紅茶のカップが置かれていた。有村もこの紅茶が好きで、いつもちゃんと飲んでくれる。兄弟だから飲みものの好みも似ているのだと思って、そこでふと別の考えが浮かぶ。何かにはっとして、だがその考えはすぐに散ってしまう。思い出そうとするのに、どうしても思い出せない。
有村のものになる。知哉とは別れる。最近彼が来ない。彼は紅茶を飲まない。パズルみたいに考えて、それでも答えは出なくて、そのうち諦めてしまう。
俺のものになるんだ。その言葉を反芻しながら眠る夜になった。
「謙」
「ダメ……!」
軽く握るようにされて、堪らず彼の身体を押し返した。ソファーの端に逃れて、彼から身を護るように自身の身体を抱く。
「こんなこと、ダメに決まっています」
細かく震える身体を抑えるようにしていて、そこ冷静さを取り戻したらしいに有村の声が向けられる。
「悪い。まだ今はルール違反だな」
謝られて首を振るが、拒否しておいてルール違反という言葉には傷ついた。まだ月見史保里とは恋人同士なのだと実感してしまう。
「俺が嫌いじゃないだろ?」
立ち上がった彼に言われて、思わず強い目を向けた。
「俺には知哉がいます」
見上げる貢本に、彼が更に鋭い眼差しを向けてくる。
「別れてほしい」
「え?」
あまりにもはっきりと言われて、驚きで理解が遅れた。
「年明けに統合を発表して、四月に会社は新体制になる。もう下準備は済んでいるから心配はない。今年中に月見史保里の別の男との婚約も発表されるから、それで俺とは完全に切れる。そうしたら俺はずっと謙の傍にいる。だから謙も鈴木知哉とは別れてほしい」
傍に来た彼に抱き寄せられて、諭すように背中を撫でられた。その腕を振り払うことができない。
「俺が全部悪かった。五歳の日に、こいつは俺がずっと護ってやろうと決めた筈なのに、グループの混乱に負けて突き放した。一人にしちゃいけないって、俺が一番分かっていたのに」
「なんの話ですか?」
漸く身体を離して見つめれば、彼の顔にはもどかしさが溢れていた。何かを知っていて隠さなければならない。そんな顔をしている。
「まだ話さないって、久野との約束なんだ」
「久野さん?」
何故ここで彼の名前が出てくるのだと聞く前に、彼は部屋を出てしまった。
「兄さん」
彼を追って玄関に向かえば、何かに吹っ切れたように彼が言う。
「鈴木知哉と会っていたことにはもう何も言わない。けど別れろ。できればもう会わないでほしい」
「そんな急に」
「俺のものになるんだ。それがお前の望みでもあった筈だ」
断言されて言葉が出ない。
「また連絡する。お休み」
彼は一度貢本の頭に手を置いて帰っていった。エレベーターまで送ることもできずに、貢本は玄関に立ち尽くしてしまう。
有村のものになるために知哉と別れる。酷く単純な話なのに、とても難しいことのように思えるのは何故だろう。そういえば、最後に知哉と会ったのはいつだった? さほど難しいことではないのに、何故か答えに辿り着けない。
リビングに戻れば、食事の支度に掛かる前に淹れた紅茶のカップが置かれていた。有村もこの紅茶が好きで、いつもちゃんと飲んでくれる。兄弟だから飲みものの好みも似ているのだと思って、そこでふと別の考えが浮かぶ。何かにはっとして、だがその考えはすぐに散ってしまう。思い出そうとするのに、どうしても思い出せない。
有村のものになる。知哉とは別れる。最近彼が来ない。彼は紅茶を飲まない。パズルみたいに考えて、それでも答えは出なくて、そのうち諦めてしまう。
俺のものになるんだ。その言葉を反芻しながら眠る夜になった。