駆け引きトライアングル
とりあえず駅に向かって歩こうという話になって、直線の歩道を歩きながら言葉を選んだ。初めてのときは訳も分からないまま戸倉に外に連れ出されただけだったが、今ではその時間が彼にとって必要な時間なのだと分かる。いつも完璧な大岡先生。だがたまに全部忘れてスケジュールを早回ししておきたいことがある。そんなときは事務員のことも忘れて怖い顔になる。富田も戸倉も、それでバランスが取れるのなら構わないと思ってやってきた。ただ彼にとって消耗の激しい時間らしいから、身体が無事であってほしいとは思う。そして一度だけ、戦闘モード後に彼が犯した罪については、今後絶対に口にしないと決めている。
「直近では割と大きな医療事故の裁判でね。大病院の弁護士団にたった一人で向かっていって、依頼人が別の病院で治療を受け直せるくらいの解決金を取ったんですよ」
「その裁判のことは知ってる。伯母さんがよく話していたから。自分の法曹界での立場もあるのに、被害者のことだけを考えられる弁護士さんなんだろうなって、俺も思っていた」
「そうですか」
富田への態度はともかく、大岡に対しては尊敬の念があるのだと分かれば、煌に対する苦手意識も少し消えた。
「そうだ。長谷さんが経営するお茶屋さんに行ってみませんか?」
駅が見えてきたところで、ぱっと思いついて言った。
「あの強烈な依頼人? 関わらなくていいなら敢えて関わりたくないタイプなんだけど」
「だからこそですよ。事務員が仲よくなっておけば、勇人さんが仕事を進めやすくなるかもしれないでしょう? 自分のお店の商品を買ってもらって嫌な気はしない筈だし、今から行きましょう」
大岡のために何かしたいと思ったとき、富田は自分の性格を超えて強くなれる。記憶していた店名をスマホで検索すれば、すぐに『代表 長谷実果子』と書かれた店がヒットした。目の前の駅からたった二駅だから、もう行かない理由はない。
「嫌なら戸倉くんはこの辺りで時間を潰していて構いませんよ。事務所に戻る前に合流すればいいし」
「いや、行くって。せっかくの二人きりの外出を無駄にする筈がないでしょ」
「ではご自由に」
今は大岡のことを考えるので手一杯だから、そんな台詞も難なく躱してしまえる。
「でも言っておくけど、俺はお茶屋で買うものなんかないよ? 事務所でも洒落た店の茶葉なんて使わないでしょ?」
「心配しなくても、俺が家用の茶葉でも買いますよ」
「それじゃ、完全に自腹じゃないか」
そんなことを言い合ううちに目的の駅に着いて、駅から少し離れたところにある店舗に向かう。小綺麗なビルの一階部分に、『tea shop kazitsu』と書かれたお洒落な看板はすぐに見つかった。大岡に感化されて無敵になった富田だから、躊躇わずガラス扉を開けて突入してしまう。
「いらっしゃいませ……って、あら、事務員さんじゃない」
幸か不幸か店内には長谷本人がいた。流石自分の店を持つだけあって、富田の顔まで記憶していてくれる。
「まさか必要書類を無防備に事務員なんかに運ばせてきたんじゃないでしょうね? そういうのはきっちりしてもらわないと困るわよ」
相変わらず手厳しいが、店内にちらほらとお客がいるからか、事務所に来たときよりはトーンが弱めだ。
「今日は仕事は関係なく、プライベートでお茶を買いに来たんです」
「へぇ。平日昼間からお休みをとれるなんて、忙しいのは弁護士先生だけで事務員は暇なのね」
酷い台詞だが、実際そのようなものだから仕方がない。
「それで、どんな茶葉が欲しいの?」
長谷の勢いに辟易したように、煌は離れて奥の贈答用のお菓子を眺めている。
「癖のない普通の紅茶だとありがたいです。一人暮らしなのであまり量が多くないもので」
「つまらない答えね」
一応客相手だというのに彼女の言葉は容赦なかった。だが富田は彼女の物言いにも慣れてきて、逆に聞いてみる。
「では、どんなものがお勧めですか? パッと目が覚めるように気分が変わって、大胆なことができるようになる紅茶なんてありますか?」
意趣返しのつもりではなくて、本当にそんなものがあったら欲しいなと思うものを言ってみた。存在するなら、その紅茶で勢いをつけて大岡に気持ちをぶつけてみたい。
「ああ、それならこれがいいわ。ちょうど新商品なの」
意外にも、彼女は富田の言葉に笑うことなく、傍の商品棚からお茶の紙袋を一つ取り出した。手のひらに乗る大きさの紙袋は口を閉じて三角になるようにデザインされていて、洒落たショップタグが下げられている。
