駆け引きトライアングル
大岡に連絡すればすぐに実果子のマンションに向かうように言われた。彼もタクシーで向かうという。彼女は経営者だから、できるだけ騒ぎを大きくしないようにと助言されて、戸倉の車で現場に向かう。
「その文面で考えられることと言えば自殺かな」
「はっきり言わないでくださいよ。まだ何も解決していないのに、死なれたら堪らない」
車内ではさっき二人の間にあった空気が嘘のように、容赦のない言葉のやりとりが続く。それが実は彼の配慮なのかもしれない。
「彼女が馬鹿なことを考えていたら止めて、また普通に仕事に行けるように騒ぎは大きくしない。必要なら病院に連れていく。なんとか間に合ってくれればいいですけど」
「思い詰めるタイプだから、あんな風にきつい物言いで誤魔化していたんですかね。そう考えると哀れっていうか」
「……戸倉くん、悪気がないのは分かりますけど、言い方がちょっときつい」
「そうですか? 実は失恋で気が立っているので」
「う……」
それを言われると返す言葉がない。
「冗談だよ。そんな場合じゃないって分かってるし。じゃあ、捕まらない程度に飛ばしますね」
その言葉通りにスピードを上げた車で目的地に辿り着く。コインパーキングに駐めてマンションに向かって、一階にいた管理人に事情を説明した。
「ああ、さっきの弁護士さんの事務所の方ね。部屋で旦那さんと揉めているらしくて、警察を呼んで待っているところなんですよ」
六十代くらいの男性管理人がこちらを疑うことなく話してくれて、富田たちも現場の五階に上がることにする。
「別居中で、ここは実果子さんのマンションですよね。旦那さんを呼び出して何をしようとしているんだろ」
「嫌な予感しかないですけどね」
降りた階を走って彼女の部屋に向かえば、鍵は掛かっておらず、そっと中に入ることにした。短い廊下からリビングを覗き見て声を上げそうになる。壁際に大岡。そして部屋の中央に刃物を持った実果子。そしてそのすぐ前のフローリングで、幹矢氏がロープで縛られた状態で正座していた。彼女が考えていたのは自殺ではなく復讐だったらしい。
「外面ばかりよくて、浮気を繰り返して慰謝料も拒否するって、どこまで馬鹿にしたら気が済むの?」
「バレないように気をつけた浮気だったんだから問題ないだろ?」
刃物を向けられた状態で、何故そんな煽るようなことが言えるのだと、見ている富田の方が青くなってしまう。
「実果子さん、もうすぐ警察が来ます。今ならちょっとした夫婦喧嘩でしたで済みます。刃物をしまって、今夜は好きなホテルにでも泊まったらどうですか?」
凶悪犯を宥めるかのように、大岡の落ち着いた声が響くが、彼女がそれで気持ちを変える様子はない。
「もういいのよ。こんな男と結婚した時点で私の人生は終わっていた。もうやり直せないなら、ここで刺して、私も一緒に死ねばいい」
そんな最悪の展開にはさせたくない。思わず一歩足を進めたところで、大岡がこちらにちらりと目を遣る。富田の登場にはとっくに気づいていたらしい。考えていることは同じ。できれば警察が来る前に刃物を彼女から取り上げて隠してしまいたい。だが不用意に動けば彼女が幹矢氏を刺してしまう。
「……長谷さんは、離婚した女性やシングルマザーの就業支援をしているんですよね」
ベタだが、ここは情に訴えよう。そう思って彼女のホームページから得た知識をぶつけてみた。
「事務員さん、いつの間に」
漸く富田たちの存在に気づいた彼女が振り向くが、手にはしっかり刃物が握られたままだ。
「ラインをくれたから心配でやってきたんです。銃刀法違反なんかで実果子さんが捕まったら嫌だし、実果子さんの会社で働く社員も大変な思いをすると思いますので、とにかく刃物を渡してくれませんか?」
「嫌よ。この人を刺すって決めたんだから。この人用心深いから、油断させて縛り上げるのも大変だったの。ここで失敗したら二度とチャンスはないから」
彼女の言葉に心を痛めるフリをしながら、ほんの一瞬大岡に目を遣る。
「それならどうして俺に連絡をよこしたんですか? バレないようにさっさと始末してしまえばよかったのに。俺に止めてほしかったんじゃないですか?」
「そんなこと……」
「結局まだ旦那さんが好きで仕方がないんですよね。一番に愛してもらえないから駄々をこねている」
「一体何が分かるって言うの!」
興奮した実果子が刃物を持ったまま富田に向かってくる。だが彼女の気を引いておくために、富田がその場を動くことはない。
「……っ」
そこで大岡が動いた。彼女が富田の姿に夢中になったところを、横から近づいて刃物を叩き落としてしまう。フローリングを滑っていった刃物を拾い上げて、煌が幹矢氏を縛るロープを切りに行く。そのすぐあとで、ドンドンと玄関のドアを叩く音がした。
