駆け引きトライアングル

 パラリーガルという言葉は好きではない。寧ろ嫌いと言っていい。事務員に変わりはないのに、他の職種の事務とは違うと主張しているようで恥ずかしいから。
 不要な自己主張はしない優秀な事務員。特にボスのフォローは完璧。そんな人間でいたかった。それが自分を救ってくれた彼への恩返しになる。そう願っていたのに、どこを間違ったのか彼に恋をして、傍にいて苦しいとまで思っている。
 一体どうすれば、戸倉が休暇に入る前の穏やかな気持ちに戻れるのだろう。そう悩むうちに、約束もないのに彼女がいる病院まで来てしまっていた。何を甘えているのだ。見つかる前に帰らなければ。女性だから、約束もなしに来られれば困るだろう。そう思うのに、なかなか一度入った建物を出ることができない。
 以前大岡が法律ではどうにもならないご近所トラブルを抱えたとき、戸倉の一言でぱっと解決策が見つかったことがあった。それを求めている訳ではないが、仲のいい同僚で、富田が太刀打ちできない人生経験を持つ彼女だから、思考がグダグダの今は話したいと思ってしまう。
「富田くん? あら、どうしたの?」
 病棟のオープンスペースに座っていて、偶然なのかそうでないのか彼女に見つかってしまった。
「……こんにちは。これ、お見舞いです」
 ゼリーの小箱を買ってきていた。迷惑になるからやめておいた方がいいと思いながら、お見舞いを買ってしまう。悪い意味で自分らしい。
「昨日一人退院して、残りのメンバーも検査とかリハビリに行っているから病室が静かなのよ。よかったらお喋りに来て」
 上手く誘ってくれたから、彼女の病室で話すことになった。戸倉は人工関節にも慣れて、来週には退院できそうだという。その後は検査とリハビリに通院して経過を見ていく。早く戻ってきてほしいが、まだ復帰は遠くて富田の方が落ち込んでしまう。それでも彼女のゆっくりとした声に心が和んだ。場所がいいのか、室内は清潔で陽の光が多く入って、病室だというのに暗いイメージがない。
「お菓子でも食べる? そうだ、勇人先生は元気?」
 彼女の方からその名前を出されて、微妙な顔を返してしまった。
「元気ですよ。相変わらず仕事は完璧だし、いいボスだし。一度だけ戦闘モードに入っちゃいましたけど」
「あら、しばらく出ていなかったのに、それは大変だったわね。あれって消耗が激しいみたいだし、身体は大丈夫かしら」
「はい。もう体調は万全と言っていました。でも」
 入院患者に弱音を吐くべきでないと分かっていながら、彼女と会えた偶然に、本音を告げずにはいられなくなった。
「やっぱり俺だけじゃ勇人さんを護るのに力不足です。だから早く戻ってきてください」
「ふふ。随分と弱気だけど何かあった?」
「いえ」
 ここで長谷実果子の件を話す訳にはいかないし、大岡に対する恋心と上手く付き合えなくなったなんてことはもっと言えない。静かになってしまった富田の様子に、言えない事情があると察したのだろう。問い質すことはせずに言葉をくれる。
「勇人先生と富田くんは似ているからね。どちらか片方ならいいけど、意地を張る時期が重なると大変なことになりそう。心にもないことを言ってしまったりね」
「俺と勇人さんが似ている?」
 それは何かの間違いだろう。
「気づいてなかったの? 二人とも隠しごとをしていることも、わざとおかしな態度をとるようなところもそっくりよ。見ているこっちがやきもきするくらい」
「えっと、それはすみません」
 一体どんな日のどんな言動のことを言っているのだろう。分からないが、やきもきさせたというなら申し訳ないので詫びてみる。
「謝る必要はないけどね。見ていて面白い部分もあるしね」
「面白い? どの辺が?」
「ふふ。それは秘密」
 人生の経験値が高い女性の言うことは分からない。だが彼女の声音と笑う様子を見ていれば、ここに来たときよりは心が軽くなっているのに気がつく。
「煌を差し向けたのは失敗だったかな。いい考えだと思ったんだけど」
「差し向けた?」
「ううん。こっちの話。自分でも隠してないから言うけど、あの子女性より男性が好きなのよね。それは別に構わないんだけど、富田くんにはちょっと迷惑を掛けてしまったかもしれないわね。指令を忘れて自分優先になってしまって。前払いの報酬は受け取っているくせに、ちゃっかりしているのよね」
 一人で話して納得しながら、戸倉はサイドテーブルから個包装のクッキーを取り出した。
「ありがとうございます」
 戸倉と煌の間に何か約束があったことは分かったが、それより何か別の部分に引っ掛かった気がする。答えに辿り着かないうちに話題が移って、映画やテレビや煌の前職の話に笑ううちに時間が過ぎていく。
「じゃあ、俺はそろそろ」
 リハビリに行っていた同室の女性が戻ってきたところでお暇することにした。
「突然来てしまってすみませんでした。お菓子までご馳走になって」
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