駆け引きトライアングル
戸倉が甥の私生活に口を出すのが意外だった。気持ちは分からなくもないが、富田を口説くような彼に女性の恋人は難しい気がする。
「どうかした?」
「いえ」
「戸倉くんに恋人ができると困ることでもある?」
「まさか」
おかしな誤解をぶり返されても困るから、大袈裟なくらいに否定した。
「勇人さんなら、彼に似合いの女性をいくらでも紹介できそうだなって。あ、皮肉じゃなくて」
知人が多くるだろうという意味だったのに、沢山遊んでいますからねという皮肉のようになってしまって慌てる。
「心配しなくても分かっているよ。まぁ、とにかく、さりげなく戸倉くんと恋愛事情について話してみることから始めるよ。無理強いするタイプじゃないけど、戸倉さんも甥が幸せになったら嬉しいだろうし」
「上手くいくように祈っています」
煌に恋人ができれば富田との『約束』もなくなるから、祈っておいて損はない。富田は大岡の、大岡は煌の、そして秘密だが煌は富田の恋を応援すると言っている。カオスなトライアングルだ。
「じゃあ、これで」
「……うん」
「どうかしましたか?」
見送りに出てくれた彼が何か言いたげに見えて、玄関の一段低くなった位置からその顔を見上げる。
「なんでもない」
「なんでもないって表情じゃないと思いますけど」
拒絶されれば引くつもりだったが、彼は「敵わないな」と目を細めて、意外なことを言う。
「僕が周りをシャットアウトして仕事をする時間のことを戦闘モードって呼んでいるんだっけ?」
「そうですけど、もしかして嫌でした?」
「そうじゃなくてね」
言葉を武器にする職業の彼が言葉を迷うのは珍しい。これもまた珍しく、僅かに逡巡する様子を見せた彼が、諦めたように目を細める。
「一年あれが起きなかったらやろうと決めていることがあるんだけど、この間カウンターがリセットされて落ち込んでいるんだ」
「悪いことをしている訳じゃないんだし、そんな制限はやめて、やりたいことをやったらいいのに」
「うん。でも自分を制御できない時間があるってみっともないからね。一年耐えたっていう自信があれば景気づけにもなるし」
裏を返せば、その勢いがなければ難しいということだ。
「やろうとしていることってなんですか?」
「内緒」
富田に話すようなことではなかったらしい。寂しいが、ボスと事務員の関係で長く傍にいるためにはこれでいいのだろう。
「じゃあ、今度こそ」
「聡太」
「わ……っ」
腕を伸ばした彼に抱き寄せられて、驚くことさえ忘れてしまった。
「ありがとう、聡太。いつも味方でいてくれて」
「勇人さん……」
プライベートで敵を作るような男ではない。だが普通の会社勤めに比べれば、ずっと敵の多い仕事だ。弁護士でない富田は一緒に戦うことはできないが、少しでも彼に心穏やかに過ごしてもらいたいと願っているのだ。
「ごめん、いきなり」
ぽんと頭に手を置いて、彼の身体は離れていった。
「……じゃあ、これで」
気の利いたことの一つも言えなかった。
「うん。また」
大岡も特に引き止めることなく、部屋を出ることになる。それが二人の関係を象徴しているようだった。互いに弱みを曝け出していながら、それを癒したり解決してあげられるのは自分ではないと分かっている。
「戦闘モードか」
駅に向かって歩きながら、さっき知った意外な事実を反芻する。彼の想い人は、戦闘モードの引け目も包み込んでくれる人だろうか。結局はそこに行き着いてしまう。
「勇人さんが幸せならいい」
そう自分に言い聞かせていないと暴走してしまいそうだった。離れるのを覚悟で当たって砕けるほど若くない。歳を重ねるごとに傷ついたときのダメージは大きくなる。
秘めた恋には、如何に言外のものを読むかというスキルが必要だ。大岡が最後に求めるのは女性。今は身の回りの世話をすることができるが、彼の恋が成就したときには、その役目からきっぱり身を引かなければならない。それは恋人の仕事だから。
大岡の恋人が、あまり鋭い女性でなければいい。彼の傍で気持ちを隠しながら働く富田に、気づかないで過ごしてくれるような人だといい。事務所で戦闘モードになったときだけは、彼の一番近くにいることを許してくれる。そんな都合のいい女性はいないだろうか。
シンプルで都会的な外観の私鉄の駅に辿り着くが、いつもはほっとするその灯りでさえ、今夜は富田の心のもやもやを消してくれない。
「戸倉さん、早く戻ってきて」