「警察です。入りますよ」
「その文面で考えられることと言えば自殺かな」
「はっきり言わないでくださいよ。まだ何も解決していないのに、死なれたら堪らない」
車内ではさっき二人の間にあった空気が嘘のように、容赦のない言葉のやりとりが続く。それが実は彼の配慮なのかもしれない。
「彼女が馬鹿なことを考えていたら止めて、また普通に仕事に行けるように騒ぎは大きくしない。必要なら病院に連れていく。なんとか間に合ってくれればいいですけど」
「思い詰めるタイプだから、あんな風にきつい物言いで誤魔化していたんですかね。そう考えると哀れっていうか」
「……戸倉くん、悪気がないのは分かりますけど、言い方がちょっときつい」
「そうですか? 実は失恋で気が立っているので」
「う……」
それを言われると返す言葉がない。
「冗談だよ。そんな場合じゃないって分かってるし。じゃあ、捕まらない程度に飛ばしますね」
その言葉通りにスピードを上げた車で目的地に辿り着く。コインパーキングに駐めてマンションに向かって、一階にいた管理人に事情を説明した。
「ああ、さっきの弁護士さんの事務所の方ね。部屋で旦那さんと揉めているらしくて、警察を呼んで待っているところなんですよ」
六十代くらいの男性管理人がこちらを疑うことなく話してくれて、富田たちも現場の五階に上がることにする。
「別居中で、ここは実果子さんのマンションですよね。旦那さんを呼び出して何をしようとしているんだろ」
「嫌な予感しかないですけどね」
降りた階を走って彼女の部屋に向かえば、鍵は掛かっておらず、そっと中に入ることにした。短い廊下からリビングを覗き見て声を上げそうになる。壁際に大岡。そして部屋の中央に刃物を持った実果子。そしてそのすぐ前のフローリングで、幹矢氏がロープで縛られた状態で正座していた。彼女が考えていたのは自殺ではなく復讐だったらしい。
「外面ばかりよくて、浮気を繰り返して慰謝料も拒否するって、どこまで馬鹿にしたら気が済むの?」
「バレないように気をつけた浮気だったんだから問題ないだろ?」
刃物を向けられた状態で、何故そんな煽るようなことが言えるのだと、見ている富田の方が青くなってしまう。
「実果子さん、もうすぐ警察が来ます。今ならちょっとした夫婦喧嘩でしたで済みます。刃物をしまって、今夜は好きなホテルにでも泊まったらどうですか?」
凶悪犯を宥めるかのように、大岡の落ち着いた声が響くが、彼女がそれで気持ちを変える様子はない。
「もういいのよ。こんな男と結婚した時点で私の人生は終わっていた。もうやり直せないなら、ここで刺して、私も一緒に死ねばいい」
そんな最悪の展開にはさせたくない。思わず一歩足を進めたところで、大岡がこちらにちらりと目を遣る。富田の登場にはとっくに気づいていたらしい。考えていることは同じ。できれば警察が来る前に刃物を彼女から取り上げて隠してしまいたい。だが不用意に動けば彼女が幹矢氏を刺してしまう。
「……長谷さんは、離婚した女性やシングルマザーの就業支援をしているんですよね」
ベタだが、ここは情に訴えよう。そう思って彼女のホームページから得た知識をぶつけてみた。
「事務員さん、いつの間に」
漸く富田たちの存在に気づいた彼女が振り向くが、手にはしっかり刃物が握られたままだ。
「ラインをくれたから心配でやってきたんです。銃刀法違反なんかで実果子さんが捕まったら嫌だし、実果子さんの会社で働く社員も大変な思いをすると思いますので、とにかく刃物を渡してくれませんか?」
「嫌よ。この人を刺すって決めたんだから。この人用心深いから、油断させて縛り上げるのも大変だったの。ここで失敗したら二度とチャンスはないから」
彼女の言葉に心を痛めるフリをしながら、ほんの一瞬大岡に目を遣る。
「それならどうして俺に連絡をよこしたんですか? バレないようにさっさと始末してしまえばよかったのに。俺に止めてほしかったんじゃないですか?」
「そんなこと……」
「結局まだ旦那さんが好きで仕方がないんですよね。一番に愛してもらえないから駄々をこねている」
「一体何が分かるって言うの!」
興奮した実果子が刃物を持ったまま富田に向かってくる。だが彼女の気を引いておくために、富田がその場を動くことはない。
「……っ」
そこで大岡が動いた。彼女が富田の姿に夢中になったところを、横から近づいて刃物を叩き落としてしまう。フローリングを滑っていった刃物を拾い上げて、煌が幹矢氏を縛るロープを切りに行く。そのすぐあとで、ドンドンと玄関のドアを叩く音がした。
「警察です。入りますよ」