駆け引きトライアングル

 いい家族だったのだろうなと思う。富田も嫌な家族だったという訳ではないが、少年サッカーに通わされるよりも料理を教えてほしかったことや、実は男性が好きだとこれからも告げるつもりもないこと。そんな家族だからこその隠しごとも煌の家にはなかったのだろうと羨ましくなる。
「あ、おいしい」
 出てきたのは回鍋肉ときのこのスープで、中華までできるのかと感心した。スープのきのこも食感が絶妙で、多分この男はセンスがあるのだと気づいてしまう。
「合格点を貰えたようで嬉しいよ。で、ご飯に気が逸れたところで聞くけど、何があったの?」
 若い彼には、聞かずに見守るという選択肢はなかったらしい。食事を与えられておいて返さない訳にはいかなくて、白状する羽目になる。
「事務所に知らない女性がいて、何故か俺のことも知っていて」
 かいつまんで話せば、彼がわざと大袈裟に哀れんでみせた。
「それはもう確定でしょ。その人が大岡さんの恋人で、二人でお酒でも飲みながら事務員の話を肴にしていたってことでしょ?」
 容赦ないがその通りだ。
「もういいじゃん。彼には幸せになってもらって、こっちはこっちで幸せになっちゃえば」
「さっき落ち込みすぎて、それもちょっと考えました」
「え、嘘。考えてくれたの?」
 正直に言えば思った以上に彼が喜んで、チクリと胸が痛む。
「ごちそうさまでした。大変おいしくて、体力気力を回復させていただきました。片付けをして帰ります」
「ちょっと、なんで? 俺のものになってもいいかなって、ちょっとは思ってくれたんでしょ? 俺、付き合い始めの夜から襲ったりしないし」
 相変わらず実も蓋もない言い方だ。
「明日も休みなんだし泊っていきなよ。隣で寝るのが嫌なら俺がソファーで寝るから」
「そんな、いきなり」
「平気、平気。歯ブラシとか、予備沢山あるし。ねぇ、着替え出しておくからお風呂入っちゃいなよ。その間に片付けしておくから」
 さっさと話しを進めてしまう彼に、もう逃げられないかなと思った。いい大人だし、これまで恋人はいなくても経験ゼロできた訳ではない。今日甘えに来てしまったことは事実だし、ここまで来れば覚悟を決めるしかないだろうか。そう、半分自棄になった気持ちで言われるままバスルームに向かってしまう。
 しっかり支度をしてあった湯船に浸かれば、その周りの綺麗さに驚かされた。やはり煌は綺麗好きで家事のセンスがある。大岡は水場の掃除は業者を呼んだりするが、煌は自分で掃除をしてしまうのだろう。多分、彼の傍にいれば何不自由なく暮らせる。だが、それで自分は満足だろうか。
「すみません。先に使わせてもらいました」
 彼が用意しておいてくれた部屋着に着替えてリビングに戻れば、既に綺麗に片付けられたキッチンが目に映った。大岡なら世話を焼いているところだが、この部屋で富田の出る幕はない。
「俺も入ってきちゃうね」
「あ、はい。ごゆっくり」
 人の家でごゆっくりもないだろうと思ったが、彼は喜んでバスルームに向かっていく。これはもう空気を読むしかない。大岡にはもう恋人がいる。いい加減、強制的にでも前に進まないと。そう思うのに、うだうだ悩む気持ちが消えずに、ソファーに身体を沈めてしまう。タオルで髪をがしがしと拭きながら、ふと、彼に借りた長袖のTシャツが大岡と同じものだと気づいた。タグを見れば丈夫な衣類を大量に作って販売するブランドのもので、今更また、あのときあのシャツは何故あんな風に破けていたのだろうと考えてしまう。
「お待たせ。ねぇ、ちょっとお酒でも飲む? 富田さんって飲める人だっけ?」
 背の高い彼が無造作に髪を拭きながら歩いてくる様子は魅力的だった。若くて屈託がなくて、おまけに富田を好きだと言ってくれる。
「俺はあまり強くないんです。飲めない訳じゃないんですけど」
「そっか。それは残念」
 いつの間にかソファーの隣にやってきていた彼が頬に手を伸ばしてきて、びくりと身体を震わせてしまった。いい加減覚悟を決めろ。大岡はもう人様のものだ。想いを拗らせて、彼の恋愛を邪魔するようなことにだけはなってはいけない。男と寝るくらいなんだ。減るものではないではないか。そう気持ちを鼓舞してみるが、やはり落ち着かなくて、僅かに彼から距離を取ってみる。
「襲わないって言ったけど、富田さんが嫌じゃないならもちろん遠慮はしないよ。どう? 大岡さんを忘れるために、一旦難しいことは忘れて試してみる?」
 ズバリ言われて一つ息を吐く。それでいい。だがあと少しだけ待ってほしい。往生際悪くそう思って、目についた彼のシャツを引く。富田に貸してくれたものと同じブランドだ。
「ねぇ、戸倉くん。このシャツの腕が破れるってどんなときだと思う?」
「シャツ?」
 ムードを壊したようなものなのに、彼は怒りもせずに考えてくれる。
「こう肩からまっすぐ肘のところまで破れていて、どうしてかなって思って」
「鋏で切ったんじゃないの?」
26/33ページ
スキ