駆け引きトライアングル

「アプローチミスでしょ」
 事務所に戻れば容赦なく指摘されてしまった。
「自分で分かっていますよ」
 大岡のいない事務所で煌と二人で昼休憩中だ。今日は外回りの時間がずれ込むことを考えて、弁当はやめておいた。事務所に戻る前に煌に「昼食を買ってきてほしいものはあるか」と連絡したら、逆に「今日は富田さんの分まで用意したので手ぶらで戻ってきてください」と返ってきたのだ。これまでコンビニ弁当やファストフードで昼食を済ませていた彼だから、料理などできないのだろうと思っていた。だが実は戸倉仕込みの料理の実力があるらしい。
「悔しいけど、戸倉さんと同じくらいおいしい」
 お握りと蓮根の炒めものをいただいたところで降参すれば、彼が満足げに口角を上げた。
「でしょ? 仕事を辞めてぼんやりしていた時期に、暇なら料理くらい覚えなさいって、伯母さんに仕込まれたんだ。週末のたびにうちにやってきて、母親より厄介だった」
「戸倉さんにそんなイメージなかったけど」
 富田の前ではいつも穏やかな女性だが、強引になってしまうほど、この甥が可愛くて心配だということだ。
「で、告白の話はどうなったの?」
 ピーマンの肉詰めを食べながら、彼が鋭く聞いてくる。
「できる訳ないでしょう? 本気で好きな人ができたなんて宣言されているんですよ」
「そこで軌道修正しないと、どんどん絶望的になっていくだけだって。少なくても今はまだ恋人ではない。その事実にしがみつかなきゃ」
「恋をしている人に余計な気持ちなんて煩わしいだけですよ。というか、もう俺の恋愛の件は放っておいてくれませんか?」
「は? 俺との約束を忘れたの?」
 タッパーの上に箸を置いた彼が急に真顔になって見つめてくる。
「しっかり告白して、しっかり振られてくる約束でしょ? そのあと晴れて俺が口説き直すって」
「失恋前提で語られるときついです」
「じゃあ、頑張らないと」
 飄々とした顔に戻った彼がまたお握りに戻る様子を、複雑な気持ちで眺める。彼のように想いをまっすぐ告げられたらどんなにいいだろう。失恋してもすぐに立ち直って新たな恋を見つけるのだろう。だが生憎富田はそれほど強くもないし、回復力がある訳でもない。
「現状維持が好きな人間もいるんですよ。謝りますから、この間の話はなかったことにしてくれませんか?」
「それじゃ、俺の気持ちが宙に浮いてしまうって。ダメ。却下」
「そもそも出会ったばかりのあなたに好きと言われる筋合いもないんですけど。格好いいところなんて見せた覚えはないのに、どこがよかったんですか?」
「だから顔だって」
 相変わらずはっきりとものをいう男だ。取り繕おうとしないところが潔い。
「目立たない顔ですけど」
「そんなことないって。その半月目はレアだよ。なんか護りたくなるっていうか。その髪も地毛でしょう? そういう色素が薄い髪の毛好きなんだよね」
「嬉しくありません」
「まぁ、そう言わずに」
 彼に髪を撫でられても、今は振り払う気力もなかった。行儀が悪いと分かっていながら、まだ片付けの済んでいないデスクに突っ伏してしまう。ショックを引き摺りながらそれを隠して普段通りの生活を送ることは、地味に心身へのダメージが大きいと、この歳になって学んだのだ。
「まぁ、あまり思い詰めないで。フラれたらタイプの違ういい男と付き合えるからいいか、くらいに思っていればいいよ」
 髪を撫でられて、もう好きにしてくれと思った。だがそこでぱっと彼の手が離される。
「戸倉くん?」
 顔を上げて、富田も状況のまずさに気づいた。
「勇人さん」
 そこに、タクシーで打ち合わせ先に向かった筈の彼が立っている。
「打ち合わせが延期になったから帰ってきたんだけど、お邪魔だったかな?」
 慈悲の微笑みのまま大岡がデスクに戻っていく。
「すみません。だらしない格好で」
「ううん。休憩中なら構わないよ」
「えっと、お昼がまだなら何か買ってきましょうか」
「いらないかな。どうぞお昼を続けて」
 微笑んでいるのに怖い彼に、それ以上なんと言っていいか分からなかった。
「じゃあ、遠慮なくご飯を終わらせちゃいますね」
 一人動揺のない煌が開き直ったように食事を再開するのを、ぼんやりと眺める。
 大岡が実果子との面談に再び外出してしまったあとは、後悔を抱えたまま仕事をする羽目になる。煌に寄りかかるつもりなどなかった。だが誤解されても仕方のない体勢でいた。お昼の件なんですがと弁解するのも違う気がするし、一体どうしたらいのだろう。
「あまり悩まない方がいいよ。大岡さんにとってはどうでもいいことかもしれないし」
 いつもと同じ調子で帰っていく煌が羨ましかった。面談が長引いているのか、富田がいる間に大岡が戻ってこないことが救いだった。どうせ明日も会うのだが、とりあえず対策を練る時間ができたことはありがたい。そう思っていたのに、戸締りをして帰ろうと思ったところで電話が鳴った。事務所の電話だから急ぎの案件だろうかと、自身のデスクで通話ボタンを押す。
「よかった。まだ事務所にいた」
 声の主は大岡だった。
「まだいたら話をしようって軽い賭けだったんだけど、賭けに勝った」
 いなければ、今日はスマホに掛けることはやめようと思っていたらしい。
「あと五分で戻れるから一緒に帰ろう。ご飯でも食べに行こう」
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