駆け引きトライアングル

「でしょ? ああいうきっちりした環境には向かない人間なんだよ、俺」
 褒めた訳ではないのに嬉しそうにされれば、もうどうしようもない。そんな彼の様子に、自分も正面から向き合いすぎかと思えてくる。こういう人間もいるのだと流して、いい部分だけ参考にすれば、それほど嫌なタイプでもないのかもしれない。
「俺のことを話したんだから、富田さんの話も聞かせてよ。富田さんも新卒で今の仕事に就いた訳じゃないでしょう? 事務所に入ってから大岡さんを好きになったの? それとも好きだから転職したとか? なんでもいいから聞かせてよ」
 前言撤回。嫌な男だ。何故そんなデリケートな部分にずかずかと入ってくるのだ。
「あなたの話を聞いたのはここに来る対価で、俺の話をするなんて言っていませんよ。じゃあ、用は済んだのでこれで」
「待って」
 引き止める声が思いがけず大きくて、周りの席の何人かに視線を向けられた気がした。
「ここはプライベート空間じゃないから静かにしないと」
 不機嫌な顔を作って言ってみても、小さな頃から怒られ慣れている彼には効果がない。
「俺、思ったよりずっと富田さんに参っているみたい」
「何を言っているんですか」
 躱して立ち去ろうとすれば、テーブルの上で素早く右手を掴まれた。その手が思ったよりずっと力強くて困ってしまう。
「以前から伯母さんがよく富田さんの話をしていたんだ。初めは話半分で聞いていたけど、そのうち会ってみたいなって思うようになって。実際会ってみたら顔も俺の好みで、もうこれは口説くしかないでしょって思って口説いている。どう? 俺の恋人になってみない?」
「お断りします」
「大岡さんが好きだから?」
「勇人さんは関係ありません」
 煌とのやりとりに大岡を巻き込みたくなかった。誤解のしようもないほどきっぱり拒絶しているのに、彼はそれで失恋と思うような男ではないらしい。
「じゃあ、こうしない?」
 富田の手を離してくれないまま、彼がおかしなことを言い出した。
「俺が富田さんの恋に協力する。上手くいくように仕向けて告白できるお膳立てをしてあげるから、告白して上手くいかなかった場合は諦めて俺のものになってよ」
「意味が分かりません」
「富田さんは現状維持で満足していそうだし、告白する気なんてないんでしょう? その状態で俺とは付き合えないって言われても、納得できないんだよね」
 富田に煌を納得させる義理はないと思うが、うんと言うまで手を離さないつもりらしい。
「……分かりました。好きにしてください」
 結局そう言わざるを得なくなった。無言で伝票を持ち去って、せめてものプライドで彼の分まで支払いをしてみるが、そんなことは彼にとってなんのダメージにもならないだろう。
「告白できるお膳立て、か」
 呟いてみて、その嫌な予感しかない言葉に頭を抱えたくなった。バイトはバイトらしく仕事をしていてくれればいいのにと思うが、戸倉の甥に冷たくする訳にもいかないから打つ手なしだ。
 週明け、とんでもない事件が起こってそれどころではなくなってくれないだろうかと思って、そんな自分が嫌になった。
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