彼女が戻ってきても以前のようにはいかないと分かっていて、それでも彼女の復帰を願わずにはいられなかった。
「どうかした?」
「いえ」
「戸倉くんに恋人ができると困ることでもある?」
「まさか」
おかしな誤解をぶり返されても困るから、大袈裟なくらいに否定した。
「勇人さんなら、彼に似合いの女性をいくらでも紹介できそうだなって。あ、皮肉じゃなくて」
知人が多くるだろうという意味だったのに、沢山遊んでいますからねという皮肉のようになってしまって慌てる。
「心配しなくても分かっているよ。まぁ、とにかく、さりげなく戸倉くんと恋愛事情について話してみることから始めるよ。無理強いするタイプじゃないけど、戸倉さんも甥が幸せになったら嬉しいだろうし」
「上手くいくように祈っています」
煌に恋人ができれば富田との『約束』もなくなるから、祈っておいて損はない。富田は大岡の、大岡は煌の、そして秘密だが煌は富田の恋を応援すると言っている。カオスなトライアングルだ。
「じゃあ、これで」
「……うん」
「どうかしましたか?」
見送りに出てくれた彼が何か言いたげに見えて、玄関の一段低くなった位置からその顔を見上げる。
「なんでもない」
「なんでもないって表情じゃないと思いますけど」
拒絶されれば引くつもりだったが、彼は「敵わないな」と目を細めて、意外なことを言う。
「僕が周りをシャットアウトして仕事をする時間のことを戦闘モードって呼んでいるんだっけ?」
「そうですけど、もしかして嫌でした?」
「そうじゃなくてね」
言葉を武器にする職業の彼が言葉を迷うのは珍しい。これもまた珍しく、僅かに逡巡する様子を見せた彼が、諦めたように目を細める。
「一年あれが起きなかったらやろうと決めていることがあるんだけど、この間カウンターがリセットされて落ち込んでいるんだ」
「悪いことをしている訳じゃないんだし、そんな制限はやめて、やりたいことをやったらいいのに」
「うん。でも自分を制御できない時間があるってみっともないからね。一年耐えたっていう自信があれば景気づけにもなるし」
裏を返せば、その勢いがなければ難しいということだ。
「やろうとしていることってなんですか?」
「内緒」
富田に話すようなことではなかったらしい。寂しいが、ボスと事務員の関係で長く傍にいるためにはこれでいいのだろう。
「じゃあ、今度こそ」
「聡太」
「わ……っ」
腕を伸ばした彼に抱き寄せられて、驚くことさえ忘れてしまった。
「ありがとう、聡太。いつも味方でいてくれて」
「勇人さん……」
プライベートで敵を作るような男ではない。だが普通の会社勤めに比べれば、ずっと敵の多い仕事だ。弁護士でない富田は一緒に戦うことはできないが、少しでも彼に心穏やかに過ごしてもらいたいと願っているのだ。
「ごめん、いきなり」
ぽんと頭に手を置いて、彼の身体は離れていった。
「……じゃあ、これで」
気の利いたことの一つも言えなかった。
「うん。また」
大岡も特に引き止めることなく、部屋を出ることになる。それが二人の関係を象徴しているようだった。互いに弱みを曝け出していながら、それを癒したり解決してあげられるのは自分ではないと分かっている。
「戦闘モードか」
駅に向かって歩きながら、さっき知った意外な事実を反芻する。彼の想い人は、戦闘モードの引け目も包み込んでくれる人だろうか。結局はそこに行き着いてしまう。
「勇人さんが幸せならいい」
そう自分に言い聞かせていないと暴走してしまいそうだった。離れるのを覚悟で当たって砕けるほど若くない。歳を重ねるごとに傷ついたときのダメージは大きくなる。
秘めた恋には、如何に言外のものを読むかというスキルが必要だ。大岡が最後に求めるのは女性。今は身の回りの世話をすることができるが、彼の恋が成就したときには、その役目からきっぱり身を引かなければならない。それは恋人の仕事だから。
大岡の恋人が、あまり鋭い女性でなければいい。彼の傍で気持ちを隠しながら働く富田に、気づかないで過ごしてくれるような人だといい。事務所で戦闘モードになったときだけは、彼の一番近くにいることを許してくれる。そんな都合のいい女性はいないだろうか。
シンプルで都会的な外観の私鉄の駅に辿り着くが、いつもはほっとするその灯りでさえ、今夜は富田の心のもやもやを消してくれない。
「戸倉さん、早く戻ってきて」
彼女が戻ってきても以前のようにはいかないと分かっていて、それでも彼女の復帰を願わずにはいられなかった。