「ダージリンのアールグレイよ。初心者にも飲みやすいからいいと思うわ」
「無難すぎる気がしますけど」
ダージリンのアールグレイなんて近所のスーパーでも売っている。
「そう思うでしょ? でもこれは『目が覚めるような香り』ってコンセプトで、茶葉に柑橘系オイルで香りづけしてあるの」
「へぇ。それは凄い」
「直近では割と大きな医療事故の裁判でね。大病院の弁護士団にたった一人で向かっていって、依頼人が別の病院で治療を受け直せるくらいの解決金を取ったんですよ」
「その裁判のことは知ってる。伯母さんがよく話していたから。自分の法曹界での立場もあるのに、被害者のことだけを考えられる弁護士さんなんだろうなって、俺も思っていた」
「そうですか」
富田への態度はともかく、大岡に対しては尊敬の念があるのだと分かれば、煌に対する苦手意識も少し消えた。
「そうだ。長谷さんが経営するお茶屋さんに行ってみませんか?」
駅が見えてきたところで、ぱっと思いついて言った。
「あの強烈な依頼人? 関わらなくていいなら敢えて関わりたくないタイプなんだけど」
「だからこそですよ。事務員が仲よくなっておけば、勇人さんが仕事を進めやすくなるかもしれないでしょう? 自分のお店の商品を買ってもらって嫌な気はしない筈だし、今から行きましょう」
大岡のために何かしたいと思ったとき、富田は自分の性格を超えて強くなれる。記憶していた店名をスマホで検索すれば、すぐに『代表 長谷実果子』と書かれた店がヒットした。目の前の駅からたった二駅だから、もう行かない理由はない。
「嫌なら戸倉くんはこの辺りで時間を潰していて構いませんよ。事務所に戻る前に合流すればいいし」
「いや、行くって。せっかくの二人きりの外出を無駄にする筈がないでしょ」
「ではご自由に」
今は大岡のことを考えるので手一杯だから、そんな台詞も難なく躱してしまえる。
「でも言っておくけど、俺はお茶屋で買うものなんかないよ? 事務所でも洒落た店の茶葉なんて使わないでしょ?」
「心配しなくても、俺が家用の茶葉でも買いますよ」
「それじゃ、完全に自腹じゃないか」
そんなことを言い合ううちに目的の駅に着いて、駅から少し離れたところにある店舗に向かう。小綺麗なビルの一階部分に、『tea shop kazitsu』と書かれたお洒落な看板はすぐに見つかった。大岡に感化されて無敵になった富田だから、躊躇わずガラス扉を開けて突入してしまう。
「いらっしゃいませ……って、あら、事務員さんじゃない」
幸か不幸か店内には長谷本人がいた。流石自分の店を持つだけあって、富田の顔まで記憶していてくれる。
「まさか必要書類を無防備に事務員なんかに運ばせてきたんじゃないでしょうね? そういうのはきっちりしてもらわないと困るわよ」
相変わらず手厳しいが、店内にちらほらとお客がいるからか、事務所に来たときよりはトーンが弱めだ。
「今日は仕事は関係なく、プライベートでお茶を買いに来たんです」
「へぇ。平日昼間からお休みをとれるなんて、忙しいのは弁護士先生だけで事務員は暇なのね」
酷い台詞だが、実際そのようなものだから仕方がない。
「それで、どんな茶葉が欲しいの?」
長谷の勢いに辟易したように、煌は離れて奥の贈答用のお菓子を眺めている。
「癖のない普通の紅茶だとありがたいです。一人暮らしなのであまり量が多くないもので」
「つまらない答えね」
一応客相手だというのに彼女の言葉は容赦なかった。だが富田は彼女の物言いにも慣れてきて、逆に聞いてみる。
「では、どんなものがお勧めですか? パッと目が覚めるように気分が変わって、大胆なことができるようになる紅茶なんてありますか?」
意趣返しのつもりではなくて、本当にそんなものがあったら欲しいなと思うものを言ってみた。存在するなら、その紅茶で勢いをつけて大岡に気持ちをぶつけてみたい。
「ああ、それならこれがいいわ。ちょうど新商品なの」
意外にも、彼女は富田の言葉に笑うことなく、傍の商品棚からお茶の紙袋を一つ取り出した。手のひらに乗る大きさの紙袋は口を閉じて三角になるようにデザインされていて、洒落たショップタグが下げられている。
「ダージリンのアールグレイよ。初心者にも飲みやすいからいいと思うわ」
「無難すぎる気がしますけど」
ダージリンのアールグレイなんて近所のスーパーでも売っている。
「そう思うでしょ? でもこれは『目が覚めるような香り』ってコンセプトで、茶葉に柑橘系オイルで香りづけしてあるの」
「へぇ。それは凄い」